初デートで格安ファミレスに行ったら彼女の好感度が爆上がりな件

瘴気領域@漫画化決定!

初デートで格安ファミレスに行ったら彼女の好感度が爆上がりな件

 ――あーあ、お腹が空いちゃったね。


 俺には好きな人がいる。

 文芸部の1年上で、黒髪を肩まで伸ばして、眼鏡をかけたあの先輩だ。


 先輩に一目惚れして入部したけど、1年以上も在籍しているのに未だに食事に誘えたことすらない。

 だから、思わず言ってしまったんだ。


「ちょ、ちょっとご飯でも食べていきましょうか?」

「いいね! どこのお店にする?」


 想像の十倍は軽い返事に、俺はほっとしつつもどこかがっかりするような気持ちを抱いていた。


 * * *


 その日は部活が長引いていた。

 うちの高校の文芸部では、在籍中の3年間のうちに長編小説を最低1本書き上げるという決まりがあるのだが、先輩の作品の感想会があったのだ。


 長編小説と言えば文字数は10万字以上。

 ぎりぎりに収めればいいのに先輩はなんと100万字以上の大作を発表したのだ。

 事前に読み込むのも大変だったし、長い分指摘や質問も増えて感想会が終わるころにはすっかり日が暮れていた。


 そして最後まで律儀に付き合ったのは俺だけ。

 図らずも、先輩と二人きりというシチュエーションにこぎつけたのである。


 ……いや、先輩の作品でなければ俺も早々にいなくなっていただろうから、「図らずも」というのはちょっと格好をつけすぎか。


「ごめんね、こんな遅くまで付き合ってもらっちゃって」

「いや、そんなことないですよ! 先輩の作品、面白かったですし!」

「そう? そんな風に言ってもらえると嬉しいなあ」


 眼鏡のレンズ越しに、小動物のような瞳が微笑む。

 ああ、これだ。部活の勧誘のときにも見せられたこの微笑みに、僕は虜にされてしまったんだ。


「あーあ、それにしても、お腹が空いちゃったね」


 先輩がセーラー服のお腹をさする。

 見た目は完璧に文学少女なのに、こういう飾り気のない仕草をするから余計にドキリとさせられてしまうんだ。


 僕はとっさに、前々から脳内シミュレーションを繰り返していたセリフを振り絞った。


「ちょ、ちょっとご飯でも食べていきましょうか?」

「いいね! どこのお店にする?」


 少しどもってしまったけれど、気づかれなかっただろうか……、なんて僕の心配とは裏腹に、先輩はあっさり承諾してくれる。


 そして気がつく。

 食事に誘うところまでは脳内シミュレーションを繰り返していたけれど、そのあとどんなお店に行けばいいのかまるで考えていなかったことに……。


 学校を出て、先輩と駅に向かって歩きながら脳みそをフル回転させる。

 俺が知ってる店なんて、駅前の牛丼屋とラーメン屋くらいだ。


 高級イタリアンレストランの脇を通り過ぎる。

 これは同じ部活の金光かねみつ先輩の家が経営している店だったかな?

 メシランの一ツ星を獲ったとかで散々自慢された記憶がある。


 これは言わば先輩との初デートだ。

 本当ならこんな店でおごって格好をつけたいところだけれど……俺の財布に入っているのはわずか3千円。

 おごるどころか、俺ひとりの支払いだって到底無理だろう。


「せ、先輩は苦手な食べ物とかありますか?」

「うーん、アレルギーもないし、なんでも食べれるよ」

「俺もそうなんです。アレルギーも好き嫌いもないから、どの店でも大丈夫ですね!」


 適当な会話で間をもたせつつ、視線だけを動かしてあちらこちらの店を見る。

 あっ、あのカフェレストランはいい雰囲気だな。

 店頭の品書きを目を細めて確認する。

 ……ダメだ。ドリンクを付けたらひとり1500円は確実に超える。


 おっ、食べ放題の焼肉屋があるぞ。ひとり1500円きっかりじゃないか。

 って、初デートで焼き肉を選ぶやつがあるか。

 焼き肉は仲が深まったカップルでないと行くものじゃないと雑誌で読んだぞ。


 途方に暮れかけた僕の目に、ある店の看板が飛び込んできた。

 ドリアが一皿299円。セットドリンクバーが200円。

 人気のファミレスチェーンの看板だった。


 財布的には安心だけど、さすがに初デートでこの選択肢はない。

 SNSでは、彼女を連れて行くと「こんな店でも喜ぶ安い女」と言う意味になってしまうと炎上していた店だったはずだ。


「香坂くんはイタリアンは好き?」

「えっ、あっ、はい。スパゲティとか、好きですよ」


 悩んでいたところに先輩から話しかけられ、反射的に返事をしてしまった。

 まずい……金光先輩の店に行きたいと言いたがるんじゃないだろうか。

 あんな高級店、逆立ちしたって俺には支払えないぞ……。


「そしたら決まりだね、ここにしよう!」

「えっ、は、はい」


 しかし、予想に反して先輩が入っていったのは目の前のファミレスだった。


 * * *


「いっぱいメニューがあって悩んじゃうね! 香坂くんは何にする?」

「いや、俺も悩んじゃってて、考え中です」


 メニューを広げてニコニコしている先輩の質問をごまかす。

 支払いが足りるように、先輩が決めてから残額を計算して自分の注文を決めるつもりだったのだ。


「そうだねえ、じゃあ、色々頼んでシェアしよっか?」

「は、はい!」


 同じ皿から料理を取り分けて食べるなんて、それこそデートみたいじゃないか!

