あぜ道に咲く、一輪の雑草


 あぜ道に響き渡る二人の泣き声が落ち着いた頃。

 僕とナズナはいつもの場所で二人して座っていた。


 もう夏で、あぜ道は暑いのに。日陰に行くことなくいつもの場所に座る。

 それはまるで今までのいつも通りを取り戻すかのように。



「だいぶ心配かけちゃってたみたいだね」



 小さな声でナズナは言う。



「うん。まぁ、そうだね。正直凄い心配したよ」



 僕は素直に言う。

 この二週間。考えることはナズナのことばかりだった。

 何で姿を消したのか。その理由ばかりを考えてしまっていたのだ。



「そっか。ごめんね」



 またもや泣きそうな声で謝るナズナ。



「いや、大丈夫だよ。また会えたし」



「うん。でもごめん。ちょっと色々あって……ね。連絡の一本でもできれば良かったんだけどスマホも壊れちゃって」



 そう言ってポケットから出したのは画面が割れ、後ろからは基盤も見えてしまっているスマホ。



「そっか」



「うん」



 無言になる。

 こういう時になんて言えば良いのだろう。

 僕に気の利いた言葉なんて浮かばないし、変に喋っても無理している感じが出てしまう。



「キミは……キミはこの二週間? 何をしていたの?」



 無言の空間を壊したのはナズナ。

 優しい口調でそう聞いてきた。



「僕は……」



 ここで考える。ここは素直に言っても良いのだろうか? 気を使わせてしまうのではないのだろうか。

 色々と考えた結果。僕は嘘をつくことに決めた。



「僕は家族と出かけてたよ。昨日帰ってきたんだ」



「そっか。なら良かったよ。楽しかった?」



 ナズナはまた目に涙を溜める。

 きっと僕の嘘に彼女は気付いている。

 他でもない。嘘が苦手な僕だから。そしてそんな嘘を見抜くのが得意なナズナだから。



「うん。楽しかったよ」



 どうして僕はもっと上手に嘘をつけないのだろう。

 毎回、毎回ナズナに見透かされてしまう。



「そっか。私はね……私は……」



 そう言いながらナズナは泣き出してしまった。

 なぜ泣いてしまったのかは分からない。

 でも留めていた感情が溢れてしまったかのように、泣き出した。



「私はね……」



 言葉が出せないでいるナズナ。


 僕にできることは待つことだけだろう。

 彼女の言葉を待つ僕。


 するとナズナは言葉を絞り出すようにして口を開いた。



「私はね……色々あったんだ。それでね……」



「うん」



「もう、キミとは会え……ないんだ……」



「え?」



 僕は聞き返す。

 ナズナの言葉が分からない。

 いったい彼女は何を言っているんだ?



「だからもうキミとは会えないんだよ……」



「だから……なんで?」



 僕はナズナに問う。

 しかしナズナは無言で首を左右に振るばかり。



「もう。お別れ……」



 そう言ったナズナは僕の胸に飛び込んできて、顔を強く押し付ける。



「嫌だよ。ねぇ、嫌だ! せっかくまた会えたのに! もう会えないなんて嫌だよ!」



 ナズナの叫びがあぜ道に広がる。

 普段とはまるで違う、強い感情を孕んだ叫び。

 聞いているだけなのに……何も分からないのに……。



 泣いてしまいそうになる。



 体を強く押し付けながら感情を吐き出すように、どうしようもない理不尽に飲み込まれそうになるのを必死に抵抗するように。



 ナズナは叫んだ。







 彼女の叫びがあぜ道から聞こえなくなった頃。

 僕はナズナを胸に抱きながら、あぜ道に並んで座っていた。

 

 ナズナが放った言葉。

 もうお別れ。

 その言葉の意味を僕はまだ知らない。


 この二週間でナズナに何かあったことは分かる。でもそれだけだ。

 肝心なことが分からない。


 だから僕は胸に顔を押し付けているナズナに聞くことにした。

 

