第7話

 五時限目の授業は日本史だった。

 五十代後半くらいの髪の薄い日本史の教師の落ち着いた低い声は、昼食後のせいもあって相当な眠気に襲われる。実際、クラスの三分の一は目を閉じてうつらうつらとしていたり、机に突っ伏して寝ていたりする。

 それ以外も、授業そっちのけで雑談していたり、音楽をイヤホンで聴いたり、スマホをさわったりと好き勝手なことをしていた。

 拓真もつい大きな欠伸をしそうになるのをこらえながら、日本史の授業をどうにか聞いていると、後頭部に何か小さいものが当たった。

 後ろを見るが、誰も拓真の方を見ていない。……一人、馬面と表現するのに相応しい男子が、笑いを堪えている。

 前を向いてしばらくすると、また後頭部に何かが当たった。今度は少し大きめのものだ。

 床に転がったのものを見ると、消しゴムの欠片だった。

 また幼稚なことをする。

 無視していたが、その後も、消しゴムの欠片を当てられ続け、拓真の机の周囲は消しゴムの欠片だらけになった。すると、日本史の教師が、その様子に気づいた。

「新藤、何だその机の周りは? 随分と汚いじゃないか。ちゃんと掃除しておけよ」

 拓真は驚いた。注意するところはそこじゃないだろう。

 明らかにおかしいと思える状況だというのに、それを拓真のせいにするとは。他にも注意する生徒は多くいるのにだ。

 拓真は教師の様子を少し観察することにした。

 小さく笑いながら消しゴムのカスを投げ続ける後ろの馬面生徒。あいかわらず教師は、それを見てみぬふりをし、他の態度の悪い生徒にも注意はしない。

 少し怯えているようにも見える。

 魂の点滅色を見てみると、緑の点滅が見えた。なるほど。これが怯えの色か。

 教師でさえ見て見ぬふりをする。このクラスは、かなり厄介な連中の集まりらしい。

 進藤拓磨には味方はいなかったのだろうか。助けてくれる生徒、教師はいなかったのか。

 親身になってくれそうな担任の森に素直に相談していれば、家族に相談していれば、少しは違った結果になったかもしれない。

 進藤拓磨は弱かったのだろう。

 人の心の芯は、人によって強度が違う。太い鋼のような芯を持つ者もいれば、シャープペンシルの芯のように細く折れやすい芯の者もいる。

 拓真は自ら命を絶ち、そして、今その肉体に正樹の怨念の魂が乗り移った。彼が死ななければ、今の自分はなかったかもしれない。

 考えていると、また後頭部に消しゴムのカケラを当てられた。さすがに苛立ちを感じ、拓真は床に落ちていた消しゴムの欠片を一つ拾うついでに、後ろから投げつけてきている生徒を見た。

 やはり馬面の生徒の仕業だった。鼻も大きく鼻息も荒そうだ。

 生理的に受けつけなかった。馬面のニヤケ面が拓真の神経を逆撫でする。こんな奴に消しゴムを投げられて馬鹿にされているのかと思うと、無性に怒りがこみ上げてきた。

 その瞬間、拓真の体に異変が起きた。全身から黒い炎のようなものが滲み出てきていた。

 拓真はその体の変化に気づかず、消しゴムの欠片を人差し指の第一関節に乗せ、それを親指で弾くようにして馬面の生徒めがけて撃った。撃ってから、拓真は消しゴムの欠片に黒い炎のようなものが纏わりついているのに気づいた。

 欠片は馬面の生徒の額に直撃し、彼は「痛ぁ!」と悲鳴を上げて、のけぞって椅子ごと後ろへと倒れた。

「何だ何だ?」と周囲の生徒が不思議そうな顔をする。

 馬面の生徒も何が起きたか把握していないようだ。額を押さえて起き上がり、「何だ今のは? 何が当たった?」と不思議がっていた。額の中央が一部赤くなっていた。消しゴムが当たったとは思えない威力だった。

 その馬面の馬鹿面を見て、拓真は思わず吹き出してしまった。

 馬面の生徒が、笑う拓真を見て顔を真っ赤にさせて、文句を言ってきた。

「おいこら新藤! てめえか! 何しやがった!」

「何のことだよ?」と、しらばっくれた。

「笑ってるじゃねえか! お前が何かしたんだろうが!」

 その通りだが、正直に答えてやる義理はない。

ふと、馬面の魂の靄に黒い炎が灯っているのに気づいた。先ほど飛ばした消しゴムの欠片に纏っていた黒い炎のようだ。

 あれは何だ? 俺がやったのか?

 そして、自分の手にも僅かに黒い炎が残っているのが見え、すぐに消えた。

「おいこら、無視するんじゃねえ!」

 馬面が怒りの形相で新藤に向かってこよとうとしたその時、床に転がっていたシャーペンを踏みつけて滑り、思いっきり床に顔面を強打した。

「うっわ。痛そう……」

 他の生徒から同情の声が漏れた。

 馬面は鼻から血を流して、涙目になっていた。さすがに、教師もこれ以上の騒ぎは勘弁してくれと言わんばかりに、馬面に「保健室へ行ってきなさい」と促した。

「くっそー、ついてねえ」

 馬面が出て行った後、教室内では笑いが起こっていた。

「うまおの奴笑わせてくれる。馬面が真っ赤になっていたな」

 あだ名もうまおというのか。それを聞いて、拓真は不覚にもまた笑いそうになってしまった。

 しかし、それにしてもさっきのは何だったのか。

 自分の手を見て、意識を集中してみる。と、じんわりと黒い炎のようなものが出てきた。

 少し驚いて周囲を見渡すが、誰も気づいていない。いや、見えていないようだ。

 消しゴムの欠片に今の黒い炎が宿り、馬面に当たってその魂に燃え移った。そして、その直後に馬面は痛い目を見た。

 偶然なのだろうか? 

 この身体に乗り移ってから、色々な力が身についている。この黒い炎も、きっとそうなのだろう。

 だが、コレがどういうモノなのかはまだ分からない。

 拓真は少し考え、後で試してみることにした。

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