 思わぬ提案にのぼせてしまった俺は、支払いのことが頭から飛んで二つ返事で応じてしまった。


「せっかくだから、この期間限定メニューがいいかな。ええと、これとこれと……」


 先輩がウキウキしながら、注文用の伝票にメニュー番号を書いていく。

 女の子らしい丸っこい字で、丁寧に。

 その細い指先に、俺は思わず見とれてしまう。


「香坂くんは追加したいものある?」

「あっ、いったん食べてから考えましょうか」

「そうだねえ。テーブルも埋まっちゃうし」


 支払いが心配な俺は、そうやってまたも誤魔化した。

 先輩が呼び鈴を鳴らし、店員さんがオーダーを取っていく。


「先輩、ドリンク取ってきますよ」

「そんないちいち気を使わなくていいよ」

「店選びで悩んで歩かせちゃいましたし」

「どうせ帰り道なのに。香坂くんは紳士なんだね」


 そう言って先輩は口に手を当ててくすくす笑う。

 俺は頬が熱くなるのを感じながら、先輩から希望を聞いてドリンクを取ってきた。


「おまたせしました、先輩」

「ありがとう。でも、なんか堅苦しいね」

「何がです?」

「その、『先輩』っていうの。ひょっとして、私の名前を知らない?」


 先輩は烏龍茶をストローでころころと回しながらいたずらっぽく微笑む。

 彼女の名前を知らないなんて、そんなわけがないじゃないか。

 ただ、なんとなく名前を呼ぶのは気恥ずかしくって、先輩と呼んでしまうのだ。


「その……だって、先輩は先輩ですし」

「そんなこと言ったら、3年生はみんな同じ呼び方になっちゃうじゃない」

「そしたら、なんて呼べばいいですか?」

「中西だと、かぶっちゃうもんね」


 文芸部には先輩と同じ名字の人がもうひとりいるのだ。

 中西さんでは区別がつかない。


「『みゆき』でいいよ。これならかぶらないでしょ?」


 先輩の名前は中西みゆきだ。

 言われなくてもフルネームはきっちり頭に入ってる。

 まさか先輩の名前を呼べる日が来るなんて、感動して震えそうになってしまう。


「はい! みゆき……さん」

「じゃあ今後はそれでよろしく!」


 ……とはいえ、呼び捨てできるほど俺の心臓は強くなかった。


「お待たせしました。『豆腐とトマトの和風カプレーゼ』です」


 俺が勝手にドギマギしていると、店員さんが最初の一品を持ってきた。

 トマトのスライスの間に、やはり同じくらいの厚みにカットされた白い豆腐がサンドされている。

 俺は照れ隠しに、その料理にさっそく手を伸ばした。


 豆腐はねっとりと濃い木綿だ。

 トマトは何か下味が付けられているようで、醤油の香りが少しする。

 豆腐と一緒に咀嚼すると、変わった冷やっこを食べてるみたいだ。


「美味い!」

「本当!?」

「いや、変わってますけどめっちゃ美味いですよこれ。食べごたえも結構あるし」

「そう! それはうれしいなあ」

「食べる前からうれしがってどうするんですか。ほら、み、みゆきさんも食べましょうよ」


 俺に促されて、先輩も箸をつける。

 このファミレス「ファミーリャ」はイタリアンレストランではあるのだが、ナイフやフォークだけでなく箸の用意もあるのだ。


「うん、トマトの漬かり具合もばっちりね」

「へえ、このトマトって何かに漬けてるんですね。そんなことまでわかるなんて、みゆきさんって料理が得意なんですか?」

「あっ、えっ、いや、ちょっとだけ、趣味でね!」


 先輩が両の手のひらを振って何やら真っ赤になっている。

 見た目は小動物系のやまとなでしこ、性格はカラッとしていて、そのうえ料理上手だなんて……やっぱり先輩は女神すぎる!


「お待たせしました。『あごだし香る和風クリームリゾット』と『お茶漬け風あんかけスープパスタ』です」


 そんなこんなしているうちに、次の料理がやってきた。

 それを先輩が小皿にテキパキと取り分けてくれる。

 ただ半分こってわけじゃなく、盛り付けもきれいだ。

 もともとそういう分量で作られた料理と言ってもおかしくないくらいだった。


「すみません、取り分けてもらっちゃって」

「さっきドリンク取ってきてもらったんだから、それくらいはさせてよ」


 会話をしながら、自分の皿に手を付ける。

 せっかく先輩が取り分けてくれたのだ。

 本当なら記念写真でも撮った上で永久保存しておきたいところだけれど、そういうわけにもいかないのが悲しいところだった。


 リゾットの方は、ホワイトソースのまろやかな舌触りの中から魚の旨味が立ち上ってきて、固く炊かれた米のぷちぷちとした食感が心地よい。


 スープパスタは面白い味わいだった。

 ロングパスタに透き通った茶色のスープがかけられていて、その上に刻み海苔とあられが散らされているのだ。

 小皿にわさびが別添えされていて、好みで加えればよいらしい。


 フォークでパスタを巻取り、口に運ぶ。

 とろみのついたスープがよく絡んで、ぬるりとした食感が中華焼きそばを少しだけ連想させた。

 それになんだろう? 食べ慣れているのに、パスタでは味わったことがないような不思議な風味が感じられる。


「どう? 美味しい?」

「どっちも美味しいですけど、スープパスタがちょっと変わった感じがしますね」

「具体的には?」

「うーん、なんでしょう……。何度も食べたことがあるはずなのに、パスタとして食べたことはない不思議な感じが……」

「すごい! 香坂くんは舌が鋭いんだね!」


 先輩が満面の笑みでメニューを差し出してくる。

『期間限定!創作イタリアンフェア』と題された一角を、先輩の細い指がさしている。

 目で辿ると、そこには『お茶漬け風あんかけスープパスタ』のアレルゲン表示があった。


「へえ、これって蕎麦粉が入ってたんですね」

「隠し味にほんの少しだけどね」

「すごいなあ。料理が趣味だとこんなところまで気にするんですね!」

「えっ!? あっ、うん。好きだからつい細かいところまで気になっちゃってね」


 メニューが差し出された隙に、これまでの注文金額を暗算する。

 フリードリンクx2に料理3品でたったの1600円弱!

 これならまだまだ強気でいけるぜ!


