第44話

 目を開けると、そこはベッドの上だった。

「目が覚めたか」

 久慈原の周りに、数人の目つきの鋭い男たちがいた。その中の一人は、久慈原の知る人物だった。

「……中田刑事。俺はいったい」

 声に出し、何が起きたかを思い出す。先程屋上にいて、名取美咲を殺そうとした時に黒い炎に包まれたと思ったらシーツが飛んできて体に絡まり、バランスを崩して屋上から転落した。

「悪運の強い野郎だ。あの高さから落ちて、身体は軽い打撲程度とはよ。まあ、頭は強く打ち付けたようだがな」

 頭に手をやると、包帯が巻かれていた。手当を受けたようだ。ということは、ここは警察病院だろうか。

 戸惑う久慈原に、中田は言った。

「……お前との約束、果たしてやるよ」

 そして、久慈原に宣告した。

「久慈原浩平、殺人の容疑で逮捕する」

 その言葉に、久慈原は過去の自分の行いを思い出し、戦慄した。俺は何てことをしたのだ。罪もない人たちを何人も殺害した。両親をも殺害した。

 気が狂いそうな程の罪の意識が、久慈原の良心を凌辱していく。

 こんな馬鹿な。俺は罪悪感を感じる人間ではなかったはずだ。それが何故急にこんな気持ちになるのだ。

 過去に殺害した人々の顔がハッキリと思い出された。殺される直前、彼らは憎悪に満ち、苦悶に満ち、恐怖に満ちていた。

 今までは、そんな顔を思い出した所で何も思わなかった。

 警察に捕まったとしても、罪を悔いたりすることなく、死刑を求刑されるものだと思っていた。

 やりたい事をやって死を迎えるのなら、それで良かった。だらだらと六十年、七十年も生きるなどまっぴらだった。

 そんなふうに考えていたのに……。

 久慈原は自分の身体を抱きしめるようにして震えた。頭の中に凄まじい後悔の念が駆け巡る。

 最初に浮かんだのは両親の顔だった。優しくも、懸命に育ててくれた両親。

 母は下半身付随になりながらも、久慈原の服のボタンを付け直してくれたり、車椅子で移動しながらも料理をしてくれた。

 父は父なりに頑張って、家族を支えようと働いてくれていた。久慈原が幼い頃は、キャッチボールや、サッカーを一緒によくした。

 なのに……どうして、俺は両親を殺したのだ。あんなに愛してくれていたのに。

 涙が溢れ出ていた。

「……父さん母さん、俺は何てことを」

「後悔しても遅い。お前は法の裁きを受けるんだよ」

 法の裁き? そんなもので、久慈原の罪はあがなえない。自分自身でもよくわかった。それが例え死刑でもだ。

 俺はもっともっと苦しまなければならない。

 きっと、この先まともに眠ることはできないだろう。死んで償いたいと何度も思うだろう。だが、死を選ぶことだけは許されない。

 遺族、もしくは今まで殺害してきた人たちはきっと、久慈原に最大限の苦しみを与えたがるだろう。自分が、相手側の気持ちになって考えれば、絶対に死刑など生温いと考える筈だ。

 まず、両手両足を切り落とすことはもちろん、両目両耳を潰し、鼻も潰し、舌も切り刻み、五感を完全に奪ってやりたいと考える。

 残虐なことをしてきた自分が思いつく限りのことを、自身に与えなければ気が済まなかった。

 それでも死ぬことを許されずに、芋虫のように這いずり回って味覚を失った口で皿に盛られた食事を食べ、糞尿を垂れ流し、人としての尊厳を失いながらも老衰になるまで生きていく。

 罪に毎日苛まれ、身体の自由を失いなからも、死なないためだけに、苦しみ続けるためだけに久慈原は生きていかなくてはならない。

 だが、一人で牢獄でそんな状態になることは不可能だ。できて、自分の目を潰すことや、身体の骨を折るくらいしかできない。

 その前に死刑が執行されるかもしれない。

 死んだら終わりではないか。

 これでは、自分の罪を贖うことができないではないか。

 不意に、声が聞こえた気がした。

 周りを見ると、中田たち以外に多くの人影がぼんやりと立っていた。

 ───ダイジョウブ。オマエハシナセナイ。ソノノゾミモ、ワレワレガカナエテヤル。クルシミヌイテ、イキテイケ───

 ああ、あなたたちは……。

 久慈原はソレが何なのかを理解した。



 そして、久慈原にとって最も長く苦しい人生が始まった。



 久慈原の症状を医者から聞いた中田は、苦い顔になっていた。

 久慈原は、屋上から転落した際に頭部を強く打ち付けたショックで、高次脳機能障害によって人格が変化したのではないかとのことだった。

 罪を全部自白して、裁判所で涙を流しながら被害者や遺族に対して謝る姿は、とても何人もの命を奪った極悪な犯罪者には見えなかった。

 まるで、悪人に突然良心が芽生えたかのようだった。

 通常の犯罪者でも、更生した場合、良心の呵責に苛まれて一生悔いて生きていく事になる。

 だが、久慈原の起こしてきた数々の犯罪には、弁護の余地なしの死刑の判決が下された。

 悔やんだところでもう遅いのだ。

 悪人の中には、反省も後悔もしないクズがいる。それを思えば、久慈原は、事故で人格が変わったことによって、自身の行いを後悔をすることになった。

 散々悪虐非道な行いをしてきて、死ぬ前に後悔することになるとは、皮肉なものだ。

 金本同様、同情の余地は皆無だった。

 中田は久慈原の死亡の報せを待った。

 だが、どれだけ待っても、その報せはこなかった。

 後で話を聞いたところ、絞首刑に処したのに、突然切れるはずのない縄が切れたとのことだった。

 さらに、後日二回目を行い、死んだと思われたが、直後に息を吹き返したという。

 そして。さらにその後の話を聞いて、中田は全身の皮膚が泡立つのを感じた。

 金本の時と同じだったからだ。

 いや、金本よりも酷い惨状だということを聞かされた。

 内容は聞きたくなかった。だから、久慈原がどんな状態になったかは知らない。

 もうオカルト話は沢山だった。



 金本の逮捕と久慈原の逮捕で、いくつかの未解決事件は解決した。が、今後も犯罪は無くなる事はない。

 そのことを金本がテレビで話していたことを思い出して、頭をふって振り払う。

 中田はデスクの椅子に座り、背もたれに身を預けてスマホを取り出して、森の電話番号を見た。

 彼女の顔が無性に見たくなった。

 中田は森に食事の誘いのメールを打って、送信ボタンを押した。

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