第37話
施設の朝礼時に、赤坂施設長から、今日三人の高校生の研修生が来ることが伝えられた。
午前九時ぐらいに来るので面倒を見てやるように、とのことだった。
美咲はすぐに、森の学校から来た研修生だとわかった。新藤拓真と同じ高校だというから、後で話を聞いてみよう。
それにしても、昨日の進藤の様子には驚いた。結局一日、京子の傍を離れなかったのだ。悲痛とも取れる表情、あれはいったい何を意味しているのだろう。一体彼は京子のなんなのだろう。さすがに恋人というには、ないことはないだろうが違う気がする。京子の家族が面会に来た時の悲痛な顔……それに似ていたが、そんな訳がないと考えを振り払った。
考えたところでわかるはずもない。とりあえずは仕事に集中することにした。
いつもの作業をしているうちに九時になり、三人の研修生が入ってきた。
自己紹介で、三人は葉山、椎名、月野と名乗った。
作業着は、彼女たちが持ってきた、学校の赤のジャージに着替えての作業となる。美咲と藤木が三人の面倒を見ることになった。
順に部屋を見て回り、それぞれに指示を出していった。
「月野さんは、シーツのセッティングをお願いします。葉山さんは部屋の掃除を。椎名さんはこっちを手伝ってもらおうかな」
三人は元気に「はい」と返事した。藤木には「伊藤さんのトイレと着替えを」と別の部屋の入所者のことを頼む。
「はい。わかりました」
藤木は敬礼をして言った。美咲は苦笑しながら、
「……ちょっとやめてくださいよ。何かわたしが厳しい上司みたいじゃない」
「実際ここではベテランじゃないですか。それに僕の命の恩人だし」
そのやり取りで、研修生たちが興味に満ちた目で美咲と藤木を見てきた。
美咲は苦笑混じりに言った。
「とりあえずは仕事に集中してちょうだいね」
三人はまた「はい」と元気に返事した。
彼女たちの動きは機敏で要領が良く、思ったよりも効率よく仕事ができた。
「介護の経験あるの?」
「いえ、全然です」
「へぇー、要領いいわよ。あなたたち」
「本当ですか? ありがとうございます」
彼女たちは素直に喜んだ。
仕事も思ったよりも早く段取りが進み、次の京子の部屋に移動した。
「京子さん。おはようございます」
明るく言って中に入る。「宗馬京子さんよ」
紹介した時、彼女たちの目が見開かれた。
「……え? 宗馬京子さん? その人って、ひょっとして隣町で起きた事件の?」
京子の名前を聞いただけで、二ヶ月程前の事件に結びつけたことに、美咲は驚いた。本当は、何も知らないふりをして作業を進める予定だったが、知っていたのなら話は別だ。
「……廊下に出ましょうか」
本人を目の前にして説明するわけにもいかず、いったん部屋の外に出て、京子がここに来るまでの経緯を簡単に説明した。
説明を聞いた葉山たちは視線を交わせて、顔を少し青ざめさせていた。
無理もない。事件の被害者で、植物状態で、夫を失った京子の話は、普通の女子高生たちには刺激が強すぎる。
今はこれ以上、京子の姿は見せない方がいいと美咲は判断した。
一旦、三人には休憩してもらって、その間に自分たちが京子の介護を終わらせることにしよう。
「三人とも、少し早いけど休憩しましょうか。休憩室は今朝、朝礼を行った場所よ。わたしたちもすぐにいくから先に行っててね」
葉山たちは、はい、と小さく返事をして、先ほどまでの機敏な動きとは打って変わって、重い荷物を背負わされたかのような動きで休憩室に向かった。
美咲は溜息をついた。完全に自分のミスだ。普通の女子高生が、京子の事を知っているわけがないと思い込んでしまった。隣町で起きた事件とはいえ、被害者の名前をいちいち全部覚えている人なんていないと判断したから、こんなことになったのだ。
反省をしていると、作業を終えた藤木が美咲の元に戻ってきた。
「あれ? JKたちはどうしたんですか?」
藤木の言い方に唇を尖らせ、美咲は自分のミスを彼に伝えた。
すると、藤木は戯けた口調で美咲を励ました。
「……仕方ないですよ。事件なんて毎日起きているんですよ? 被害者や犯人の名前なんて、全部は覚えないでしょう。ましてや、一月以上の事件なんて尚更です」
「そういう思い込みが、今回のわたしのミスに繋がったんですよ。反省は後でするとして、葉山さんたちが休憩している間に、京子さんの部屋を終わらせましょう」
美咲たちは京子の身の回りの世話を終えて、それから休憩室へと三人の様子を見に戻った。
休憩室の扉は少し開いていた。開けようとした所で、声が聞こえてきて、その手を止める。
「いつまでも落ち込んでいられないわよ! 介護を必要としている人たちにも、色々な事情があるのはわかっていたことでしょう?」
葉山の声だった。それに続いて、椎名の声も聞こえた。
「そうね。宗馬京子さんの名前を聞いた時は動揺しちゃったけど、みんな多かれ少なかれ何かを抱えてここにいるんだもんね。わたしたちは、彼らの支えになってあげないといけないのに、こんなことじゃダメだよね」