「みゆきさんは、まだ食べられます?」

「うん、もうちょっと食べたいかな」

「それならこれとか、これとかどうですか?」

「おお、いいねえ。どっちもお腹に溜まりそうだ」


 会計の心配がなくなった俺は、安心して追加の注文をした。

 最後はデザートで締めて、会計はきっちり3000円未満だ。


 割り勘にしようと遠慮する先輩を押し留めて、初デートをおごりで終わらせられたことに、俺は達成感をおぼえていた。


 * * *


 それからの学校生活はまさに天国だった。

 部活の帰りに、みゆきさんとしばしば食事をするようになったのだ。


「おごられっぱなしじゃ先輩として申し訳がないし」


 という先輩の申し出がきっかけだったが、俺の書いている小説に意見をもらったり、創作論を交わしたり、好きなテレビ番組とか推しのVtuberだとか、そんなくだらない話題で盛り上がるようになった。

 高校生の財布なんて限りがあるから、さすがに毎日ってわけではないけれど。


「昨日食べた新メニューもおいしかったですね。あれはリピ確定かも?」

「本当!? それなら、今日もファミーリャに寄って帰ろうか!」

「へえ、ファミーリャなんてファミレスをありがたがるなんて、二人とも本物のイタリアンを食べたことがないんだね。かわいそうに」


 みゆきさんと部室で話していたら、突然会話に割り込んできた男がいた。

 あの初デートの日に店の前を通った、あのメシラン一ツ星の金光先輩だ。


「そりゃあ、俺らに先輩の店で食えるような金はないですからね。それに、ファミーリャだっておいしいですよ」

「本物を知らないからあんなファミレスで満足できるんだよ」


 金光先輩は、長い前髪をさらりと流しながら見下した視線を向けてくる。

 何か言い返したいが、高級イタリアンなんて食ったことがないのは事実だった。


「ははは、ま、うちの店はなにせあのメシラン一ツ星だからね。学生の身分で来られるような店じゃないから仕方がないさ」

「わかってるんならいちいち絡まないでくださいよ」


 返す言葉に思わず毒がこもってしまう。

 そりゃあ俺だって、みゆきさんと食事に行くなら格安ファミレスなんかじゃなく、金光先輩がやってるような高級レストランに行きたいさ。

 自分の甲斐性のなさが嫌になってくる。


「それは悪かったね。今度うちの店の定休日にさ、この僕が自ら腕をふるって本物のイタリアンを食べさせてあげようって会をやるから、そのお誘いだったんだよ」


 誘いのつもりであんなセリフを言ってたんだとしたら、こいつは絶望的にセンスがないな……。

 よし、何がなんでも断ってやるぞ!


「みゆき君はどうだい? ファミーリャなんかじゃ絶対味わえない料理を提供するよ」

「うーん、せっかくだから行ってみようかな」

 

 って、みゆきさん!?

 梯子を外された気分に一瞬なるが、そりゃそうだよな、とすぐに納得してしまう。

 先輩だって、ファミレスと高級イタリアンじゃあ本当は後者に行きたいに決まってる。


「それで香坂君も来てくれるのかな?」

「え、ええ、もちろん行きますよ……」


 みゆきさんが行くのを放っておいて、俺が行かないわけにはいかない。

 自慢の料理をだしにして、みゆきさんを口説く金光先輩の姿が脳裏をよぎってしまったのだ。


 * * *


「やあやあ、みんな。今日は僕のためにお集まりいただいてありがとう」


 金光先輩主催のパーティには、文芸部員の全員が招待されていた。

 部員は総勢12人。

 店には金光先輩しかいないがこんな人数の料理をひとりで作れるものなんだろうか?


