第6話
森に言われた通りに職員室までやってきて、そのまま拓真は進路指導室へ通された。長テーブルを二つ挟んで、森と向かい合わせにして座る。
「新藤君、今日一日どうだった?」
「はあ、まあ別に何もありません。一瞬、何か思い出しそうにはなったけど結局思い出せませんでしたから」
「……そう」森は俯いて少し黙って、何か決意したような目になり、こちらを見た。
「新藤君、はっきり言うわね。ショックを受けるかもしれないけど、落ち着いて聞いて。実はあなたが記憶を失う前のことなんだけど、実は、イジメられていたような節があったの」
拓真は彼女の顔を見た。
「確信を持って言えないのが情けないんだけど、新藤君の様子がおかしいのには気づいていたわ。新藤君が言ってくれれば助けになれたのに」
拓真は黙って聞いていた。
「いえ、気づいていたのにわたしが何もしなかっただけね。ごめんなさい。ただの言い訳ね。教師として、あなたを守らなければならないのに、わたしが自分の身を守るために何もしなかった。……本当にごめんなさい」
拓真は息を吐いた。彼女は心の底から悪いと思っている。魂の色を見るまでもなく、拓真にはそれがわかった。
「……別にいいですよ。気にしないでください」
「そうは言っても」
「だいいち、俺には記憶がないんです。覚えていないことで謝られても困ります」
「でも……」
拓真は笑みを浮かべ、森の顔を見て言った。
「ありがとうございます、先生。一人の生徒のことで、そこまで考えてくれる先生って最近じゃあまりいませんよね。でも、今の俺は特に問題ないし、心配には及びませんよ」
その落ち着いた物言いに、森は少し驚いているようだった。
「記憶がないのに随分と落ち着いているわね? まるで違う人みたい」
おっとまずい。何とか誤魔化さなければ。
「まあ、事故にあって人格が変わるって話もよくある話じゃないですか」
拓真はそう言ってみた。そういうことでいけるのなら、無理して新藤拓真の人格を真似する必要もない。
「……」森は呆気に取られた顔で、拓真を見ていた。理由が苦しいか。
「そういや、先生は知らないんでしたっけ? 俺、一度死んでいるらしいんですよ。奇跡的に蘇生したらしいんだけど、今の人格はそのせいなのかもしれない。低酸素脳症? とかいうのになって、高次脳機能障害? とかいうのになっているんじゃないかってことなんですけど」
森はまだ呆気にとられている。
拓真は壁にかかっている時計を見た。
「あ、あの、先生、そろそろ次の授業始まりますよ」
そういうと、森はようやく我に返った。
「ちょ、ちょっと待って。一度死んだって、どういうこと? 事故にあったのは知っているけど、そんなの聞いてないわよ!」
余計な情報を与えたのはまずかったか。いや、ここは人格変化の信憑性を促すために、押し倒すのが吉だ。
「医者がそう話していたのを聞いただけです。両親は知っているけど、さすがに学校に言うわけにはいかなかったんでしょう」
森はまた絶句した。そして、額に手を当てて考えながら言う。
「そんな……まさか、新藤君の事故って……」
彼女は気づいたようだ。新藤拓真の事故が、事故ではないということに。
森の目尻に、涙が浮かんできていた。
「……ごめんなさい新藤君……本当にごめんなさい」
まずい。真面目な彼女のことだから、イジメによる自殺だとわかったら、教職を辞することとなるかもしれない。それだけ純粋な教師だということが、魂を見ればわかった。
彼女が考えている通りなのだが、ここは何とか嘘を突き通すしかない。でないと、イジメによる自殺がマスコミに漏れたりするといろいろと面倒なことになる。教頭あたりならもみ消したりしそうだが、森の性格だと内部告発しそうだ。
考えすぎかもしれないが、不安の種は取っておくに限る。
「ちょっと待って下さい先生。思い込みは駄目ですよ。確かに、俺自身、今日一日イジメられていたような感じはしたけど、それと事故とは関係はないと思います」
拓真は言い切った。
「でも、イジメがあって事故ってなると──」彼女の言葉を遮って、拓真はまくしたてた。
「事故はいつどこで起こるかわからないんです。不幸が重なることだってある。だから、今回の事故とイジメが関係あるとは限りません。先生がそういうことを考えるってことは、俺のことをそういう弱い人間だって言っているようで、ちょっと不愉快です。とにかく、記憶はないけど、本人がこう言っているんです。思い込みだけで行動すると後悔しますよ」
森は何度かまばたきして、驚いていた。そして、涙を指で拭って、少し口角をあげた。
「そうね。思い込みはいけないわね。確かに事故はいつどこで起こるかわからない。イジメのことは問題だけど、それと事故をすぐに結びつけるのは軽率よね。あなたに対しても失礼だったわね。ごめんなさい」
「いや、俺こそ生意気言ってすみません」
実際は同じ年齢くらいなのだが、今は少年の姿なのだから仕方が無い。
「でも、生徒にこんなふうに言われるなんて、どっちが教師かわかんないわね。それにしても、凄い不思議よね。今までの新藤君と全然違うから、わたしも戸惑っているわ」
拓真は小さく息を吐いた。
「家でも言われますよ。今までの俺じゃないから、接し方がわからないみたいです」
「でしょうね」
よし。どうやら話は落ち着いたようだ。拓真は時計を見た。森も時計を見て、慌てた。
五時限目の授業開始時間から十五分ほど過ぎている。
「急いで授業に行かないと。後の職員会議で怒られるわ……。新藤君はわたしとの話が長くなって授業に遅れたって言っておいてね」
拓真は頷いて、そして二人とも進路指導質を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます