初夏の頃

第7話 お出掛けの約束①

 暇だったら来る。そう告げたが、バスを降りると気付けばこのさびびた神社に足を運んでいて、結局ほぼ毎日のように通うようになっていた。


 陽古は時雨と話すときは本を読まないが、それ以外は本を読んでいるらしい。二冊はすぐ読み終わるかと思ったが、暗くなったら明かりがないので本を読めないのに加え、現代語訳と原文、そして脚注を交互に見ているから読むのに時間が掛かっていた。


 源氏物語を読み終えた後はお金の都合で、元々持っている本を貸している。小説だけではなく、親戚がもう読まないけれど売るのは勿体ないからと祖母の家に置いてきた本を貸したりしている。親戚の許可は貰っている。


 親戚が置いていった本は実用書と専門書ばかりで、中には時代劇に出てくる単語の辞書もあったのでそれを貸した。


 現代の文体は、貸した源氏物語で大体理解したらしく教えることはそれほどなかった。


 人と関わろうとしなかったのにまさか神と関わろうとしているなんて、自分の変化に戸惑っていたが、それにも慣れてきた。


 陽古は不思議だ。時雨は毎日そう思う。


 今まで話が合う人なんていなかった。話が続かない事はいつもの事で。だが陽古は違った。話が合う、というほどではない。意気投合だなんてもっての外だ。


 なんていうのだろう。噛み合っていないけれど、噛み合っている、という矛盾が見事に調和しているというか。パズルで例えるのなら、ピースは合っていないのに、絵柄が合っているような感じだ。不可解で普段だとしっくりと来ないだろうそれは、不思議と居心地が良い。


 二人は暗くなる前まで、色々な話をした。時雨は今日あった出来事を話して、陽古はそれを興味津々と聞いては疑問に思ったことを口にして、それを時雨が答える。陽古も時雨に色々な事を話してくれた。時雨は少しずつであるが陽古の事を知った。


 陽古は神代かみよと呼ばれる時代に生まれた神。神々が支配していた時代のことで、神武天皇が即位するまでを指すらしい。


 神代生まれなのにどうして狩衣を着ている理由は、平安時代に源氏物語を読ませてくれた人から貰ったから。かつてはこの神社の祭神だったこと。そして。


「しばらく村の外には出ていない?」


「ここが町の一部になっていたことに驚いた」


 陽古はあっけらかんと答えた。


「いやいや、村に降りたら気付くだろ。町って書いてあるし」


「しばらく降りていない」


「しばらくっていうレベルじゃないぞ。少なくても十年単位だ」


 この村が町になってから時雨が生まれるずっと前だから、十七年以上は経っている。さらに最近合併して町の名前も変わって少し騒いでいた。これで町だったことも知らないとは、本当にしばらく神社から降りていない証拠だ。もっとも村だった頃の名残で村の時の名前で呼んでいる人が大半だから気付かなかったという可能性もあるだろう。


「なんと……! そんな短い間にそんなにも変わっていたのか!」


「短い間って」


 続きを言いかけて、口をつぐんだ。


 自分にとっては生まれる前以上の昔のことでも、神代生まれである陽古にとっては、何十年の月日さえ短い間となるのかもしれない。


 それはそれでなんだか切ない気持ちになる。切なさを抑え、時雨は口を開く。


「話は戻って、本当にしばらく村の外に行っていないのか?」


「ここに居着いてから出たことはない。それにそこまでの体力がない」


「神様なのにか?」


「言っただろう? 神の端くれって。一応神なのだが、力が他の神々に比べて弱いし、最近は信仰心がないから、力が出ない」


「信仰心? それって関係あるのか?」


「大有りだ。信仰心によって、神通力じんつうりきが研ぎ澄まされ強くなる。神にとって人の信じる心と祈りが力になり、それで命を繋いでいるのだ」


「信仰を集まれば集まるほど、信仰対象の神様は強くなるってことか」


「そういうことだ。だから、私は大した力もない」


「まぁ、こんだけ寂れていればな」


 時雨はぐるりと神社を見渡す。


 春が過ぎ、出会った頃は裸だった桜の木は葉桜となっていた。


 季節は初夏を迎えていた。風が心地よくなり、風が吹く度に木の葉が揺れてザアザアと雨のような音を鳴らす。その音も涼しげで耳触りがいい。


 二人は風通りが良くて、ちょうどよく影になっている本殿の中で語り合っていた。


 本殿の中には、この広間を隔たれている木製の格子で出来ている扉があった。おそらく神座なのだろう。そして天井に近い壁一面に、時雨が生まれたよりもずっと昔の作品と思われる絵が数点ある。


 石橋なんとか合戦(文字が掠れていて読めなかった)の様子が描かれた絵、涼しげで中立的な顔立ちをした人物と鬼のような形相をした中腰の男が対立している絵。それらは木の板に描かれた。


 かつては、色彩が豊かだったということは分かるのがいかんせん。現在では黒ずんでおり、所々欠けているところがある。


 その中でただ一点だけ、「伊勢踊り」と呼ばれる歌の詞が書かれている物があった。昔はここでその伊勢踊りとやらを踊っていたのだろうな。そう思ったら、哀れにも似た寂寞感せきばくかんが胸に広がった。


「一回だけでいいから見てみたいと思うが、どうすればいいのか……」


「バスに乗ったらどうだ? そこまで体力使わなくていいし、陽古は他の人には視えないからタダで乗れる」


「ばす……?」


 陽古は首を傾げながら、腕を組んだ。微妙な間を置いて、ポンッとてのひらに拳を置いた。


「もしかして、けいとらのことか?」


「どうして軽トラのことは知っているんだ」


「時雨の前の人に少しだけ乗せてもらった」


 ということは、前の人は時雨が思っている以上に最近の人らしい。車が普及し始めたのはいつからか具体的には知らないが、明治か大正には車はあったらしい。こちらの地方まで普及するには時間がかかるから、大体昭和の辺りだろうか。


(じいちゃんとばあちゃんが若い頃だよな……母さんも生まれてきていたけど戦後だし、こっちに普及したのでいつ頃なんだろう……)


 雪乃は当時のこと、特に戦時中のことを語らない。雪乃の兄は戦時中特攻隊に選ばれて、そのまま帰らぬ人となったらしい。


 雪乃は兄弟が何人もいたが、その兄には懐いていたらしく今思い出しても辛いのだという。だから祖母に聞きづらい。


 知らなくても問題ないか、と話を戻す。

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