「ははは、侮ってもらっちゃ困るよ。今日はこのオープンキッチンで僕の腕前を見てもらおう」


 金光先輩の店、テゾーロには中央にキッチンスペースが用意されていた。

 椅子もテーブルも、インテリアもいかにも高級そうだ。

 高級店なんか人生で一度だって来たことがない俺は、どうにも居心地が悪かった。


「この店の名前、テゾーロはイタリア語で財宝って意味でね。調理過程もパフォーマンスとして魅せて、最高に贅沢なひとときを演出するのが、うちの店のウリなのさ」


 ぺらぺらとしゃべりながら、金光先輩が調理を進めていく。

 素人目に見ても、その手付きはあざやかだ。

 あらかじめ用意していたらしい生地を鉄板に薄く広げて焼きはじめる。

 クレープ状に焼けたその上に、ハムとチーズと卵を乗せて折りたたんだ。

 黄金色の黄身がきっちり中央に収まって、一枚の絵画のような美しさがあった。


「未成年だからね、アペリティーボ食前酒ストゥッツィーノおつまみは省略だ。まずは蕎麦粉のガレットから味わってくれたまえ」


 金光先輩の操るフライ返しがすいすいと動いて、完成したガレットが平皿に次々と載せられていく。

 まるで手品でも見せられているような気分だった。


「さすがにひとりじゃサーブまではできないからね。出来上がったものは各自で取って、立食形式で味わってほしい」

「おおー! 美味そうだな! こんなの食ったことねえよ!」

「すごーい! インスタ映えしそう!!」


 出来上がった料理に部員たちが次々と群がっていく。

 みゆきさんはすぐに動かず、調理の様子を真剣な様子で見つめていた。

 うう、金光先輩の華麗な手さばきに見惚れてしまっているのだろうか。

 料理男子ってなんか格好いいもんな……俺も少しは料理ができるようになった方がいいだろうか?


「おや、山口君は食べないのかい?」


 ほぼ全員がガレットを受け取ったあと、一人だけ手を伸ばさずにいた山口さんに金光先輩が声をかけた。

 このガレットは、悔しいけれどたしかに美味いし見た目もきれいだ。

 山口さんはどうして食べようとしないんだろう?


「ごめんなさい、言ったと思うんですけど、蕎麦アレルギーなんです……」

「あーあ、そうだったっけ? 僕のガレットが味わえないなんて残念だけど、アレルギーじゃしょうがないね」

「すみません、せっかく作ってもらったのに……」

「いいよいいよ! 蕎麦粉を使ってるのはこれだけだからさ! 次の料理から楽しんでおくれよ」


 なるほど、山口さんは蕎麦アレルギーだったのか。

 それなら手を伸ばさないのも当然だ。

 しかし、事前に聞いていたのにアレルギー食材を出すとか何を考えてんだよ……。


 そんなことを思わず口にしたくなり、みゆき先輩に視線を移すとガレットを食べながらも引き続き金光先輩を凝視していた。

 目つきが真剣すぎる。これが恋する乙女ってやつだろうか……。

 ちょっと凹んできた。


 俺の落ち込みなんかとは関係なく、金光先輩が次々と料理を繰り出してくる。

 腹立たしいが、どれも美味いし見た目もきれいだ。

 味についてはファミーリャよりちょっと上かなってかんじだけれど、たぶん、俺が貧乏舌だから微妙な違いがわからないのだろう。


 さっきはガレットを食べられずに残念そうにしていた山口さんも美味しそうに料理を口にしている。

 みゆきさんも、「どれも一級品の素材だね」なんてつぶやきながら食べていた。


「いよいよセコンド・ピアット。いわゆるメインディッシュだね」


 金光先輩が、フライパンにバターをたっぷりと溶かす。

 それに衣をまとわせた肉を投入。

 油が弾ける音とともに、なんとも言えない香ばしい匂いが拡がる。

 なんだかトンカツを連想するが、どういう料理なんだろうか?


「これはコトレッタ・アッラ・ミラネーゼ。平たくいえばミラノ風カツレツだね。厳選した仔牛肉を衣で包んで旨味を閉じ込め、カリッと揚げた一品さ!」


 金光先輩が、見事なきつね色に揚がったそれを包丁で切り分ける。

 ザクザクと小気味の良い音。

 一口大に切り分けられたそれを口の中へと運ぶ。

 カリッとした衣を歯が突き破ると、柔らかい肉からじんわり肉汁があふれてくる。


 肉の繊維がほぐれ、あっという間に消えてしまうが、飲み込むのが惜しくていつまでも噛んでしまう……うう、これが高級肉の味わいってやつなのか?

 だが、なんだか肉とは違う独特の香ばしさが混じっている。


 小麦畑の中に一本だけ雑草が混ざっているような、そんな不思議な感覚。

 この香りはどこかで感じたことがあるはずなのに、なかなか思い出せない。


 どうも引っかかってしまって気持ちが悪い。

 みゆきさんの意見を聞いてみようかとそちらを見ると、不思議そうな顔でカツレツを味わっているところだった。


 そうだ、この香りは――みゆきさんと初めて食事をしたときの!


