第3話
二週間入院して、拓真は草原のもとで念入りに検査された。首を吊ったロープの後は、皮膚移植で誤魔化して、目立たないようにしてもらった。
その間、拓真の家族が頻繁に出入りして、思い出の写真を見せたり、旅行に行った時のお土産を見せたり、学校行事のビデオを見せたりと、一生懸命に少しでも記憶を取り戻させようとしていた。
MRIの検査後に、拓真は草原に愚痴をこぼした。
「記憶を取り戻すなんて無理な注文だ。もともと俺は別人なんだからな」
「……いや、わからんぞ。基本、記憶というのは、脳の海馬に蓄積されているんだ。ひょっとしたら新藤拓真の記憶が出てくるかもしれん。もっとも、魂の君が自分のことを覚えているわけだから、魂にも記憶があるのかもしれんがな」
「その辺のことはよくわからん」
「私もだ。それよりも、明日から退院だ。体に変調はないだろうな?」
「……一つ、ある」
拓真は目覚めた時に見えた、胸の辺りに見えた靄のことを言った。
「……何だそれは? それは今も見えるのか?」
「ああ。意識すればな」
拓真は草原の胸辺りに、意識を集中して見た。白に近い灰色の靄で、チカチカと周囲が薄い緑が点滅していた。
「……ふむ。何だろうな? 別に目に異常もなかったし。だがそれで、何か体がおかしいことはないのだろう?」
「そうだな。あとは、力が溢れ出てくる感じだ」
「ああ、それなんだが、実は、さきほど検査の結果で、身体能力の数値が常人の十倍以上はあった。計測器の故障かと思ったが、そうではないようだな」
拓真は驚いた。
「十倍以上だと?」
「ああ。無理に力を引き出すと体が耐えられないかもしれん。気をつけてくれ。靄というのも気になるな。一応調べておこう。それと、念のためにこれも渡しておこう」
草原は、カプセルの錠剤を渡した。
「抑制剤だ。肉体と魂が別モノだからな。拒否反応が出る可能性もないともいえん。あくまで念のためだ」
抑制剤? 肉体と魂が拒絶反応を示したとしてそれを抑える薬?
その疑問を感じ取ったのか、草原は言った。
「真野氏から渡されたものだ。何でできているか聞いたが、まるで理解できなかったよ。だから深く考えるな」
魔女が作る妙薬みたいなものか。
考えるとゾッとしそうなので、考えないことにした。
拓真は、家族に連れられて自宅へと戻ってきた。
住宅街の真ん中にある二階建ての建物だった。大きくはないが、造りはしっかりしてそうだ。
「ここがあなたの家よ。どう? 何か思い出さない?」
母親の
拓真は首を横に振った。
「ゆっくりと時間をかけて思い出させるって言ったじゃないか。焦るんじゃない」
父親の幸一が笑みを浮かべて言った。
「ほら、お兄ちゃん。お兄ちゃんの部屋行こ」
美佐が拓真の袖を引っ張って、家の中へと連れ込んだ。この兄妹はそれだけ仲が良かったのだろう。
家の中に入り、すぐの階段をあがったところの右手に向かい合わせにして二つの部屋があった。一つは美佐、一つが拓真の部屋らしい。
「こっちがお兄ちゃんの部屋だよ」
案内されて中に入ると、そこは思っていたよりも殺風景な部屋だった。一応CDプレーヤーがベッド脇にあるが、肝心のCDがない。小さな本棚があるが、そこには参考書が並んでいるだけで、漫画の類はなかった。窓際に学習机が置いてあって、引き出しには綺麗に文房具が整理されて入っている。壁にはポスターなどの類のものもなく、簡易なカレンダーだけがあった。
「……ここが俺の部屋か」
「どう? ここ見ても何も思いださない?」
「高校生なのに、面白みのない部屋だな」
ぽつりとつい出たその言葉に、美佐は驚いた。
「お兄ちゃんがそんなこと言うなんて」
「そんなことって?」
「だって、いつも無駄なモノは必要ないって言ってたから」
「そうか。俺はそんなこと言ってたのか」
「うん。あと、俺なんて言わなかったし」
「……そうか。記憶がないって何か怖いな。今と昔の自分が別人みたいでさ」
さらりとそんな言葉が出てきた。
「そうだね。ホントお兄ちゃんとは思えない」
冗談っぽく言う美佐の言葉に、拓真は内心でその通りだよ、と答えた。
「それじゃ、わたし部屋に戻ってるね。何かわからないことあったら聞いて」
