第11話 善家の一面

 もう一緒に歩く必要もないのに、どうして歩幅を合わせるのか。置いていけばいいのに、と内心吐き捨てる。


 時雨はしばらく一人でいたかった。というか、早く学校から出たかった。だが、こうも歩幅を合わせられると追い抜き難い。


 とっとと挨拶して駆け足で靴箱に向かおうか。けれどあまり声を掛けたくない。ジワジワと迫り来るモヤモヤが行動を憚る。口に出したら、モヤモヤを吐き出してしまうような気がした。


 善家に大して苦手意識があるものの、だからといって嫌っているわけでもなく、それを抜きにしても善家は人気者だ。善家がそう思わなくても周りの人たちに敵認定されたら堪ったものではない。


 階段を下りている最中のことだった。


「いやぁ、お互い助かったのな」


 急に口を開いたと思ったら、その言葉を発したのでいぶかしげに善家を見やる。


 その言葉が家庭訪問のことを指していることに気が付いて、ぶっきらぼうに返事をする。


「そうだな」


 善家との間に間が空く。なんだか居心地が悪くて、モヤモヤを押し込めながら時雨は言葉を繋いだ。


「曰く付きって、本当か?」


「ん? ああ、家のことな。ほんとほんと。時雨は興味あんの?」


「まあ……ちょっとは」


 会話がないのも落ち着かないし、かといってお喋りではない自分が話すにも限度がある。


 靴箱まで場を繋いでくれたら、善家だけが喋っているだけでもいい。


「うちなぁ。一応明治からある家なんだ。まあ、普通の農家だったから立派な家柄じゃないし、家もいったん取り壊されたから、明治時代からの家が残っているわけじゃないんだけどな。で、明治時代のいつ頃か知らねーけど、家主の本妻と愛人の愛憎劇があったらしくて。なんか嫁ぐ前の嫁の部屋? で本妻が刺されて死んだらしいんだ。嫁ぐ前の嫁の部屋って分かる?」


「なんとなく」


 それに関しての記憶なら、心当たりがある。


 まだ祖父が生きていた頃に、祖父から聞いたことがある。今時雨が住んでいる祖母の家にも、元々そういう部屋があったのだと。祖父に教えてもらった時点で、そこは物置部屋と化しており、本来作られた意味を成していない状態だった。


『この部屋はな、嫁入りする前の花嫁さんが過ごす部屋やった。花嫁さんが他の男と会わんようにするための部屋や』


 確かそのようなことを言っていた。それを聞いたとき、まるで牢屋みたいだな、と子供ながらに気分が悪くなった記憶だ。


 その部屋は土間に設置された台所のすぐ傍にあったので、おそらく花嫁がすぐ朝飯を拵えるように、という意味もあったのだと思う。


「今は明治の家が取り壊されて、今の家があるけど、それ以降本妻の霊がひょこっと出てくるんだよな」


「ひょこっと出てくるだけか」


「怖くね? ひょこっとだけでも」


「ひょこっとだけなら別に」


 陽古が言っていた。霊とは人間だ、と。呪うわけでもなく恨み言を言うわけでもなく、ひょこっと現れるくらいなら問題ない、と思えるようになった。


 実際に視たら自分がどう思うか分からないが。何せ陽古しか視えたことがないので、幽霊がどのように視えるか知らない。


「でもまあ……血塗れだったらさすがに怖いけど」


「そうだよな~。時雨は幽霊とか信じるん?」


「まあそうだな」


 実際に神と会っているので、否定はしたくない。


「へぇ。意外なのな」


 善家は軽い口調で返す。所々に、どうでもよさげな感じが滲んでいるように聞こえた。


「善家は実際に視たことがあるのか?」


「あるぞ」


「あるのか。だからあんなに堂々と話せるんだな」


 普通は気味悪がるから、と話したがらないと思うが、家に入れたくないのならあの話は効果的で、実際に視たとなると効果は絶大だ。怖い物知らず。もしくは好奇心旺盛な物には逆効果かもしれないが。


「興味ある?」


「ないよ。あったとしても招かざる客にはなりたくない」


 隣から息を呑む音がした。


「善家も人を家に上がらせたくないんだろ? それほど善家に興味ないし、おれが善家の家に上がり込む日は一生ないから安心しろ」


 善家が立ち止まった。ちょうど階段を下りきったところで振り返った瞬間、善家はケラケラと笑った。


「ひっでぇの。俺のこと興味ないって、普通本人の目の前で言うか?」


「お前にとってそれがいいんだろ?」


 振り返った直後、時雨は確かに見た。善家の表情が無表情だったのを。夏だというのに、寒気が走るほどの何の感情も見えない、完璧な無表情だった。


 つまり図星だったのだと、時雨は解釈したと同時に、本当につくろうのが上手い、と感心もした。


「おいおい、俺ってそんな薄情に見えるか?」


「どうだろうな」


 肩をすくめながら答える。


「あ、やっべ! そろそろ行かないと顧問に怒られる!」


 突然善家が声を張り上げた直後、残りの階段を飛ばして玄関のほうへ向かった。こちらに振り向き、爽やかな笑顔を刷って手を振る。


「そんじゃ時雨、また明日な~!」


 外へと消えるその背中を見送った後、時雨は頭を抱えた。


(やってしまった……)


 モヤモヤを吐き捨てないようにしたのに、結局八つ当たりのように善家に突っかかってしまった。


 いくら事実とはいえ、あんなに踏み込んだ話をするべきではなかった。


(それで善家がおれに近寄ることはないと思うけど!)


 いつも通り、必要最低限のこと以外で絡まないだろうが、それでも相手の内を知っていると相手に知られてしまったら、面倒事に巻き込まれる可能性が出てくる。


 その人のことを知るということは、その人の領域に入るということ。その分だけ、その人の事情に巻き込まれていく可能性があるということだ。


 クラスメイトの中で最も関わり合いたくない相手だというのに、とんだ失態だ。


 これも家庭訪問のせいだ。


 そこまで思考して、盛大に溜め息をついた。


(バス停に行こう……)


 バス停に誰もいないことを祈りながら、重い足取りで靴箱に向かった。

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