「山口さん、それ食べちゃダメだ!」

「きゃっ!」


 いままさにカツレツを食べようとしていた山口さんの手からフォークをはたき落とす。カツレツの刺さったフォークが金属音を立てて床に転がった。


「おい! 香坂っ! 僕の料理に何をしてくれるんだ!」


 俺の突然の行動に、金光先輩が掴みかかってくる。


「何が僕の料理だ! なんてもの食わせようとしてるんだ!」


 胸ぐらの手を振り払おうとするが、想像以上に力が強い。

 金光先輩の右手が振り上げられ、俺は歯を食いしばった。


 ――そのときだった。


「やっぱり、香坂くんの舌は鋭いね」


 金光先輩の右腕が、みゆき先輩の細い手に捕えられている。

 振りほどこうと身動ぎしているが、まったく動かせないようだった。


「なんて馬鹿力だっ! 離せっ!」

「1年じゅう鍋を振っていれば、嫌でも力はついちゃうからね」

「くっ、くそっ! こいつは僕の料理を台無しにしたんだぞ!」

「その気持ちはわかるけど、もともと出しちゃいけない料理なんだよ」

「何をわけのわからないことを! 僕の料理はどれも美味かっただろ!!」

「味の話じゃないよ。香坂くんは、それがわかったから止めたんだ」


 俺に視線を振るみゆきさんの顔は、普段のおっとりした雰囲気からは想像もつかない凛々しい表情だった。

 その迫力に若干気圧されつつ、俺は言葉をつなぐ。


「そうです。これ、蕎麦粉が入ってます」

「えっ!? 蕎麦粉が!?」


 さっきカツレツを食べようとしていた山口さんが、怯えたように半歩下がった。


「言いがかりはよしてくれ! どうやったらコトレッタに蕎麦粉なんて入るんだ!」

「そうだね、原因として考えられるのは……」


 騒然とする部員たちを尻目に、みゆきさんがオープンキッチンに入っていく。

 そして視線をめぐらして、ひとつの調理器具で目が止まった。


「たぶんこれだね。香坂くん、匂いをかいでみて?」

「は、はい」


 みゆきさんが差し出してきたのはひとつの粉ふるいだった。

 言われたとおりに匂いを確認すると、ほんのわずかに蕎麦の香りがする。


「ガレットの生地作りで使った粉ふるいを、ちゃんと洗わずにコトレッタに使いまわしちゃったんだね?」

「うっ……」


 みゆきさんの質問に、金光先輩が言葉をつまらせる。

 だが、すぐに気勢を取り戻してみゆきさんに怒鳴りかかった。


「うるさい! これくらい何だって言うんだよ! 多少のことは我慢しろよ!」

「多少のこと……だって?」


 みゆきさんの表情がさらに険しくなる。

 こんな顔のみゆきさんはこれまで一度も見たことがない。


「どうせお前らはファミーリャごときの下等な味で満足してるんだ! この僕の、メシラン一ツ星の味がただで食べられるんだぞ! 感謝はされても文句を言われる筋合いなんてない!」

