第40話

 拓真たちがいる部屋の扉をノックする音がした。

「京子さん、外の風気持ちいいですよ。少し出ましょうか」

 言いながら入ってきたのは先日の女性介護職員と、さらに知った顔の三人だった。

「あ」

 全員の声が重なった。

「新藤君!」

「……何で君らが」

 そう問いかけて、赤坂が言っていた研修生の話を思い出した。そうか。彼女たちだったのか。

 知り合いに見られないように注意を受けていたのに、結局見られてしまった。

「今日からここで研修させてもらってるのよ!」

 拓真を睨みつけ、尖った声で葉山が言った。

 先日、京子の話を聞いて頭に血が昇って、彼女の胸ぐらを掴んだのを思い出した。嫌悪されても仕方がないことをした。

「……君らには感謝するよ。おかげで彼女の居場所がわかった。ありがとう」

 拓真は京子を見て言った。

 葉山たちは拓真の態度に少し戸惑っているようだった。

「でもその人は……」

 月野が目を伏せた。

「わかっている」

 拓真は悲しい目で京子を見た。「……できる限り、俺が面倒見ようと思う。この体でどこまでできるかわからないが」

 三人は何も言わず黙ってしまった。

「……ねぇ、あなたは一体何なの?  何度も聞いたけど、京子さんとはどんな関係なの?」

 女性が眉を潜めて聞いてきた。名札には名取とあった。京子の面倒を見ていく以上、このままとぼけ続けるのにも限界がある。かと言って本当のことを話しても信じてもらえるわけがない。葉山や椎名に話した時と同じだろう。

 拓真が黙っていると、名取が目尻を上げて、少し声を荒らげて言ってきた。

「彼女はね。旦那さんを亡くし、お腹にいた赤ちゃんも亡くしているの。あなたのような人にはわからないような苦しみを抱えているのよ。怪しい行動をとっていると警察呼びますよ」

 彼女の言葉の意味が理解出来なかった。

 今、なんて言った? 赤ん坊? 京子の腹に?

 そういえば思い当たる節があった。事件が起こる一ヶ月程前からよく子どもの話をすることが多かった。

 買い物に行った時でも、玩具売り場や子ども服を見に行くことがよくあった。

 子どもが欲しい催促だと思っていた。

 既に子供が腹の中にいた? そして、あの事件で死んだ?

 名取がなおも何か言っているが、拓真の耳には聞こえていなかった。

 これ以上失うものはないと思っていた。なのに……何故……こんな……。

 拓真の中で、何かが決壊した。ただでさえ、憎悪という濁った液体をその器から溢れさせていたのに、その上から更に無理矢理絶望という濁流を注ぎ込まれたのだ。器は破壊され、流されてしまった。

