第42話
新藤が救急車で運ばれていった後、美咲と久慈原は職員や施設長に質問攻めにされた。
何があったのか説明できなかった。美咲は、「わたしもよくわからないの」と答えるしかなかった。
「それよりも、藤木さんの記憶が戻ったの!」
その知らせで、職員の興味はそっちに移った。
「本当?」
「はい。本当の名前は久慈原浩平といいます。みなさん、今までありがとうございました」
久慈原は記憶を取り戻した。今はまだ困惑しているだろうから、後でいろいろ聞いてみよう。
美咲は心から喜んでいた。
それよりも、先に研修生たちに聞いておくことがある。美咲はまだ仕事が片付いていないから先に片付けてくるとみんなに伝えて、研修生を連れ廊下に出た。
「さて、どういうことか聞かせて貰える?」
手を腰に当てて、少し威圧的に訊ねた。
三人は困った顔になった。そして、渋々葉山が口を開いた。
「わたしたちもよくわからないんですが、新藤がわたしたちに言った言葉をそのまま言いますね。最初に言いますけど、わたしたちも彼の言うことを信じているわけじゃありませんから」
そう前置きして、葉山は新藤拓真についてかい摘まんで説明した。
話を聞き終えて、美咲は呆れた顔になった。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
新藤拓真が、実は宗馬京子の夫の宗馬正樹であること。復讐するために、進藤拓真という少年の体を借りて蘇ったということ。特別な炎で相手の罪を燃やし、災禍を与える能力を持っていること。
そんな与太話を誰が信じるというのだ。普通ならば、ふざけるな、と怒っただろう。だが、美咲は考えた。拓真の京子を見る目は、悲しみに溢れていた。京子の家族が見せた目と同じだった。それに説明にあったように黒い炎のようなものを体から出していた。異常なことには違いはない。
また頭が混乱してきた。
「……もう、いいわ。頭痛くなってきた」
言った時、久慈原が部屋から出てきた。職員の質問攻めに疲れた顔をしていた。
美咲たちの顔を見て驚いたが、すぐに笑みを浮かべた。
「こんなところにいたんですか?」
「ええ。久慈原さんお疲れ様です。記憶戻ってよかったですね」
美咲は笑みを返した。
「ちょっと屋上の風にあたってきます」
先程のショックがまだ尾をひいているのだろう。美咲は頷いた。
彼が屋上に行ってから、少ししてから様子を見に行こうと考えた。
「あ、あの」と月野が申し訳なさそうな顔で切り出した。
「何?」
「あの人、久慈原さんは記憶が戻ったんですよね。その……事件のことは?」
月野が言いたいことがわかった。彼が本当に京子の事件の犯人かどうか。
「す、すいません!」月野は謝った。
美咲の顔が少し険しくなったからだ。
美咲はため息をついた。
「わかりました。彼にちゃんと話を聞いてきます」
そう言うと、三人は驚いた。
「あの人が本当に殺人犯だったら危険じゃないですか! それに本当のことを話すとは思えないし!」
葉山の言葉に美咲はやれやれと、またため息をついた。
「かと言って警察に連絡するわけにもいかないでしょう? 根拠と言ってもさっきの説明じゃ根拠にはならないわ」
「そりゃそうですけど……」
葉山たちは心配そうだ。
「話と言っても、あなた殺人犯ですかって聞くわけないでしょう。とにかく彼の様子を見に行くわ。あなたたちは、とりあえず施設長の指示に従ってね。今回のことでバタバタしているから今日の研修はもう無理だと思うけど」
三人は顔を見合わせ「はい」と頷いた。
美咲は彼女たちをおいて、久慈原のいる屋上に向かった。扉付近の掃除用具入れのロッカーが半開きになっていて、モップの柄が覗いていた。屋上の扉も半開きだった。先にモップを元にそっと元に戻し、屋上の扉を開けて屋上に出て、久慈原の姿を探す。
屋上には、入所者たちが使うベッドの白いシーツなどがいくつも干してあって、泳ぐように風になびいていた。
突き抜けるような青い空の下で、軽快に走るようなシーツのはためき音が心地よい。
そのシーツの向こう側に、人影が見えた。シーツを避けて進んで見ると、やはり久慈原だった。
その口には煙草が咥えられていて、今まで見たことのない姿に少しショックを受けた。
久慈原がコチラに気づいて、無邪気そうな顔を向けた。
「名取さん」
「久慈原さん、ここで煙草は駄目ですよ。シーツに匂いが染み付いてしまいます」
「あ、そうなんですね。まあ、でも一本くらいなら大丈夫ですよ」
美咲は驚いた。記憶を取り戻す前の彼からは、考えられない返答だった。
「そんな顔しないでくださいよ。俺、煙草が好きだったんです。思い出して久しぶりに吸って、あまりの美味さにちょっと感動していたんですから。一本くらい大目に見てくれてもいいじゃないですか」
そこまで言われては、美咲としても何も言えなくなってしまった。まあ、一本くらいなら、と仕方なく自分に言い聞かせる。
それにしても、記憶を取り戻した久慈原と、記憶を失っていた時の藤木だった時のギャップに驚きと不安を感じずにはいられなかった。
「そう言えば、研修生たちは下ですか? ここに来たのは、名取さんだけですか?」
「……ええ」
「それは良かった。名取さんに、訊きたいことがあったんです」
煙草の煙を吹かして、久慈原は美咲を見た。
「名取さんは、先ほどの高校生が言ったことを信じますか?」
それとなく聞こうとしていた核心を、久慈原に逆に聞かれて心臓が跳ねたように強く胸の中を叩いた。
「……久慈原さんが、京子さんをあんな姿にした犯人だってことですか?」
久慈原は笑みを浮かべて、美咲の答えを待っていた。
彼が犯人? そんな訳ない。藤木だった時、記憶を失って不安な日々が続いただろうに、彼は他人を思いやる心の優しい人だったではないか。職員たちからの評判も良かったし、施設の利用者たちにも優しくしていた。
京子の夫を殺害し、京子をあんな姿にした張本人の筈がない。
「わたしは久慈原さんを信じますよ」
美咲がそう答えると、彼は「ああ、やっぱりあなたはいい人ですね」と、優しい顔で微笑んだ。
久慈原は、屋上扉の近くの綺麗に洗われたシーツに近づいて、その一枚を手に掴んだ。
「あなたの心は、この洗いたてのシーツみたいに真っ白で輝いているんでしょうね」
言われて、美咲は顔が熱くなるのを感じた。そんな恥ずかしいことを言われたのは初めてだった。
「そんなあなただから、俺はあなたに言いたいことがあるんです。聞いてくれますか?」
美咲はその言葉に胸を高鳴らせた。コレは告白ではないだろうか。ちょっと待って。心の準備というものが。
そして、久慈原の口からその告白がされる。
「あの高校生が言っていたのは本当です。俺は、宗馬京子をあんな姿にして、その夫を殺害した殺人犯なんです」
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