「これがメシラン一ツ星の味ですって?」

「ああそうだ! お前ら庶民の舌にはわからないだろうけどな! 不満なら自分で作れ!」


 金光先輩がコック帽を床に叩きつけ、すさまじい形相でみゆきさんをにらみつける。

 ところが、みゆきさんはまるで意に介した風でもなく、さらっと言ってのけた。


「そう? 作っていいなら、キッチンを借りるね」

「は? 正気で言ってるのか……?」


 唖然とする金光先輩をよそに、みゆきさんは長い黒髪をまたたく間に束ねてひっつめ髪にした。

 セーラー服の袖を肘までまくり、丁寧に手を洗う。


 それからが、圧巻だった。


 金光先輩の調理がおままごとだったと感じられてしまうほどに流麗な手さばきで、次々に同じメニューを創り出していく。

 そして、同じ素材、同じ環境のはずなのに、みゆきさんが作ったもののほうが格段に美味いのだ。


「すげえ、こんな美味いもの食べたことないぜ!」

「悪いけど、これと比べたら金光先輩のはぜんぜん普通だったってかんじ」

「美味すぎて涙が出てきた……」


 部員たちが口々に褒めそやすのを、金光先輩は「これだから味がわからない庶民は嫌いだ!」などと悪態をつきながらふてくされている。


「それからこれ、山口さんだけ特別に。ガレットは蕎麦粉じゃなくても作れるから」

「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」


 蕎麦粉のガレットを食べられなかった山口さんが、小麦粉だけで焼いたガレットを満面の笑みで味わっている。


「金光先輩の料理がメシラン一ツ星なら、中西先輩のは三ツ星間違いなしですね!」

「いや、本当のメシラン三ツ星っていうのはね……」

「誰だッ! 定休日に勝手に店を使っているものは!」


 その老人が店内に突然入ってきたのは、山口さんのおだてにみゆき先輩が返事をしようとしたときのことだった。

 立派なスーツを着た白髪の老紳士が、店のドアを開けて入り込んできたのだ。


「げっ、じいちゃん!?」

「タカフミ! やっぱりお前の仕業だったか!」

「こ、これにはわけがあって……」

「問答無用!」


 老人は金光先輩の脳天をげんこつで思い切り殴りつけた。

 金光先輩は涙目になってうずくまっている。


「大方、友達に料理を自慢しようと店を勝手に使ったのだな。お前のような未熟者が客に食わせる料理を作るなど百年早いわ!」

「わ、悪かったよ、じいちゃん。でも僕だって少しは腕を上げたんだ……」

「ふん、そこまで言うなら味を見てやる」


 そう言うと老人は、カウンターキッチンに残っていた料理を食べはじめた。

 はじめは疑わしげな表情で、やがてどんどんと真顔になり、頬が紅潮していく。


 やばい……なんか怒ってるのかな?

 っていうか、あの料理ってみゆき先輩が作ったやつなんだけど!?


「あ、あのそれは金光先輩が作ったやつじゃ……」

「美味いッ! 文句なしに美味すぎる!!」

「ええ!?」

「この味は……わし自身が全力を尽くしても到底……いや、わしが目指した味に限りなく近い……」


 俺が訂正する前に、老人が料理を絶賛しはじめた。

 あまつさえ、涙さえこぼしそうな勢いだ。


「じ、じいちゃん。それは僕が作ったものじゃないよ」

「ふん、そんなことはわかっておるわ。お前にこんな料理が作れるはずがない」

「いくらなんでもひどいよ、じいちゃん! あんなファミーリャで喜ぶような女が作ったものが美味いわけないじゃないか!」

「なんだとォ……!」


 今度は老人の顔が赤黒く染まり、金光先輩の脳天を再びげんこつが襲う。


「ファミーリャの前身である『カーサ・ディ・ファミーリャ』はな、日本初のメシラン三ツ星を辞退したという伝説の店なんじゃぞ!」

「はぁ!? 三ツ星を断った!?」


 金光先輩が殴られた頭をおさえながら聞き返した。


「何を隠そうわしもな、カーサ・ディ・ファミーリャの味に感動して料理の道を志したんじゃ。この味は、わしが目指したあの味に限りなく近い。この歳になって再びこれが味わえるとは思わなんだ……」


 老人がハンカチで涙を拭いだした。

 いったい何が起きてるんだよ、これ!?


「この料理を作ったのは、オープンキッチンに入っている彼女じゃな」

「えっ、あっ、はい」

「教えてほしいが、お嬢さんは中西龍児りゅうじ氏にゆかりがあるのではないかね?」

「はい、中西龍児は私のおじいちゃんです」

「そうか、そうか、よくこの味を引き継いでくれた……」


 老人が彼女の手を握り、その場に崩れ落ちてぼろぼろと泣きはじめる。

 いやホント、これ何が起きてるんだよ……?


