第28話

 進藤家に戻ると、拓真の両親と美沙が拓真の帰りを待っていた。

「おかえり。随分と遅かったじゃない」

 母親の陽子がご立腹な態度で拓真を睨みつけてきた。

 とりあえず、キッチンに連れて行かれ、四人掛けのテーブルへと座る。

 拓真の正面に両親が座り、美沙は少し離れたリビングから伺うように様子を見ていた。

「ゴメン、お母さん」拓真は陽子に謝った。他人の母親をお母さん呼ばわりするのは、最初はかなり抵抗があったが、今ではもう慣れたものだ。

「この前のファミレスの時といい、最近、あなたがわからないわ……」

「母さん、拓真はもう高校生なんだ。色々と自分で考え、自立していく年頃なんだよ」

 父親の幸一が母親を宥めようとする。

「まだ高校生よ! それに拓真が死にかけたのはついこの前の事なのよ! あなたは拓真が心配じゃないの!」

「心配に決まってるだろう。だけど、今の拓真の気持ちも考えろよ。記憶がなくて不安だろうに、それでも記憶を取り戻そうと自分から色々と動いているんだ。確かに、以前とは比べ物にならないほど行動的で父さんも戸惑っている。この前の突発的な行動も、今までの拓真なら考えられんことだ。だけど、それは悪いことではないだろう。男としての成長だと思いたいじゃないか」

 父親の言葉が、拓真の心にダメージを与える。

 本来であれば、息子の男としての成長を見守る立派な父親なのだろうが、残念ながらここにいるのは、息子の皮を被った他人なのだ。

「お父さん、お母さん、お兄ちゃんの格好を見て、何も思わないの?」

 美沙がため息をついて、拓真の服装を指摘した。そういえば、出かける前に美沙の様子が少しおかしかったのを思い出す。

「……そういえば、いつもと服が違うわね」

 拓真は焦った。今時の高校生の服装を選んだつもりだったが、やはりセンスが悪かったか。

「今までのお兄ちゃんは、こんな今時の服なんて着なかった。いつも地味で目立たない格好だったんだよ。それがこんな服着て出かけるなんて……こんなのデートに決まってるじゃない!」

 その言葉に、両親は目を丸くして拓真を見た。拓真も呆気に取られてしまった。

「二人とも鈍すぎだよ。ファミレスの時も、お兄ちゃんが同い歳くらいの女子と何か話してるところもわたし見てるんだからね。二人いたけど、どっちかと付き合っていたってことなんだよね」

 おっと、見られていたのか。だが、勘違いしてもらっては困る。肉体は高校生だが、精神は二十六歳なのだ。女子高生と付き合うつもりは全くない。

 拓真は否定しようとしたが、そこに両親が何やら納得顔で頷いた。

「……なるほど。そういうことだったか。記憶がないにも関わらず積極的に動いていたのは、実はお前には彼女がいて、記憶探しに協力してくれているということなんだな」

「え? あ、いや」

「そう。そうだったの。それならば、あなたの今までの不可解は行動にも納得できるわね。でも、そうならそうと言ってくれればいいのに」

 勝手に美沙と両親の中で、拓真の行動の謎が解決してしまったようだ。

 都合の良い解釈で非常に助かるのではあるが、どことなく苦いものが胸中に広がるのは否めなかった。

 担任の森と一緒にいたことにしてもらうはずだったが……これはこれでいいだろう。

「……うん、まあそういうことなんだ」

 何にしても、これで拓真の家族の心配は軽減される。多少は動きやすくなるのはありがたかった。



 進藤拓真が店を出た後も、森は久しぶりに会った中田との会話を楽しんでいた。

 中田は大学時代の同級生だ。仲の良いメンバーの一人で、良く飲みにも行っていた。

 当時、森は別の男性と付き合っていて、中田は気の合う男友だちという認識だった。

 その時から、中田は警官になるのが夢だと語っていた。森も教職につくのが夢だと話していた。

 付き合っていた男性とは、結局いろいろと合わずに別れることになった。そして、教員免許を取り、今に至るわけだが、まさかこんな所で刑事となった中田と遭遇するとは思わなかった。

 佐々木から助けてくれた中田は、警官としての風格を備えていて不覚にも少しドキリとしてしまった。そして、中田との会話はやはり楽しかった。

 先ほどの中田は、刑事と結婚してくれる女性は希少だと言っていたが、今は彼女とかいるのだろうか。

 この時点で、森はビールと酎ハイ合わせて七杯目に突入していた。

「中田くんはさあ、今付き合っている人いないの?」

 小首を傾げて問う森に、コーラを飲みながら中田が答える。

「いねえよ。新米刑事だといろいろとこき使われるからな。彼女作っている暇なんかねえよ」

「ふーん、そうなんだ」

「そういうお前はどうなんだよ? まさか、さっきの佐々木とかいうのと付き合おうとしてないだろうな?」

「彼とは何もないわよ。顔はタイプでも、心が腐ってる人はお断り。今日だって、本当は嫌々だったんだから。それでも、生徒の事で思わせぶりな事を言ったから、気になって話だけでも聞こうと思ったのよ」

「なるほど。さっきの子をダシに使われたわけか。……にしても、進藤って子、記憶喪失って話だよな? それにしては、やたらと落ち着いた物腰じゃないか? 俺たちと同じ歳くらいのヤツと話しているかのような気分だったが」

「あ、わかる。わたしも時々、彼に対して高校生とは思えないものを感じるもの。彼曰く、事故にあって別人格が出てきたんじゃないかってことなんだけど」

 中田は真剣な顔で少し思案してから、刑事の顔になって森を見た。

「事故って言ったよな? その日はいつだ?」

 言われて、記憶を掘り起こす。進藤が事故に遭ったという報告を受けたのはいつだったか。

「確か、五月半ばくらいだったと思うけど」

 中田は警察手帳を取り出して、「五月半ば。高校生。事故」と、書き記した。

「何か気になるの?」

「ん、ちょっとな。全部の事件の情報が俺の耳に入るわけじゃないから何とも言えないけど、そんな報告あったっけな、と思ってな。その頃に、もう一つ事件があったのは覚えてるんだが」

「何かあったっけ?」

「隣町で殺人事件があっただろ。旦那が胸を銃で撃たれて死亡。奥さんは顔面を何度も殴打され、意識不明の重体で入院。その後、意識を取り戻すも精神をやられて事情聴取もままならない状態」

 思い出した。確かに、進藤の事故と重なる時期だ。近場で起きた事件なだけに、少しショックだったのを覚えている。それ以上に、進藤の事故もショックだったが。

「金品など取られた形跡はない。……ただただ、家の住人に暴行を加えて生命を奪う快楽殺人者の仕業ではないか、というのが警察の見解だ」

 快楽殺人者。それを聞いて、森は身震いした。近くにそんな犯罪者がいるかもしれないと考えると、周囲の人間全てが怪しく見えてしまう。

「っと、今のは聞かなかったことにしてくれ。この件に関してはわかってないことの方が多いからな。……スマン、一般市民に不安を煽るような事を言った」

「ううん。気にしないで」

 中田のスマホがポケット内で震えたようだ。スマホを取り出して画面を見て電話に出て、数回のやり取りの後電話を切った。

「呼び出しだ。悪いけどもう行くよ。久しぶりに会えて楽しかった」

 急いで行こうとする中田に、森は「ちょっと待って」と声をかけた。

 エルメスの手提げカバンから紙とボールペンを取り出して、自分のスマホの番号を書いて、中田に渡す。

「わたしも楽しかった。また中田くんの時間が空いた時でいいからご飯行きましょう」

「おう。必ず連絡するよ」

 店から出て行く中田の背を見て、森は楽しげに笑みを浮かべた。

 久しぶりに気持ちが高揚していた。


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