第6話 交流の始まり
バス停に下りて真っ先に例の神社に向かった。
ズカズカと荒々しく道を進んでいたが、幸いにも擦れ違う人もなく時雨を見て目を丸くする人はいなかった。
何度も自分の行動に頭を掻き
足場の悪い階段を上り、本殿に辿り着く。
そこには昨日と同じように、陽古が本殿に座っていた。やることがないからか、ただボーッと空虚を眺めていた。
陽古の姿を確認して、足音も消さず、むしろ大きな音を立てて近付く。
その音に我に返ったのか、陽古が振り向いた。
振り向いた瞬間、キョトンとした顔で時雨を見つめる。
陽古の許へ辿り着くと、陽古が口を開いた。
「来ないかと思った」
意外そうに呟いたが、その声が僅かに弾んで聞こえるのはおそらく気のせいではない。
時雨は無言で本が入ったビニール袋を差し出した。
陽古はまたキョトンとした顔になり、ビニール袋と時雨を交互に見やった。
「これは?」
「昨日のお詫び、です」
「お詫び? 時雨は私になにかいけないことをしたのか?」
「昨日、無視したので」
「無視…………?」
陽古はんん?、と首を傾げたが、すぐにハッとなった。
「ああ、最後のことか? 無言が返事だと思っていたのだが」
「……すいません」
「何故謝るのだ?」
不思議そうな顔をする陽古に時雨は、呆気にとられる。陽古はますます不思議そうにした。
「私は明日また来てくれるかと言った。明日は来てくれないが、明日以降ならいつかは来るかと。違っていたのか?」
「……はぁ。もうそれでいいです」
そういう解釈していたのか、と
気にしていた自分が一気に馬鹿馬鹿しくなった。
「この袋、開けてもいいだろうか?」
「どうぞ」
ガサガサと袋を開けて、陽古が袋の中のものを取り出す。
「源氏物語?」
買ってきたのは原文、現代語訳、脚注が一緒になった源氏物語の文庫本だ。十巻まであるが、さすがにそこまでの財力が手元になく、二巻までしか買えなかった。
「この本についているビラビラに、なにか書いているが……これはどういうことが書いているのだ?」
「えっと、原文と現代語訳と脚注が」
訳が分からない、という顔をして陽古が首を
「ええ……原文っていうのは、元になった文章のことで、要はあなたが知っている文体ということで。現代語訳は、その原文を今風にしたやつで。脚注は、単語とかの説明というか、なんと、いうか、その、昔の当たり前が今の当たり前と違うというか、その」
どれに対して首を捻っていたのか分からず、とりあえず全部説明したが、説明が難しくてしどろもどろになる。陽古はうむ、と呟いた。
「つまり一冊の本で三度美味しいということか?」
「どうしてその言葉は知っている」
ハッと口を抑える。
いくら本当のことか分からないとはいえ、彼が本当に神ならば無礼を働くとどうなるか。
「別に普段通りの口調で構わないぞ」
陽古が苦笑しながらさらに続けて言った。
「神といっても末端もいいところ。神格はそれほど高くない。なにせ出来損ないだからな。神としても力をそんなに扱えない。天罰を下す力もない。だからそんなに構わずともよい」
「ですが」
「それに私がそう望んでいる。私は人が
眉を八の字にして、沈んだ微笑みを浮かべる陽古にうっと
そんな寂しげで、切なげで、
そもそも、桜の塩漬けを辛いと言いながらポリポリと食べていた神が、変神であっても悪神ではない、と自分に言い聞かせる。
「………………はぁ、分かったよ」
そう告げると、陽古は一気に顔をパァッと明るくさせた。
「では、また明日来てくれるか?」
「明日、は分からないけど……予定がなかったら、まあ、考える」
「明日来なかったら、明後日か?」
「まあ、そのうち来るよ。その本も貸すだけだし」
「では明日は来なくてもいつかは来てくれるのだな?」
「さ、さっきも思ったけど、それでいいのか?」
やや食い気味に訊いてくる陽古に少し引きながら、聞き返す。
「それでいいのか、とは?」
「その、なんというか……毎日じゃなくてもいいのか、というか。しばらく空けてもいいのか、とか」
なんと言ったらいいか分からなくて、またしどろもどろになる。
先程の釈然とした何かを口で説明するのは難しい。口に出してみたが、どれも時雨が感じた疑問をまとめていないというか、的を射ていない気がして、途中から時雨も何を言っているのか分からなくなってきた。
「人間は私とは違って一生が短い分、毎日多忙なのだろう? 私に時間を割いてくれるのは嬉しいが、無理してほしくない。それに私は、短い間でも話し相手ができるのが嬉しいのだ。私はそれで満足だ」
時雨は言葉を詰まらせた。先程の沈んだ微笑みとは違い、普通の微笑みを浮かべている彼に、隠している本心を見つけることができなかった。
つまり、本心を言っているのかもしれない。
それに気付いた途端、時雨は悟った。
(この人、あまり期待していなんだな)
ある意味、自分と同じなのかもしれない。そう思った。
時雨も周りにはあまり期待を寄せていない。期待を寄せたところで何かが変わると信じていないからだ。この神の詳しい正体はまだ分からないが、時雨と似たようなものを抱いているのもしれない。
時雨はこの神に初めて、シンパシーを感じた。
「確かに毎日は来ないけど、まあ。暇だったら、来る」
「ありがとう、時雨。ずっと待っているよ」
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