 正直に言うと聞きたくない。

 ナズナはお別れと言ったんだ。最悪の事態だって考えられる。

 でも、聞かないといけない。


 何も事情は分からないけど、ナズナがこんなにも苦しんでいるのならば、僕は少しでも助けてあげたいし、支えてあげたいんだ。



「ねぇ、ナズナ?」



 できる限り優しい声で。まるで赤子をあやすようにしてナズナに話しかける。



「うん。分かってるよ。言わないといけないよね」



 ナズナは僕の言葉にそう返す。


 体重を僕に乗せて寄りかかるような態勢を取ると体を密着させた。

 そして少しずつ口を開く。


 ナズナは涙声になりながらも、この二週間の間に起こったこと。そして自分の過去について僕に話してくれたのだった。



 ことの発端は一年前。

 都会に住んでいたナズナは父親を事故で亡くしてしまった。

 そこでナズナは母親と二人、母方の祖父が住むこの町に移り住んできた。

 最初こそは家族間のトラブルは少なかったらしいが、徐々に歯車は狂いだし虐待を受けるようになったらしい。


 それでナズナは母親と顔を合わせないように、このあぜ道にいた。

 ここならば家が見えるため、母親が仕事を出たタイミングが分かる。そんな理由で、何もないこの場所で時間を潰していたと言う。


 そんな生活を始めてしばらく。

 ついに事件は起きた。


 母親に暴力を振るわれ、顔に傷を負ってしまったのだ。

 今は化粧で隠しているが、ぱっと見で分かるくらいには酷かったらしい。

 それでナズナは家に引きこもり、スマホも壊れてしまって連絡もできなかったと。



 そして三日前。

 夜中に母親がナズナに対してまたもや虐待をしそうになったタイミングで、近所から通報が入り警察が介入。

 母親は逮捕されたという。

 一昨日から祖父の家に住んでいるらしく、今日は早起きしてここまで来たらしい。



「って感じ。本当に色々あったんだよ」



 そう言ったナズナは笑う。

 多分、僕を気遣っての笑みだろう。



「それで、お別れって、祖父の家に住むから?」



 僕はナズナにお別れの意味を問う。

 祖父の家に引っ越したとしても同じ町だ。これからいつでも会うことはできるだろう。

 それに少し遠いからと言ってもスマホだってあるのだから、いつでも約束を立てて遊びに行くことだってできるはずだ。


 そう軽く考える僕に対して、ナズナは深く暗い表情を浮かべると小さく口を開いた。



「そうだったら良かったんだけどね」



 ナズナは小さく自傷的に笑う。


 

「違うの?」



「あー。うん。違う.......ね。」



 言い淀むナズナ。

 ナズナの様子からあまり良いことは聞けなさそうだ。



「じゃあ、どこに?」



 僕は言葉を紡ぐことを嫌っているナズナに聞く。


 

「前に住んでいたところ……。私、戻るんだ。だからもうお別れ」



 ナズナはまた顔を僕に押し付ける。

 きっと彼女は泣いている。

 そして僕も……。


 きっと少しでも気を緩めれば泣いてしまうだろう。



「そっか。じゃあもうこのあぜ道には……」



「……うん。難しいと思う」



 感情を押し殺すようにして、そう言うナズナ。

 本当にナズナとはこれでさよならなんだ。


 そう思ったら僕の目にも涙が浮かぶが、それをナズナに見られなくない。

 僕はナズナの頭の上に顔を乗せると肩口で顔を庇い隠す。



「ならしょうがないね。たまには連絡してね」



「うん」


 

 二人の間に静寂が走る。

 何を言えば良いのか分からないのだ。


 ナズナの体温を感じながら僕は周りを見渡すことにする。

 

 いつ見ても、何もない。誰もいない。ただのあぜ道。

 田んぼに囲まれていて、目の前には岩肌が露出している山とその麓にあるソメイヨシノ。



 何回も見たこの景色。

 


「本当に、色々あったね」



 僕は独り言のように呟く。


 

「うん。色々あった」



 ナズナは僕の言葉を繰り返すようにして言葉を紡ぐ。

 そしてお互いに顔を合わせて、笑い合うとナズナはこう言った。



「ねえ、お話ししようよ」   



 ナズナは僕の胸の中で今まであったことを笑顔で語りだす。

 初めてこのあぜ道で会ったこと、沢山ここで話したこと、一緒にショッピングモールやフラワーガーデンに行ったこと、家に来て一緒にご飯を食べたこと。


 八月ももう中ほどという厳しい気候の中。僕達は沢山のことを話した。

 もう会うことが無いかもしれないというのが嘘のように、僕とナズナはいつも通りに話した。




 あれからどれくらい話しただろう。

 もう空には太陽の姿はなく、徐々に暗くなってきていた。

 時間を忘れて話してしまったから感覚がない。



「そろろそ時間かな」



 ナズナは僕の胸から離れるとそう言って立ち上がる。

 どうやらもうお別れの時間らしい。

 まだまだ喋りたいし、お別れなんてしたくないけど、きっとこれは仕方のないことなんだ。


 僕は自分の願望を無理やり押し込めた。



「うん」



「じゃあ――」



 ナズナはニッコリと笑みを浮かべたと思ったら、今度は僕に抱きついてくる。



「ナズナ……」



 僕も自然とナズナの腰に手を回し、抱きしめた。

 お互いの距離がゼロになるとナズナは顔を僕の耳に近づけると、こう言った。



「大好き」



 一瞬だった。


 でも伝わった。


 ナズナは僕から離れると一度笑みを見せ、そのまま背を向けて歩きだした。

 何回も見たナズナの後ろ姿を見て僕は思わず言ってしまう。



「僕も……大好きだよ」



 きっとこの言葉は聞こえていない。

 聞こえてはならない。

 でも言わずにいられなかった。



 ナズナ。

 この何も無いあぜ道に咲く、一輪の雑草。



 そんな彼女と出会ったことは一生忘れないだろう。

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