第5話
この胸の騒めきは何なのか。
とりあえず、森に席に着くように言われて、窓際の席へと着いた。
「記憶喪失か。大変だな」右隣の席の男子生徒が声をかけてきた。「遠藤だ。覚えてねえよな」
「ああ。ごめん、覚えてないんだ」
そう言いながら、拓真は遠藤の胸元を見た。やや黒寄りの灰色の靄が見えた。教頭の時と同じだった。
「そうか。けっこう俺と仲良かったんだぜ」
遠藤の周囲で、「よく言うぜ」と笑いを含んだ声が聞こえた。
「そうか。また仲良くしてくれ」
拓真は握手を求めた。
「ああ。こちらこそな」
遠藤と握手をしたその瞬間、頭の中でフラッシュバックが起き、断片的に映像が見えた。映像は、遠藤が拓真の机に『カス』『うざい』『死ね』の落書きをしたのや、引き出しにネズミの屍骸を入れたのや、靴を隠したりしているものだった。
これは……新藤拓真の記憶だろうか。
草野の言葉を思い出した。脳を含め、身体は新藤拓真のものなのだから、彼の記憶が残っていても不思議ではないと。
「どうした? ぼけーっとして」
遠藤に言われて、拓真は我に返った。
「あ、いや。一瞬何か思い出しそうになったんだが、無理だったよ」
「そうか。でも、その調子で頑張れよ」
「ああ」
拓真は笑顔でそう答えたが、内心ではあきれ果てていた。やっていることは小学生のイジメと変わらないではないか。……やられた方はたまったものではないが。
ホームルームが終わり、森が拓真に昼休みに職員室に来るように言った。そして、彼女が去った後、ぞろぞろと男子生徒四人が、拓真の周りに集まってきた。
そのうちの一人は、前の席に座っていた大柄の生徒だ。
「よお、新藤、久しぶりだな。つっても記憶喪失だから覚えてねえのか。で、そんな状態で言うのも悪いとは思うんだが、実はお前に五万程貸していてさ、返してもらわねえと今月厳しいんだよ」
すぐに嘘だと拓真にはわかった。魂の色を見るまでもない。
「その前に名前教えてくれよ。こっちは誰が誰だかさっぱり覚えてないんだから」
「おっとそりゃそうだ。悪いな。俺は森下だ」
「俺は松田」と、スキンヘッドの生徒。
「小沢だ」これは長身の生徒だ。
「俺は橋本な」背の低い陽気な感じの生徒。
「で、紹介も終わったところで、金頼むぜ。明日あたりでいいからよ」
言うだけ言って、森下たちは廊下に出て行った。
拓真は呆れてため息をついた。
イジメはどうしたってなくなることはない。学校はもちろん、社会に出ても同じことだ。
そんな世の中が、犯罪者を生み出すのではないか。
ふとそんなことを考え、そして京子を殺した男の顔を思い出した。あいつも若かった。そう思うと、憎しみが体の中に溢れてきた。森下たちと、京子を殺した男の姿が重なる。
殺意。そんな感情を簡単に抱いた。
拓真の体は超人的なモノへと変化している。それは、正人の憎しみの度合いが強ければ強いほど、肉体も比例して強くなった。
その強さを以前試してみたが、素手でコンクリートの壁や地面を破壊できるほどだった。
森下たちの頭をトマトみたいに簡単に潰すこともできるのだ。
「あ、あの、新藤君」
後ろからまた声をかけられて、拓真は我に返った。
「あ、ああ。えっと君は?」
見ると、メガネをかけた背の低い地味そうな男子生徒がいた。
「僕は前田だよ。あのさ、記憶なくしてるんだよね? 本当に何も覚えてないんだよね」
おどおどとした口調で、彼は言った。
「ああ。何も覚えてない。だから、何か思い出そうと……」
「思い出さないほうがいい。それから、ここに来ないで転校した方がいい」
拓真は眉を潜めて、前田の魂を見た。
他の生徒たちと色が違う。白に近い灰色だ。その周囲は薄い青と薄い紫の交互に点滅していた。
点滅色にも色々あるが、少し分かりかけてきた。
「どういうことだ? 何でそんなことを言う」
「ショックを受けると思うけど、はっきり言った方が新藤君のためだと思うから言うよ。新藤君は、イジメられていたんだよ。だから、同じことを繰り返さないために、転校したほうがいい。僕らじゃ助けることできないから……」
罪悪感に苛まれた表情を見て、拓真は色の意味を確信した。
『プルチックの感情の輪』というのがある。人間のさまざまな感情を色相環のように分類したものだ。魂の周りの点滅色は、それを指しているのだ。
今回、前田の靄の色は、どちらかと言えば善人を表している。だが、根っからの善人などは皆無に等しい。必ず何かしらの罪を背負っているのだ。それに対する罪悪感を持っていなければ、靄の色はどんどんと黒に染まっていくようだ。
そして、靄の周囲の点滅色は相手の感情を表している。
最初に見た家族の場合は、群青色に点滅していた。あれは悲しみを表していたのではないか。
草原の場合は、研究者としての好奇心に満ちた薄い緑色。
教頭や遠藤の場合は、悪意や軽蔑を含んだといった薄紫に。
前田の靄の周囲が薄い青と薄い紫に変化していたのは、罪悪感を現していたのだ。
あまりに色の種類が多すぎて難解ではあるが、基本の八種の感情色を覚えれば、だいたいはわかるだろう。
ともかく、前田はイジメを見て見ぬふりをした罪悪感を持ったから、拓真に真実を伝えたのだ。
「ありがとう。だけど、大丈夫だ」
「……忠告はしたからね」
前田は自分の席に帰っていった。
拓真は、周囲を見回した。誰も目を合わせない。拓真など、記憶を失おうがどうなろうが知ったことではないということか。
その方が都合いい。そう思っていると、また一瞬頭にノイズが走った。拒絶反応か。
休みの間に薬を飲み、そのまま誰にも相手されないまま、昼休みを迎えることになった。
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