第5話 罪悪感と格闘
あの申し訳なさそうな顔が、寂しげな顔に思えてきて仕方ない。
時雨は帰ってからというものの、最後に見た彼の表情が頭から離れず、
課題をしていても、食事中でも、一向にその面影を離すことができずにいた。
課題に集中できず、いつもなら風呂の時間になる前に終わらせることができるのに、風呂から上がった後になっても終わらせることができなかった。
時雨は課題の前で頭を抱えた。
(どうして、どうして)
会って間もないというのに、どうして彼のことをこんなに気になってしまうのか。
何十回も頭から追い出そうととしても、やはりあの最後に見た顔がちらついて離れない。
考えるな、考えるな。気にするな、気にするな。いつも通り適当にあしらって、そのまま放っておけばいい。いつも、そうしてきたではないか。
そう言い聞かせていると、彼の自己紹介の言葉が浮かび上がる。
(だいたい、本当に神様なのか? 確かに人外染みた顔だったけど)
自分以外の人間には視えていないのは本当のことだったが、神だというのは俄に信じられなかった。
口調は高貴な感じがしたが、姿勢が少し低かった。人間である時雨に当然の如く謝罪してきたので、自分のことをそれほど偉くないと思っているのかもしれない。
神は
かと言って、妖怪には見えなかった。妖怪の中には、することそれだけか、と拍子抜けするような、例えばすねこすりのような害のない妖怪がいるということは知っている。だが、妖怪というものは悪意の塊だというイメージが大きい。
陽古と名乗った自称神からは、悪意を感じなかった。薄っぺらい、底の見えぬ表情も浮かべていなかったと思う。むしろ友好的で、人間に対して偏見はないように見えた。
「ああ、もう!」
頭をガシガシと掻いて、立ち上がった。
このままだと課題が終わらない。
時雨はズカズカと本棚に向かい、本の背表紙を睨み付ける。
結局のところ、自分がこんなにも気にしてしまうのは、別れ際に返事をしなかったからだ。たかがあれしきのことで罪悪感がチクチク刺さるのは、寂しそうに見えた顔を無視したからだ。。
罪悪感がある限り、いくら抗ったところで頭から追い出すことはできない。
それならもういっそのこと、明日のことを考えればいい。
また来てくれるか、とあの人は訊いてきた。つまりまた来て欲しいということだ。社交辞令ではないと確信しているのは、自分が視える人が来て嬉しそうだったからだ。
つまり明日また行けば、この罪悪感を無くすことができる。行くと決めたのであれば、罪悪感は薄らいだ。
けれど、ただ行くだけでは完全に無くならない。それなら、なにか本を持って行けばいい。
源氏物語とたけくらべを読んだことがあると言っていた。手土産として本を貸そうではないか。文体が違うから読めない、と言っていたがそんなの教えたらいい。
(いやいや、教えるって)
たけくらべの文体でなんとか読めたということは、現代の文体を一から教えないといけないということだ。
(教えるってそんな、なんでこれからずっと通う前提で考えているんだ)
まだよく知らない相手の許に通うなんて、自分はそこまで
一旦冷静になっても、どうして通うという発想に至ったか分からない。ここは源氏物語の原文が載った本を送るのはどうだろうか。きっと久しく読んでないだろうから、それでもいいはずだ。
(そうだよ、原文が載っているやつと現代語訳が載っているやつを買って渡せばいいんだ。両方載っているやつがなかったら、別々に買って。そうすれば教える手間が省ける)
そこまで考えて、深く溜め息をつく。
「もう、なにがなんだか……」
もうグルグルと考えるのが馬鹿らしくなって、机に戻る。とりあえず明日の帰りは、本屋に寄ってそういう本を買う。お小遣いはまだあるから大丈夫だ。源氏物語なら、田舎でも何かしら本があるだろう。
「ああ、もう」
もう一度頭をガシガシと掻いて、途中で止まっている課題に手を付ける。
明日のやることが決まったからなのか、それとも考えすぎて頭が疲れたからなのか。例の顔があまり過ることもなく、寝る前には課題を終わらせることができた。
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