 * * *


 いまいち事情が飲み込みきれないまま、混乱の中、食事会は解散となった。

 俺とみゆきさんは帰り道が一緒ということで、二人で夜道を歩いている。


 いや、本当は回り道なんだけど、夜中に女の子ひとりで歩かせるわけにはいかないし、みゆきさんと一緒にいられる時間を増やす口実になるし、気になることも多すぎた。


「ごめんね、いままで黙ってて」

「えっ、何がですか?」

「私がファミーリャの関係者だってこと……」


 いつもカラリと話すみゆきさんが、珍しく言いよどんでいた。


「そんな、ぜんぜん気にしてないですよ!」

「ご飯に行くときはいっつもファミーリャだったし」

「いやいや、身内の店なら贔屓したくなって当然です!」

「それに、正直な味の感想を聞いてみたいって気持ちもあったんだよ……」


 それからはほとんどみゆきさんの独り言だった。

 おじいちゃん子だったみゆきさんは、祖父中西龍児の影響を受けて、幼いころから料理の研究に打ち込んでいたそうだ。

 遺伝なのか、才能に恵まれた彼女はいまではファミーリャのメニュー開発にまで携わっているらしい。


「……って、さらっと言ってますけど、高校生でメニュー開発とかすごすぎませんか!?」

「あはは、普通の環境だったらいくら料理が上手くったって無理だよ。たまたま実家に恵まれてただけって話」


 あの腕前でそんなわけはないんじゃないか、と思うが、俺は料理のことも、飲食店経営の世界もまるで知らない。

 軽々と返事をしてはいけないと感じて、何も答えられなかった。


「それでね、どんなメニューでも私が作ったって聞くと、従業員のみんなは美味しいとしか言ってくれないし、それが本当なのかわからなくて悩んでたんだ」

「そうだったんですか……」


 平凡な家に生まれた俺には、そんな悩みが存在することすら想像もしていなかった。

 気の利いた言葉のひとつも思い浮かばず、代わりに道端の小石を蹴っ飛ばす。


「だからね! はじめて二人でファミーリャに行ったとき、香坂くんが『美味しい』って言ってくれてうれしかったんだよ! 細かな工夫にまで気がついてくれて、料理を作ってきて本当によかったと思えたんだ!!」


 なるほどなぁ、だからあんなに喜んでくれたのか。

 彼氏気分で浮かれていたけれど、みゆきさんからしてみたら味見係だったのか。


 それでもみゆきさんの役に立てたのならいいのだけれど、本音のところでは凹んでしまうのは否めない。

 思わず、うつむいて目をそらしてしまう。


「でもね、それだけじゃないんだよ」

「それだけじゃない?」


 視線を上げると、そこには少し赤くなったみゆきさんの顔があった。


「カーサ・ディ・ファミーリャって、イタリア語で『家族の家』って意味なんだよね」

「家族の……?」

「おじいちゃんが、来たお客さんみんなに実家みたいに安心して美味しいご飯が食べられるお店にしたかったんだって」

「ああ、もしかして、それでメシラン三ツ星を断ったんですか?」


 メシランの星付きといえば、素人の俺だって名店の証だと知っている。

 予約をしても数ヶ月待ちはざらだって話だ。

 みゆきさんのおじいちゃんは、そういうのを嫌がってメシランの星を辞退したんじゃないだろうか。


「うん、それはそうなんだけど、言いたいのはそういうことじゃなくて……」

「えっ?」

「香坂くんといると、家族みたいで楽しいなって……」

「家族!?」


 おおおおおお!? これはなんだ!? えっ、ひょっとして逆プロポーズ!?

 家族になってください的なあれか!? いや待て、まだご両親に挨拶も……待て待て待て待てそうじゃない。それ以前にまだ正式に付き合ってもいないんだぞ!?

 この先は俺の方から言うべきなんじゃないのか!?

 高速で脳内シミュレーションを済ませるんだ。

 みゆきさん、好きです、付き合ってください!

 みゆきさん、好きです、付き合ってください!

 みゆきさん、好きです、付き合ってください!

 よし、シミュレーションはばっちりだ。言うぞ! 言うぞ! 言うぞぉぉぉ!!


「うん、私って一人っ子だからさ、弟ができたみたいでうれしかったんだよ」

「へっ?」


 脳内でシミュレーションしていた言葉が一気にどこかに吹き飛んだ。


「家族はみんな忙しくて、夕飯はいつもひとりだったから、一緒に食べてくれるのもうれしかったし……。だから、また食事に誘ってもらえるといいな!」

「はっ、はい! もちろんですよ!」


 俺の返事を聞いた先輩は、黒髪をさらさらとたなびかせながらスキップをした。

 俺はその背を追いながら、いつか弟ポジションから脱出することを誓うのだった。


 ……ひとまずは、筋トレからはじめようかな。


(了)

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