驚いた。最近の女子高生というのはこんなにもしっかりしているものなのか。美咲の高校時代は、水の流れに身を委ねるように、成り行き任せに周りの考えに同調して過ごしていたものだったというのに。……自堕落だった自分と、他人を重ね合わせるのが失礼というものか。
「強い子たちですね。ああいうのを見ると──」
藤木が言いかけて、途中で口を抑えた。
ああいうのを見ると? その続きが気になったが、きっと美咲と同じ事を思ったに違いない。
───わたしもしっかりしなきゃね。
葉山たちの言葉を聞かなかったことにして、扉を開けて中に入った。
美咲たちの姿を見て、ソファに座っていた三人は立ち上がってまず頭を下げて謝った。
「すいません。研修にきてご迷惑をお掛けして。もう大丈夫ですから」
美咲は微笑んで、「いいのよ。わたしたちも、少し休憩するから」
言って、奥の給湯室でインスタントコーヒーを二人分入れて、デスクに座っている藤木の前に置いた。
「ありがとうございます」
美咲も自分のデスクに座ってコーヒーを口に含む。
「あの」と、月野が話しかけてきた。
「さっき、名取さんが藤木さんの生命の恩人って話、聞いてもいいですか? あ、もちろん差し支えなければですけど」
美咲は藤木の方を見て、話していいかアイコンタクトで訊くと、彼は頭を照れ臭そうに掻いて頷いた。
「あれは、五月の半ば頃だったかしらね」
話は雷雨の日に彼が配電線に絡まっていてところから、記憶喪失、そして現在に至るところまでをかい摘まんで話した。
「……記憶喪失?」
三人は驚いて、藤木を見た。
「そうなんだよ。名取さんに助けて貰った以前の記憶が全くないんだ。言葉とか、箸の使い方とか、日常の動きに関することは問題ないんだけどね」
美咲は、進藤拓真のことを聞くならここだと思った。藤木の記憶喪失を利用するみたいで気が引けたが、進藤がどうしても気になって仕方がない。
「先日、奈美ちゃん──じゃなくて、森先生に出会った時に聞いたんだけと、あなたたちの学校にもいるんでしょう? 記憶喪失の男子生徒。名前は進藤拓真くん」
「え!」三人はまた同時に驚いていた。この反応、間違いない。
「やっぱり、彼がそうだったのね。先日からこの施設に頻繁に来るようになったんだけど、彼、本当に記憶喪失なの?」
藤木が美咲の言葉に反応した。
「どういうことですか? 森さんが言ってた記憶喪失の生徒がここに来ているって、初めて知ったんですけど」
「ああ、藤木さんは休みだったしね」
進藤がここに来始めた日から、藤木は連休を取っていた。
「……そうか。同じ記憶喪失同士だから、不安とか悩みとか分かり合えると思ったんだけど。次来たら、教えてくださいね。それで、その子がどうかしたんですか?」
話の路線が戻って、美咲は頷いた。
「近くで藤木さんを見てきたからわかるんだけど、彼の場合、どうも記憶喪失って感じじゃないと思うの。京子さんに毎日会いに来るし、表情も凄く辛そうだし」
「やっぱりこの前のあの後……」
月野のつぶやきを美咲は聞き逃さなかった。
「何か知っているの? あの子は一体なんなの?」
「あ、いや、えとその、何て説明したらいいか」
しどろもどろになって三人で顔を見合わせている。
「……正直、わたしたちも混乱しているというか」
美咲と研修生を交互に見ていた藤木が言った。
「事情がよくわからないけど、名取さんはその男子生徒が気になるわけだ」
「うん。京子さんといったいどんな関係だったのか。野暮なことなのかもしれないけど、どうも気になってしかたないのよ」
昨日、進藤自身も言っていたことだ。他人から見て、自分の行動がおかしいとわかっているようだった。だが、それに対して説明はできないとも言っていた。
「そもそも、彼は何で記憶喪失なんかに? 彼も事故にあったの?」
聞くと、三人とも顔を曇らせ、顔を見合わせた。少しして月野が答えた。
新藤拓真はクラス内でひどいイジメをうけていたこと。おそらくは、それが理由で、自殺をしようとしたこと。一命は取り留めたが、その時に記憶障害が起きたこと。
「……そうだったの」彼の状況を気の毒に思ったが、それならばなおさら京子との関係がわからない。
考えていると、藤木が言った。
「えっと、よくわからないけど、とりあえず仕事しましょう。話はまた後で」
美咲も時計を見て慌てた。
「いけない。他の部屋の掃除がまだだったわ!」
「僕ちょっと他の部屋のベッドの入れ替えあるんで手伝ってきます」
藤木は言って美咲たちと別れた。
仕事に戻り、同じように割り当てられた入所者の部屋のシーツ替えと掃除をしていく。その間、彼女たちに指示は出してはいたが、先ほどまでの和やかな会話はなくなり、少し気まずい空気が流れた。
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