第11話

 月野夕実つきのゆみは、昔から多少の霊感があった。はっきりと視えるわけではないが、なんとなく感じる。そんな程度の霊感である。

 だが、今回同じクラスの新藤拓真のしていることははっきりと視えた。手の平から黒い炎が出て、それを遠藤の体の中に入れた。

 それは、入れられた当人の遠藤、そして他の人たちには何も見えていないらしい。

 黒い炎が遠藤の体に入ったのはわかる。だが、そこから何がどうなったのかはわからなかった。

 数分後、何故か遠藤が変態扱いされることになったが、何か関係あるのだろうか。

 廊下側、扉近くの自分の席に着いて考える。

 森下たちにも、あの黒い炎で何かしたのだろうか。だから、森下たちは怪我をしたのだろうか。

 夕実は進藤を見て、背筋が寒くなった。

 ……何なの? あれ……?

 彼の体を取り巻く黒い霧のようなモノが視える。

 何かが取り憑いているとしか思えなかった。

 彼はもう以前の新藤拓真ではない。全く別の存在なのだとわかった。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう。

 きっと誰に言っても信じてもらえない。頭のおかしい人間だと思われるだけだ。

 新藤がイジメにあっていたのは知っていた。

 何とか助けてあげたいとは思っていたのだが、女の身であの森下グループに立ち向かうのは無謀だった。

 月野には、隣のクラスに葉山美紀はやまみき椎名歩美しいなあゆみという友だちがいる。

 椎名も一年生の時はイジメられていたのだが、葉山と出会って仲良くなってイジメに立ち向かう程に強くなった。

 夕実はそんな二人の強さに惹かれて、友だちになった。

 彼女たちに新藤のことを話せばきっと助けようとしただろう。だけど、それは森下グループに立ち向かうということだ。だから話せなかった。

 そうこうしているうちに、新藤が事故にあったと知った。みんな笑って自殺だろうと言っていた。

 夕実もそう思った。ただし、笑っていたみんなと違って、何もできなかった自分が情けなくて口惜しくて、新藤に申し訳なかった。

 そんな彼が、記憶を失って学校に戻ってきた。全く違う雰囲気を纏っていた。

 彼にいったい何があったのだろうか。雰囲気が変わったのは、やはりあの黒い霧のようなものが取り憑いているからだろう。

 どうすればいい? 自分に何か出来ることはないだろうか……。

 ふと、視線を新藤へ移すと、席を立ってこっちに向かってきた。

 咄嗟に目を伏せて、彼と目を合わさないようにする。

 新藤が教室から出ようと、夕実の前を横切った。

 どうしよう……どうしよう……。

 悩んでいたのだが、いつの間にか、夕実は彼に声をかけていた。

「あ、あの……」小さな声だったが、新藤は気づいた。

「ん?」

 反応した。どうしよう……どうしよう……。こうなったらもう、何か話すしかないが、何を言っていいのかわからない。そして、咄嗟に口をついて出たのは、出たとこ勝負の核心を突いた言葉だった。

「……あなた誰?」

 新藤は一瞬呆気に取られた顔になった。

 あ、やっちゃった……。後悔したがもう遅い。

「え? 誰って、新藤だけど?」

「……違う」

 夕実は消えそうな小さな声でまた言った。

 新藤の眉間に少し皺が寄った。

「……ちょっと、放課後話しようか。時間はあるかい?」

 夕実は体を震わせた。怖いけど、このまままた見ぬふりは無理だと思った。放課後なら、生徒も先生もまだ多くいるから、最悪の場合、大声を出せば何とかなるかもしれない。夕実は頷いた。

