第26話

 宗馬家の最寄りの駅まで歩いて十分ほど。駅を挟んで更に向こう側に二十分程歩いた場所に飲食店が立ち並ぶ場所がある。

 拓真が向かったその『満福』は、その並びにあるうちの一つだった。ちなみに、『満福』の横には、『福福』という似通った名前の店があった。

 『満福』は、京子が店長に割引チケットを貰ったから一緒に行こうと誘われていた。

 休日前に、二人で行くつもりだった。それが今では叶わなくなってしまった。

 『満福』にたどり着いた時には、既に午後七時になっていた。進藤家には、記憶を取り戻しそうな場所に来たから、少しうろついて帰ると電話で連絡しておいた。必ず帰るから心配は要らないとも付け加えて。

 扉を開けて中に入ると、黒い木の柵で作られた仕切りがあって、そこで客が食事していた。

 どの席も埋まっていて、かなり繁盛しているようだった。

 入り口で店内を見ていた拓真に、店員が話しかけてきた。

「お客さま、何名様でしょうか?」

「あ、いや、実は」

 拓真がここに来るまでに考えた台詞を言おうと口を開いたその時。

「え? 進藤くん?」

 奥のトイレの扉から出てきた女性と目が合った。

 拓真は驚いた。

「森先生。何でここに?」

 訊いてから馬鹿な質問だと気づく。数日前、ファミレスで会った月野たちと同じで、飲食店なのだから、偶然誰か知り合いと顔を合わせてもおかしくないのだ。

「進藤くんこそ何で……ていうか一人なの?」

 まずい。高校生が一人でこんな所にいる理由が思い浮かばない。

 店員には、ここのスタッフだった女性店員によくして貰ったから、お礼を言いにきた──という理由を考えていたが、毎日学校で顔を合わせる森にそれを言うとややこしくなりそうだから、やめた方がいいと判断した。

 どう言い訳をしようか頭をフル回転させていると。

「……一人なら、とりあえずわたしたちの席に来ない?」

 まさかの森からの誘いが来た。

「たち?」

「佐々木先生も一緒なのよ」

 佐々木。拓真はその名前を思い出した。拓真の通う高校の体育教師だ。爽やかなスポーツマンといった教師で、女子たちに人気がある。

 普通に考えれば、二人はデートだろう。邪魔をするのも野暮というものだが、佐々木の魂胆が少し気になった。

 学校で佐々木を見た時、その魂は黒寄りの濃い灰色だった。笑顔が似合う爽やかな体育教師だが、内面は決して善人ではなかった。

 森は拓真を心配してくれる良い教師だ。佐々木が悪い事をしないように、念のため魂の業を燃やしておいた方がいいかもしれない。

「じゃ、少しだけ」拓真はそう言って、森に案内されてついて行った。その間に、自分がここにいる理由を必死に考えた。

 仕切りの中にまず森が入って、佐々木に言う。

「佐々木先生、今そこでちょうど彼を見かけたんで、連れてきました」

「ん? 彼?」

 拓真も中に入って佐々木に挨拶した。

「佐々木先生、こんばんは」

 当然、佐々木は驚いた。

「進藤? 何でいるんだ!」

 拓真は二人に今先程思いついた言い訳をした。

「どうやら、隣の『福福』って店と間違えたみたいです」

「ああ、確かに似たような名前だから、間違えやすいわよね。全く何で隣どうしでそんな名前にしたのかしら」

 森は苦笑して、拓真の言葉を信じたようだった。とりあえず、良かった。なんとかなった。

 佐々木が咳払いをして、拓真を見据える。

「あー、進藤、俺たちは今、大人の大事な話をしているんだ。だからお前は──」

「見つかったのなら仕方ないわ。実は、進藤君のことで佐々木先生に相談にのってもらっていたのよ」

 森が佐々木を遮って言った。

「俺のことで相談?」

「そうなの。佐々木先生も、進藤君の様子を見て心配してくれたみたいで」

 拓真は佐々木を疑わしい目で見た。

 体育の授業でサッカーをした時のことだ。拓真自身、高校生活を満喫するつもりはなかったから、適当に参加して済まそうとした。

 が、やはり拓真に嫌がらせをしてくる生徒は、森下たちだけではなかった。サッカーのプレイ中にぶつかってこようとしたり、足を引っかけようとしたり、わざとボールをぶつけようとしたりと、どう見ても悪意を感じるプレイをしてきた。

 それらを全て余裕で避けて、ついでに軽く接触して魂の業を燃やして厄災攻めの刑を執行してやった。きっと、何かしらの厄災が彼らに降りかかったはずだ。

 それはそれでいいとして、ラフプレイを行った事に対して佐々木に抗議したが、「本場のサッカーでもラフプレイはよくあることだ。そうやって、強靭な精神と肉体を作るんだ」と、まるで拓真の苦情を受け付けなかった。

 記憶喪失──という設定──の拓真に対して、まったく気遣いも関心もない口ぶりだった。

 そんな佐々木が、拓真のことで相談?

