第2話
目覚めた時、拓真は病室のベッドにいた。ベッドの周りは見知らぬ顔の三人と、白衣を着た医師らしき男が立って、拓真の顔を見つめていた。
「拓真!」
顔を泣き顔でくしゃくしゃにした小柄な女が、拓真の顔を見て叫んだ。三十代後半くらいだろうか。
「気分はどうだね?」
真野の時と同じ質問を医師がした。
「あ……」拓真は何かを言おうとしたが、何も思い浮かばずに黙った。
「状況がわかっていないようです。無理もありませんね……」
拓真が黙ったままでいると、女は拓真の頬にそっと手を添えて、優しい声で言ってきた。
「拓真が無事で良かった。ほんと良かった」
彼女や他の二人が誰なのかは、大体察しはついた。
……ここから、記憶喪失の芝居をしなければならないのか。
仕方なく、真野に言われた通りに演じることにする。
「……えっと、誰ですか?」
彼女たちは顔を見合わせた。
「何言ってるの? お母さんよ」
医師が重い口調で言った。
「大変申し上げにくいのですか、やはり拓真君は、記憶障害が起きているようです」
そして、拓真の顔を見て訊ねた。
「何か覚えていることはありますか?」
これが真野由影の仕組んだ医師なのだろうか。
「……何も覚えていない」
「君の名前は?」
拓真はわざと間を空けて、答えた。
「名前は……新藤……拓真…。覚えているのはそれだけ……」
「あたしのことは?」
中学生くらいの少女が聞いてきた。肩まで伸ばした髪を少し茶色く染めてある。
拓真は横に首を振った。
「美佐のことも忘れたの? お母さんやお父さんのことも?」
拓真は三人の顔を見て、また首を横に振った。
「そんな……」拓真の母親は口元を押さえ、涙を流した。ショックを受けたのだろう。罪悪感はあったが、今はどうしようもない。
「記憶を取り戻すにはどうしたらいいですか?」
今度は細身のメガネをかけた中年の男が聞いた。おそらくは父親だろう。四十代半ばといったところか。髪のところどころに白髪が混ざっている。
「前と同じ生活をしていれば、何かを思い出すかもしれません。ですが……」少し間を空けて医師は続けた。「これはまた後でお話します」
「何ですか? 今話して下さい」
医師は拓真を見て、「廊下で話しましょうか」と言って、家族と共に少し部屋を出て行った。そして、ほどなくして戻ってきた。家族はみんなショックを受けているようだ。
自殺したことを言ったのだろう。首の縄跡のことも説明したに違いない。家族は、虐めによる自殺だと知っているのだろうか。
「……記憶障害がどこまでの範囲なのかわかりません。生活に支障があるかないか、しばらくは入院して様子をみましょう。その間に何か思い出すかもしれません」
彼らは涙を流して、頷いた。
……それにしても。拓真は疑問に思った。
彼らの胸の辺りに淡く光って見える
母親、父親、妹にその靄は見え、周囲が群青色にチカチカと光っていた。
家族たちが病室から出て行った後で、医師が話しかけてきた。
「さて。とりあえず自己紹介をしようか。わたしは、君の担当医となり、体の調子を見る
「……真野影由の部下か?」
拓真はぶっきらぼうに尋ねた。真野影由に生き返らせてもらった恩はあるが、怪しい人間に変わりは無い。そんなヤツの仲間に敬語を使う気にはなれなかった。
「部下ではなく友人だ。あんな変人にも、友人はいるんだよ。いやまあ、それにしても彼から連絡がきた時は驚いた。まさか、実験が成功したなんてな」
草原は拓真を物珍しそうに見た。
「他人の魂が他人の体に移る。現代の科学では考えられんことだ。生への執念……いや、君の場合は怨念になるのか。まあ、どっちにしてもおもしろい。真野氏が言うには、【引継ぎ】というらしいな」
「俺は幽霊なのか? 俺が言うのも何だが残留思念とか魂とか、よくわからないんだが」
「わたしもその辺りの概念はわからない。オカルトには疎くてな。実際、目の前に君がいるんだから事実は受け入れるがね。真野氏は、君が死んだ自宅で君を見つけたと言っていた。霊的レベルを測る探知機みたいなのを持っていて、それが強く反応したらしい。おっと、深く突っ込まないでくれよ。友人ではあるが、その辺りについて俺は真野についていけてないんでな。正直彼の考えることはよくわからんよ」
胡散臭いことこの上ない話だが、実際死んだ自分がこうして蘇っているのだから何も言うまい。
「……俺はこれから、新藤拓真として生きるんだな」
「そうだ。都合の悪いことのほとんどは、記憶障害で誤魔化すといいんじゃないか。もっとも、嘘をついているとバレないようにしないといけないがな。そのあたりは君の演技力にかかっている。……待てよ。それなら、低酸素脳症による高次脳機能障害で、別人格が芽生えたってことにしても都合がいいかも。まあ、なんにしろ、これから君には頑張ってもらわないとな。それともう一つ、忠告しておくことがある。君の体と魂はまったくの別のモノなのだから、いつ拒絶反応が出るかわからない。今のところ問題はないようだが、何か少しでも異変を感じたらすぐに連絡してくれ」
「わかった」
拓真は自分の両手を見て、感覚があることを確認して頷いた。
もとより、この体で長生きするつもりもない。復讐さえ果たせれば、それでいいのだ。新藤拓真の家族にはまた悲しい思いをさせることになるかもしれないが、そこまで考える余裕は、今の自分にはなかった。
「ところでさっきは、何て家族に説明したんだ?」
「ああ。自殺をしたらしいと言ったんだ。何かに追い詰められていたのではないか、とね。記憶を取り戻すということは、自殺の理由を思い出すということ。本人にとって、それは思い出したくないかもしれない、そう説明した」
やはりそうだったか。
「とりあえずは、一週間は病院での生活を我慢してくれ。検査もあるし、経過報告も真野氏にしなければならんしな」
「わかった」
拓真は頷いた。
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