第14話

 数台の停まっていたパトカーを弾き飛ばして、その場を突破する。

 すぐに警官たちがパトカーに乗り込んで、サイレンを鳴らし追いかけてきた。

 金本はパトカーを運転して、国道を高速道路並みのスピードで走り抜け、住宅街を走り抜けた。運が良かった。歩行者や他の車はほとんどいなかった。歩行者がいたとしても、構わず轢き殺していただろうが。

 金本はいつの間にか、山沿いの道路を猛スピードで突き進んで逃走していた。すぐ横は崖だが、金本は全く気にしていなかった。

 何故だ、という思いが頭をよぎる。全てうまくいっていたはずだ。疑われる要素はなかったはずだ。証拠も隠滅したはず。完璧だったはずだ。

 ……いや、本当にそうか? どれもこれも、『はず』という言葉がついている時点で、確信して言えていないではないか。

 ──完璧な犯罪は無いと思いますよ。

 いつだったか、口を封じた同僚の女刑事の言葉を思い出した。

 昔、金本の相棒だった女だ。正義感溢れた刑事で、少しの妥協も許さない頭の固い女だった。

 当時、闇営業の連中と取引をしていた金本だったが、ある日、その事を女に知られた。

 内部告発しようとした女刑事を、金本は彼女の家族を人質にとって山中へと呼び出し、そして殺害した。

 最後に彼女が涙を流しながら言い残した言葉を思い出す。

 ──必ずあなたには裁きが下ります。

 アレが同僚を手にかけた最初の金本の犯行だった。

 その裁きが今下されたというのか。

 ふざけるなふざけるなふざけるなぁ!

 途中急カーブの看板があった。が、金本は気づかずにスピードを出し続けた。

 急カーブに差し掛かり、金本は慌ててハンドルをきった。だが、車は曲がりきれずにガードレールを突き破った。そして、衝撃によるものか、運転席側の扉が開いた。

 金本はシートベルトをしていなかった。

 慣性の法則により、身体が斜めになっていた金本は車体の外へと放り出された。

 叫び声を上げる金本。

 嫌だ! こんな所で死にたくない!

 空中に舞った金本の眼下に見えたのは、山林の樹々だった。

 樹々の葉や枝がクッションとなれば助かるのではないか。

 ホラ、ここに落ちてらっしゃい。樹の枝がまるで手を広げて、誘導しているように見えた。

 一縷の望みを抱きつつ、金本の身体は落下した。


 

 どれくらい気を失っていたのだろうか。

 気がつけば地面に倒れていた。

 あの高さから落ちて、助かったのか?

「大丈夫ですか?」

 女の声が聞こえた。……聞き覚えのある声だった。

 金本の側に女がしゃがみこんでいた。彼女の顔は、真上から照りつける陽光でよく見えない。

 何故こんな所に女がいる? 事故を見つけて、駆けつけてきたのだろうか。

 ……ちょうど良い。もし、警官たちに追いつかれれば、コイツを人質にしよう。

 陽光に顔を顰めつつ、金本は立ちあがろうとして、生暖かい液体の中にいることに気づいた。

「あ、動かない方がいいですよ。その身体だと、下手に動くと死にますから」

「あ? 何を言って──は?」

 金本は自身の身体を見て、固まった。自分の身体の惨状が理解できなかった。

「金本さんは、樹の上に落ちてきた時に、折れた太い枝の先端部で腹部を引き裂かれたんですよ。中身があなたの周りに飛び出ているでしょう?」

 血まみれの中に横たわる自分のあまりの惨状に息が荒くなる。あれは、腸か? 俺の腸なのか? 自分の腹を見ると、大きく裂かれてそこから一本の太い赤い紐が見え、それが外のソレと繋がっていた。

