第38話
警察署内の自分のデスクで、中田はパソコンを睨みつけていた。
藤木に言われて、犯罪者のデータベースに出てくる顔写真をただひたすら見ていたのだ。
日本中で起きた犯罪の詳細がここに集約される訳だが、ここ五、六年だけでも膨大な量だった。
日本は比較的安全な国だという。確かに、拳銃が蔓延っている国と比べれば、そうなのかもしれないが、それでも本当にこの国が安全かと言われれば、中田はこのデータベースの量を見て違うと答える。
藤木に言われた通り、彼の顔を探してみるが、やはり休憩時間で探すには無理があった。
聴き込みの際に、彼の顔写真を見せて聞くと言うのも、気が進まなくてやっていない。
本当の名前が分かれば、それなりに調べることもできただろうに、何で身分証を持ってないんだよ。
中田は内心で毒づいた。
パソコン前でため息をついていると、先輩刑事から声をかけられた。
「中田、ちょっと来い」
先輩のしかめ面に、何かしでかしただろうかと不安を覚えた。
「なんでしょうか?」
「金本からの指名だ」
一瞬、何を言われたか分からなかった。金本は今刑務所の独房にいる。
一度、他の囚人たちと同じ房に入れられていたが、金本に恨みを持つ者が多くて、何度も彼は殺されかけていた。よって、金本は独房入りになったのである。
「指名? 金本が? 何で俺を?」
「さあな。とにかく、お前に話したいことがあるそうだ。まあ、俺もお前らの会話には立ち会うがな」
中田は不思議に思いながら、パトカーに乗って金本が収容されている刑務所へと向かった。先輩刑事は愛用の白バイがあって、それに乗って向かった。
独房内の金本の姿は、中田が目を背けたくなるほど無惨だった。
両手首はなくなり、左足も膝から下がない。眼球も一つ潰れたらしく眼帯をしている。話によると、睾丸も一つ潰れているらしい。
頬はこけ、口周りの髭が無差別に伸びていた。顔は青白く、以前見た鋭気溢れていた金本とは別人だった。
先輩刑事が、引き攣った笑みを浮かべて言った。
「……中田、俺はオカルトとかは信じないタイプだったが、金本の姿を見て『呪い』とかそういうもんはあるんじゃないかって思うようになったよ」
金本の姿は、その肉体と精神を何かに少しずつ貪られているようだった。『呪い』と聞いて、物凄くその言葉がしっくりときた。
独房の壁を背に座り込んでいる金本の周囲の暗がりに目を凝らすと、何かがいるように見えた。背筋が寒くなり、思わず身震いしてしまった。
金本と目が合った。
「……よお、中田ぁ。元気そうだなぁ」
声がしゃがれていて聞き取りにくい。
「……俺に何のようだよ?」
組んでいた時は敬語だったが、今や金本は犯罪者だ。敬語を使う必要もない。
「ああ。お前に教えてやれって、コイツらがうるせえもんだからよ」
「コイツら?」
「俺をこんな身体にしているヤツらだよ」
金本が何を言っているのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。目に見えないソレを認めたくなかった。
金本には何か見えているのだろうか。先輩刑事が言うように、『呪い』をかけている何かが。
「俺だけがこんな目に遭うなんて納得いかねぇ。せめて、アイツにも同じ目に合わせねえと俺の気がすまねえんだよ」
「さっきから何言ってるのか、さっぱりわかんねえよ。狂人の戯言を俺に吹き込まないでくれ」
背を向けた中田に、金本が言った。
「お前を以前可愛がっていた女刑事、死んでなおお前のことが心配らしいぜ。何せ、お前は殺人犯と仲がいいからな」
中田は先輩刑事を見た。彼は頭を指でくるくる回した。金本がイカれていると言いたいのだろう。全く同感だった。
「
中田は目を見開いて、金本を見た。
どういうことだ。何故、金本が藤木を知っている? それに、本名が久慈原浩平だと?
「久慈原は、俺の協力者だったヤツだ。邪魔なヤツを排除してくれたし、代わりに俺はアイツの事件をもみ消したりした。それを、お前の先輩だった女刑事に知られた。だから、俺は始末したってのによ……。化けて出てくるなんて想定外だよ」
相変わらず言っていることは意味不明だが、とにかく金本の協力者の名前が出た。これによって、捜査に大きく進展があるはずだ。先輩刑事の顔を見ると、緊張した面持ちになって頷いた。
「中田。房にあまり近づくなよ。俺は先に、久慈原浩平とやらを調べてくる」
そう言って、先輩刑事は出て行った。
中田は再び金本を見て訊ねた。
「何で、俺が藤木と一緒にいたことをアンタが知ってんだよ。アンタはずっと独房にいただろうが」
「だからよ、この前、お前が俺の聴取に立ち会った時、コイツ、お前についていって、しばらく様子を見ていたんだとよ。俺を苦しめる悪霊のくせによ」
「だからアンタはさっきから何を言っているんだ!」
先ほどから悪寒が止まらない。何なのだこの寒気は。独房がこんなに寒いはずがない。
「とにかく、俺がお前に言いたかったのはそれだけだ」
そう言って、金本は周囲を窺うように視線を彷徨わせ、「……これでいいんだろ?」と何かに訊ねた。
見えない何かに怯えているようだった。
中田は逃げるように刑務所を出て車に乗り込み、そのまま金本の情報を整理しようとした。
不可解ではあるが、金本が何故、中田と藤木が一緒にいたのを知っていたかは、今はどうでもいい。悪霊がどうとか、ソイツが中田について行ったとかいう話も、今は考えない。
そんなことよりも、藤木が殺人犯だと言わんばかりの口ぶりが気になった。
彼は記憶喪失だ。その記憶喪失が起きたのはいつだったろうか。確か、五月の中頃と言っていなかっただろうか。
五月の中頃───それは、宗馬家で事件があった時期と重なる。彼が発見された場所も、宗馬家からそう遠くない。これは偶然だろうか。
もう一つ、中田の頭に疑念が形成された。進藤拓真のことだ。彼もまた同時期に記憶を無くしている。コレも偶然なのだろうか。
藤木亮人がもしも宗馬家を襲った殺人犯だとしたら。
───もし、僕が犯罪者だったら、逮捕してください。
藤木はやはり薄々気づいていたのか? 記憶の扉の中にいたのが、殺人鬼だということに。
嫌な想像を廻らせ、名取に電話をかけた。繋がらない。
胸騒ぎがした。
中田は、車に乗り込み名取の務める障害者施設へと車を走らせた。
そこに、胸のポケット内のスマホが震えた。
先輩刑事からだった。
「久慈原のことがわかったぞ! 野郎、金本と並んでとんでもねえ極悪人だ!」
先輩刑事から告げられた久慈原の素性は、数日前に出会った藤木亮人と同一人物とは思えないものだった。
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