 その後、五時間目、六時間目と授業があったが、夕実は内容をほとんど覚えていなかった。途中、顔色が悪かったらしく、教師に「大丈夫か?」と心配された。

 そして、放課後になり、夕実は新藤に屋上へ呼び出された。

 新藤は少し遅れてやってきた。他の生徒はいないようだ。

 ……大丈夫。何かあった時、大声で叫べば校舎内かグラウンドにいる誰かが気づいてくれるはず。

「これ、良かったら」

 新藤は売店で買ったらしき冷たい缶コーヒーを一本夕実に渡してきた。ミルク入りで、微糖のものだった。

「へ? え、ありがとう」

 予想外の行動に夕実は戸惑った。

 屋上の一角に移動して、新藤は自分の缶コーヒーを開けて、口に含んだ。彼のは無糖のブラックだった。

「さてと。早速本題に入ろうか。俺が新藤拓真じゃないってどういうことか聞かせてくれるか?」

 しばらく、夕実は黙っていた。新藤はそれを黙って待っていた。

「……わたし、人より少し霊感があるの。あなたの体に、何かが取り憑いているのが視えるのよ」

「……ほお」

 夕実はたがが外れたように、一気に訊ねた。

「あなたはいったい何! 新藤君をどうしたの! 手から出した黒い炎みたいのは何なの! 遠藤くんや森下くんらに一体何したの!」

 息を切らす夕実と対照的に、新藤は落ち着いてコーヒーをまた一口飲んだ。

「……黒い炎ってのはこれのことか?」

 新藤は右手に、その黒い炎を出した。

 夕実は驚いて、後退りした。

「驚いた、これも見えるのか? 大した霊感だな。本当にそんな人間がいるんだな。昔は全く信じていなかったけど、自分もこうなったことだし、信じるしかないな。まあ、一つずつ簡単に説明していこうか。信じる信じないは君の勝手だ」

 そう前置きして、新藤は言った。

「まず俺は、君の言う通り新藤拓真じゃない。彼は自殺してもうこの世にはいない。自殺の原因は、もう予想はついているんじゃないか?」

 夕実は目を伏せた。主には森下グループのイジメによるものだが、黙って見ていた夕実も同罪だ。

「俺はある事件で殺された人間の怨念の魂だ。悪霊っていうのかもしれんが、映画とかみたいに暴れまわったりはしない。俺は俺と妻を殺した男に復讐するために、この新藤拓真の体を借りて蘇った。そして、その時に手に入れた能力が、この黒い炎だ。相手の罪を燃やし、燃え尽きるまでその罪を、さまざまな形で清算させ続ける。もっともこの能力に気づいたのは昨日だけどな」

 夕実は言葉が出なかった。あまりに現実離れしすぎている。

 だが、実際この目で視えるのだ。新藤に入りこんでいる黒い何かを。そして、その手から放たれる黒い炎を。

「さっきも言ったけど、信じる信じないは君の勝手だ。この話を人に話すのも自由。まあ、その時は、君の頭がおかしいと思われるだろうけどな」

 その通りだ。誰もこんな話信じてくれない。

「話は以上だ」

「……その復讐の相手を見つけてどうするの? 殺すの?」

「殺すに決まっているだろう。そのために蘇ったんだからな。だが、殺すのは最後だ。あいつにはこの能力で地獄の苦しみを味わわせる。終わらせてくれというくらいにな。それでも殺さずに生き地獄を見せ続けてやる。償っても償えない程の苦痛と絶望をヤツに見せないと気がすまない!」

 新藤の体に、黒い憎悪の霧が膨れ上がるのが見えた。

 まさに悪霊。その顔は邪悪そのものに見えた。

 背筋が寒くなる。夕実は足が震えて、その場でへたり込んでしまった。

「……おっと、ちょっと興奮しすぎたか。君に危害を加えるつもりはない。罪の意識を感じている人間に、俺は手を出さない」

 新藤は言って、へたり込む夕実を横切ってその場を去った。

 夕実はその場をしばらく動けないままでいた。

 その後、自分がいつどうやって教室に戻ったのか覚えていない。戻った時には、時間が一時間ほど過ぎていて、教室にはほとんど誰もいなかった。

 夕焼けの赤褐色の色が教室内の半分ほどを照らしている。静かな教室だった。

 そのせいか、余計に現実とは思えなかった。

 半ば呆けている状態で、帰りの支度をしていると、担任が教室に戻ってきた。

「あら、月野さんどうしたの? 随分遅いじゃない」

「え? あ、はい」

「大丈夫? 顔色悪いみたいだけど……、五時間目、六時間目も他の先生に言われたみたいじゃない」

「……はい。少し気分が悪かったので休んでいました。大分マシになったので帰ります」

「そう。気をつけてね」

 森は心配そうだった。「あ、そうだ」

 帰ろうとする夕実を森が呼び止めた。

「ちょっとだけごめんね。以前、月野さんと話した時、介護師になりたいからどこか研修したいって言ってたじゃない? 何件かあたってるんだけど、もう少し待ってね」

 夕実は自分が介護師になりたいことを進路希望で伝えていた。その際どこか研修を受けたいとも言っていた。

「あ、はい」

 未だ現実味のないような状態で、夕実は頷いた。

「ごめんね。呼び止めて。帰ってゆっくり休んでね。それから、最近婦女暴行事件が多発しているから、できるだけ人通りの多い道を帰ってね」

 森は言って職員室に戻っていった。

 夕実は、何も考えないようにして帰宅することにした。

 鞄に入れた新藤から貰った缶コーヒーが、やたらと重く感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る