 急激に吐き気を催し吐いた。

 それを楽しそうに女は見ていた。口元は見えるが、何故か依然として全体の顔は見えない。

「どんな気分ですか? 生きたまま腹を裂かれて、それを自分が見てるって?」

 顔面蒼白になり、金本は訊ねた。

「お、お前はいったいなんなんだ? 何故俺の名前を知っている? 何が目的でこんな所にいる? い、いや、そうじゃない! そんなことより、早く助けてくれ!」

「心配なさらなくても、そろそろ警官たちが金本さんを見つけますよ。幸運にも内臓に傷はついていません。直ぐに体内に戻せば大丈夫でしょう」

 陽光が雲に遮られ、女の顔が見えた。そして、金本は絶句した。

「ば、馬鹿な、お前は……」

「お久しぶりですね金本さん」

 女は以前殺した筈の、相棒だった女刑事だった。

 生きている筈がない。この手で首を絞めて殺し、山中の奥に埋めたのだ。生きていられるわけがない。

「ご心配なく。わたしは既にこの世にはいませんよ。言わば幽霊ってヤツですかね。ホラ、この場所覚えてませんか? あなたがわたしを殺して埋めた場所ですよ」

「ゆ、幽霊だと! そ、そんなものがいてたまるか!」

「わたしもビックリですよ。先ほどまで、わたしは意識のないただの残留思念のようなものでしたからね。ずっと、あなたにへばりついていたみたいですね。吹けば消えるようなか細い灯火のようなものでしたが」

 金本は自分に言い聞かせた。これは幻覚だ。失血と自分の臓物を見て、一時的錯乱状態にあるだけだと。

「わたしがこうやって幽霊として……いや、怨霊の方が正しいかな? とにかく、こうして出てこれたのは、あなたの魂を焦がす怨念のような黒い炎のおかげです。ソレがなんなのかはわたしにはわかりませんが、ソレがわたしにこうして力を貸してくれたおかげで、こうしてあなたの前に現れることが出来たんですよ」

 何を言っているか分からない。分かりたくもない。コレは幻聴なのだから、理解する必要がない。

「わたし、死ぬ前に言いましたよね? 必ず裁きが降るって。だから、あなたには裁きが降ったんですよ。ですけど、まだまだこんなもんじゃありませんよ。わたしはとりあえず満足したけど、他の方々の分もありますからね。あ、話している間に警官たちが来ましたね。それでは、回復をお祈りしてますね。次の人のために」

 そう言って、彼女は残忍な笑みを浮かべて消え去った。

 


 深い眠りについているはずなのに、その声はハッキリと聞こえてきた。

「金本さん、起きろよ」

 これも、聞き覚えのある声だった。コイツは誰だったか? そうだ。確か、あの女刑事と同様に、金本の悪行を上層部に報告しようしたから、拉致して薬漬けにして、麻薬の裏取引の罪を被せた同僚だ。

「覚えててくれて嬉しいぜ。さて、早速なんだけど、後がつかえているから、とりあえず俺の怨み晴らさせてもらうな。ハイ、起きて!」

 催眠術師が術を解くかのようにパチンと手を叩いた後、金本は目覚めた。

 病院で緊急手術を受けている最中だった。

 開腹された状態で、腸を戻されている時に、目が覚めたのである。

 麻酔も切れたのか、激痛に金本は叫んだ。

「た、大変だ! なんで術中に麻酔がきれるんだ!は、早く全身麻酔を!」

「だ、ダメです! 機械が動きません!」

「馬鹿な! 先ほどまで問題なかっただろう! それなら局部麻酔だ! 急げ!」

 看護師が慌てて麻酔の注射器を医師に渡し、それを裂かれた腹の周囲に打ち込んだ。

 が、痛みは全く消えなかった。

「麻酔が効かない!? 仕方ない! 金本さん! とりあえずお腹を縫います! 耐えてください!」

 医者の懸命な声に、金本は答える余裕はなかった。そして、手足をベッドに固定され、強引に麻酔なしで、腸を戻されて腹を縫われた。

 地獄のような時間だった。何度も激痛で気を失いそうになり、また激痛で意識が戻されるという悪循環だった。

 数十分後、ようやく腸も元に戻され、腹の傷も塞がった。

「か、金本さん、よく耐えました。手術成功です」

 医師がホッとしているその横で、先ほど金本に声をかけてきた同僚の霊が拍手をしていた。

「いやー、ホント良く頑張りました。凄い凄い」

 そして、残虐な笑みを浮かべて言う。

「さてさて、本当はもっと苦しむ姿を見たかったけど、とりあえず、次に回さないとな。ホラ、早く自分たちにもやらせろって、他のヤツらも言ってるだろう?」

 金本は見た。

 手術室に何十人もの、金本が殺害してきた顔ぶれがいるのを。

「まだまだ始まったばかりだぜ。金本さん」

 その意味を理解すると、金本は悲鳴をあげていた。

 

 









 

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