「聞いているんですか!」

 名取が声を大きくして言った。が、拓真の顔を見てすぐに声を詰まらせた。

 拓真の顔からは感情というものが消えていた。拓真の胸の内にあったのは、犯人への殺意のみだった。

「……うあ」

 月野が怯えた声を出した。葉山も椎名も拓真の迫力に身動き取れない。

 拓真は感情の消えた顔で、呪詛を吐き出すかのようにブツブツとうわ言を呟いた。

 その時───。

「名取さん。僕の方は終わりました。何か手伝いましょうか?」

 男が部屋に入ってきた。見たことのある顔。拓真の脳裏に事件の記憶が完全に蘇った。

 京子に馬乗りになって殴っていた光景。動かなくなった京子の体。拳銃で正樹を撃ち殺し、見下ろす姿。去っていくときに見えた首筋のサイコロの四のような黒子。

 目の前の顔は、正樹を撃ち殺した時の男の顔のものだった。

 拓真は咆哮を上げて男に襲いかかっていた。

 いち早く気付いた名取が、硬直して動けない男の名前を叫んだ。

「藤木さん!」

 名前を呼ばれ、藤木は咄嗟に避けようとしたが、拓真の方が速かった。

 拓真は藤木の首を両手で掴んで、壁に押し付けた。

「何するのよ! 止めなさい!」

 名取が拓真の手を振り解こうと必死に掴んできた。

 さらに葉山たちにも助けを求め、四人がかりで拓真を離そうとする。

「進藤君! ダメだよ!」拓真にしがみつく月野。

「やめなさいよ! いきなり何なのよアンタ!」

 葉山と椎名も、拓真の腕やら身体を引っ張る。

 藤木の顔が苦悶に満ちた顔になってきたのを見て、名取が拓真の手に爪を立てて、さらに噛み付いてきた。

 その痛みで我に返って、拓真は藤木を床に投げつけた。

 藤木は頭を激しく床にぶつけて呻き、苦しさからさらに咳き込んだ。

 拓真は残忍な笑みを浮かべた。

「危うく簡単に殺すところだった。感謝するよ。こいつには永遠に苦しみを与え続けないとな」

 名取が藤木を庇うようにして言った。目には涙が浮かび、足も奮え懸命に藤木を守ろうとしている

「彼が何したって言うのよ!」

「こいつは絶対に許されないことをしたんだよ! だから、俺が裁く!」

「何わけのわからないこと言ってるのよ! あんたおかしいわよ!」

 状況に飲まれていた同級生三人だったが、月野が声をあげた。

「……まさか。この人が?」

 彼女は気付いたようだ。

「そうだよ。こいつが事件の犯人だ。京子をこんなふうにし、俺と俺の子を殺した張本人だ!」

 拓真は怒鳴った。

 怨念の炎がさらに膨れあがり、全身から発せられた。

「……な、何よあの黒いの」

 葉山が怯える。椎名は声も出せない様子だった。

「罪を焼く炎……」月野も怯えながら呟いた。

 拓真の怨念の炎はあまりに濃く他者にも見えるほどまでになっていた。

 それでも名取は拓真を睨みつけていた。

「この人が京子さんをこんな目に合わせた犯人? そんなわけないじゃない!」

「事実だ。そこをどけ!」

 拓真は藤木に歩みよった。名取が覆いかぶさるようにして庇うが、拓真は凄まじい力で彼女の腕を取り横に退かせた。

 藤木は咳込みながら恐怖に満ちた目になっていた。

 拓真は手の平を藤木に向けて、笑みを浮かべて言った。

「お前はこれから何度も何度も俺に殺されるんだ」

 そして、拓真は藤木に右手のひらを向けて、ありったけの怨念の炎を放出した。

 目に見えて黒い炎が藤木を包み込む。

 藤木は悲鳴を上げた。

「藤木さん!」

 名取が叫び、近くにあったタオルで火を消そうと叩いた。だがそんなことで消えるわけはない。

 藤木は最初悲鳴を上げていたが、様子がおかしいことに気付いた。

「……熱くない。え? どうなって?」

「え?」名取は不思議そうに声をあげた。

 黒い炎は藤木を包み込んだままだ。

 最初は笑みを浮かべていた拓真だったが、炎の様子がおかしい事に気付いた。

 魂が燃えていない。よく見れば、魂が罪で汚れておらず、限りなく白に近い色だった。

 罪を燃やし続けるはずの『罪火』は、勢いがなくなり、そして消えてしまった。

「……何で」拓真は驚愕した。

「何で魂が燃えない! お前は罪を犯しただろう! 何で燃えないんだ!」

 拓真の言葉に、月野が「……まさか、記憶がないから?」と呟いた。

 拓真は彼女を見た。

「記憶がないだと? どういうことだ!」

 名取が藤木を庇いながら言う。

「この前あなたに言ったでしょう。記憶喪失の職員がいるって。彼のことよ!」

 記憶がない? それは犯した罪も覚えていないということか。だから今の藤木には罪がないというのか。

「……ふざけるな……ふざけるな!」

 拓真は怒鳴った。

「罪を覚えてないから罪がないだと! そんなふざけた話があるか! お前は、お前は俺の全てを奪ったんだ! お前に復讐するためにこの体で蘇り特別な力を手にしたんだ! それなのに、それなのにこんなことがあってたまるか!」

 拓真は憎悪に満ちた目で藤木を見た。

「罪を焼く炎が効かないのならもういい。直接この手で殺す」

 拓真は言って藤木との距離を詰めようとした。

 その時、月野たち三人も藤木を守るように拓真の前に立ちはだかった。

「あなたたち。何してるの! 早く逃げなさい!」

 名取が叫ぶが、三人は逃げない。怯えながらもその目は強い意思を持っていた。

「何のつもりだ?」

 拓真は低い声で訊いた。

「目の前で人を殺すと言われて黙って殺させるわけいかないわよ」

 葉山が声を震わせながらも気丈に言った。

「記憶のない人を殺してもそんなのはただの人殺しよ。復讐じゃないわ」

 椎名も葉山の隣で言う。

「何も知らないガキが! 知った風な口聞くな!」

 拓真は怒鳴った。彼女たちの心が純粋なのはわかっている。が、今はその純粋さが煩わしかった。

 月野も涙目で声を震わせ、哀しそうに言った。

「今のあなたは新藤拓真君でもあるんですよ。彼の家族のことも考えてください。今ここでその人を殺したら新藤君の家族が不幸になるんですよ」

「そんなことは俺には関係ない! 俺はそいつを殺すために蘇ったと言っただろう! 京子を見ろ! 妻をこんな状態にしたのはそいつだ! 後の事なんか知ったことか! そいつは、そいつだけは俺の手で殺す!」

 三人は動こうとしなかったが、関係なかった。拓真は力づくで退かせようと近づいた。今の自分を止められる者はいない。今こそ復讐を遂げる時だ。

「………」

 そして、拓真の超人的な聴覚がソレを聞いて、歩みを止めた。

「……ま……さき」

 拓真は振り返った。

「……京子?」

 彼女は小さい声で、ひざ元の写真を見つめながら声を発していた。そして、小さく機械的に、正樹の名前を繰り返した。

 正樹は京子に駆け寄って叫んだ。

「京子! 俺だ! 正樹だ! わかるか!」

 京子は無反応だ。心を見たが感情がこもっていない。何もわからずにただその単語を言っている状態だった。 

 だが彼女に何かしらの変化があったことは確かだ。

 拓真の頬を涙が伝い落ちた。いつか京子は元に戻れるのではないか。拓真にとってそんな希望を抱くには充分な変化だった。白いアネモネの花が『希望』をくれたのだ。

 この瞬間、拓真の憎しみは今、完全に霧散していた。と、同時に世界が歪んだように見え、拓真は強烈な目眩に襲われた。

「何だ?」

 体を支えることができなくなり、拓真は床に倒れた。視界が暗転する。

 頭に激しいノイズが走り、意識が遠のいていく。

 真野は言っていた。副作用で、体が動かなくなる可能性もある、と。だがまさか、このタイミングで? 何故? もう少しで復讐ができて、京子にも希望が持てたというのに。

 希望が芽生え、憎悪が薄まったからか? 

 拓真は、あの日京子を失った時と同じように、京子を見た。

「……京……子」

 絞るように声を出し、そして、拓真の意識は途絶えた。

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