「ああ。ありがとう」
美佐は部屋を出て行って、拓真は机に座って参考書を手にとってみた。
「……また勉強しなければならんのか?」
正樹だった時、高校時代、それほど成績は悪くはなかった。が、それから十年近く月日が流れているのだから、正直覚えている自信はなかった。
勉学に勤しんでいる場合ではないが、一応形だけでも学生を演じていた方がいいのかもしれない。
なんとかなるか、そう思いページを開いてみて、拓真は眉をしかめた。
「……これは」
そこには数多くの落書きがしてあった。『死ね』『うざい』『ゴミ』『消えろ』『クズ』『カス』
などと何の捻りもない罵倒の殴り書きがされている。
イジメによる自殺だと、遺書にはあったな。
拓真は他にも落書きされている参考書を探して、それらをゴミ箱に捨てた。さすがに、教科書を捨てるわけにはいかないのでそのままにした。
他にも何かないか探していると、参考書の間に薄いアルバムがあった。
開いてみると中学校の時から高校までの写真だった
どの写真も、拓真が端っこに地味に写っているものばかりである。その中に、数枚仲がよさそうに二人で移っている友達らしき生徒がいた。それらの写真だけ、拓真の顔は笑顔に溢れていた。拓真の親友だろうか。後で、美佐や親に聞いてみよう。
誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
顔を覗かせたのは美佐だった。
「お兄ちゃん、入ってもいい?」
「ああ。どうした?」
「うん。昔の写真を持ってきたの。記憶取り戻すのに役立つかなって」
「そうか。ありがとう」
美佐はアルバムをめくりながら、当時の説明をよくしてくれた。それによって、拓真が真面目で大人しい性格だということがわかった。成績も中の上くらいで、美佐の勉強もよく見ていたという。
「ああ、一つ聞いていいか? コイツは誰だ?」
先ほどの拓真と二人で写っている写真の人物を訊ねた。
「コイツって……そんな言い方しないでよ。お兄ちゃんの同級生の
今は別々の高校に行っていてしばらく会っていないらしい。
美佐は、拓真と赤坂がいかに仲が良かったか説明を続けていたが、ふと、話すのを止めた。
「どうした?」
妹の顔を見ると、目尻に涙が浮かんでいた。
「……お兄ちゃん、何で自殺なんかしたの?」
突然の質問に、拓真は戸惑った。
「え? ああ、いや、その」直ぐに言葉が見つからずに、しどろもどろになった。
「……ごめん。記憶失っているんだから、覚えているわけないよね」
「ああ。というか、俺自殺したのか?」
間抜けなことを聞いているな、と自分で思った。
「……うん。何があったか知らないけど、もう絶対に死のうなんて思わないでね! 約束だからね!」
真っ直ぐに見てくる美佐に、拓真は罪悪感を覚えた。
すまない。俺は、本当は君の兄じゃないんだ。そう思いつつ、拓真は答えた。
「わかった。約束する」
その瞬間、頭に何かノイズのようなものが走った。痛みはないが、頭の中で何かが蠢いているような気持ち悪い感覚。
「お兄ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
拓真はこめかみを押さえて、「いや、何か思い出しそうになったけど、駄目だった」と誤魔化した。そして。「少し疲れたから休むよ」と、美佐に出て行ってもらってベッドに腰掛けた。
拒絶反応か? 何かわからないが、とにかく草原からもらった薬を飲んだ方が良さそうだ。拓真は薬を口の中に放り込み、飲み込んだ。
しばらくすると、薬が効いたのか、頭の気持ち悪い感覚はなくなった。
拓真はもう一度自分の手を見て、握ったり開いたりした。
新藤拓真という魂の無い肉体に、肉体がなくなり魂となった宗馬正樹が入り込むという奇妙な現象。到底信じられないような出来事が自分の身に起きている。
時間が限られているかもしれない。
早く自分を殺した犯人を見つけ出して復讐を果たさないと。
拓真は拳を強く握り締めた。
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