 なるほど。森を誘い出す口実として、自分を利用したわけか。

 拓真は笑顔になって、テーブルに置いてあったビール瓶を手に持って、佐々木のコップへと近づけた。

「佐々木先生、心配してくれてありがとうございます。こんなことくらいしかできませんが」

「……あ、悪いな」

 ビールを注ぐのと同時に、『罪火』をブレンドして注ぎ込んでやった。拓真オリジナルビアカクテル、『罪の業火シン・フレイム』の出来上がりだ。

 佐々木がヤケ気味にそれを飲み干したのを見て、お前の罪に乾杯、と内心でほくそ笑む。

 挨拶も済んだし、早く本来のここにきた目的を済ませよう。

「では、先生がた。お邪魔してすいませんでした。僕はコレで失礼します」

「ちょっと、もう行っちゃうの? せっかくだから、もう少しお話ししましょう」

 引き止める森の焦り具合を見て、拓真は怪訝に思った。

 森が拓真を半ば強引に席に座らせ、

「進藤くん、アレから森下くんたちから嫌がらせは受けてない?」

 と、心配そうな顔で森が訊いてきた。

 嫌がらせはクラス全体から微妙に受けているが、それを馬鹿正直に言えるはずもない。担任である彼女が聞けば、相当ショックを受けるだろう。

「問題ないですよ」そう答えつつ、森の魂の周囲の心色を見る。やや黒ずんだオレンジ色といったところか。これは、警戒を顕す色だった。彼女がチラリと佐々木の方を気にするように見る。

 要するに、佐々木を信用していないということだ。二人だけになりたくないらしい。ならば、何故二人で食事をしているのか。

 答えは先程森が言ったではないか。拓真のことで相談に乗ってもらっていたと。

 面倒くさいことになったと嘆息したが、コレはある意味、僥倖ぎょうこうではないかと考えを改める。こうして、この店に教師と生徒がいる分には問題ないだろうし、少し席を外して店員の魂の色を探ることもできる。

 佐々木が小さく息を吐いて、「ちょっとタバコ吸ってきます」と席を立った。

 姿が見えなくなってから、森が手を合わせて拓真に謝った。

「ゴメンね進藤くん。巻き込んじゃって。進藤くんの事で相談に乗ってもらうって話だったのに、佐々木先生違う話ばかりして困ってたのよ」

「……まあ、そんな感じがしたんで構わないんですが」と、少し思案する。

「先生、代わりと言っては何ですが、少しだけ俺に協力して貰えませんか?」

「協力?」

「はい。俺が先生と一緒にここで相談に乗ってもらっていたということにして欲しいんです」

「どういうこと?」

「家族に心配をかけない為です。担任の森先生と一緒に記憶の手がかりを探していると知れば、家族も安心すると思うんです」

「なるほど。進藤くんの身に起きた事を考えれば、ご家族が心配するのも無理ないものね。わかったわ、それとなくわたしの方から連絡しておくわ」

「ありがとうございます」

「……あれ? でもちょっと待って。ということは、進藤くんは一人で来たってこと? 店を間違えたって言ってたけど誰かと待ち合わせをしてたんじゃないの? え? だったらこんな所に一体何をしに──」

 森が訊こうとした所で、佐々木が戻ってきて、拓真を邪魔だと言わんばかりに目を細めて見てきた。

「進藤、お前な、未成年がこんな所にいていいと思ってんのか?」

「お酒を飲まないのであれば問題ないのでは?」

「そういうことを言っているんじゃない!」

 テーブルをバンッと手のひらで叩く佐々木。テーブルからグラスが転げ落ちて、床で割れた。

「佐々木先生、落ち着いて」

 宥めようとする森の手を佐々木が掴んだ。

「行きましょう森さん。店を変えて飲み直しだ」

「え、ちょっと佐々木先生痛いです! 手を離して下さい!」

 やれやれ。佐々木にはやはり痛い目を見てもらわないとダメみたいだ。

 佐々木の魂は、既に先程飲ませた『罪火』入りビールで火が着いている。

 直ぐに彼にとっての厄災が降りかかるはずだった。

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