今できることを


 シャワーを浴び終えた私はリビングで最低限の応急処置を行っていた。

 病院に行った方が良いと分かってはいるのだが、保険証は母が持っているので病院に行くことはできない。

 そもそも保険のお金を払っているのかも怪しいのだ。そんな高校生が病院に一人で行けば大事になってしまうのは火を見るよりも明らか。


 だから私は自分で処置を施すことにする。


 当然医療の知識は無いので、本当に最低限だがやらないよりはマシ。という思考の元で、自分にできることを手早く済ませることにした。


 そうすればできるだけ早くあのあぜ道に行くことができる。

 その望みだけを持って……。



 応急処置を終えた私は食べ物と飲み物をできるだけ持ち部屋に戻る。

 一階にいては母と会ってしまう。だからこれはできるだけ自分の部屋で暮らしていけるようにするための準備なのだ。


 私は部屋に戻ると手に持った備品をベッドの近くに置く。

 そして昨日と同様にタンスを扉の前に移動させてバリケードを作ると、自分の城の完成だ。


 やっていることは子供だなぁ……。なんて思ってしまうが、今私ができることはこれくらい。

 我ながら無力だ。



 あらかた準備を終えるとベッドに寝転がる。

 部屋に時計はないので時間は分からないが、外から部活動に行く学生が見えるので、もう早朝から朝に変わったのだろう。


 私は一人、目を瞑る。

 やることもなければ時間を潰す手立てもない。


 だから私は目を瞑り、彼との思い出を思い返していた。



 

 夜。

 あれから私はずっと寝ているのか起きているのか分からない状態のまま、この時間まで過ごしていた。

 本来ならばこのくらいの時間に私はあのあぜ道から帰ってきていた。

 あぜ道で自宅の電気が消えたことを確認して家に帰る。


 それが私の生活でありずっと繰り返してきたことだった。


 最近は彼のおかげであぜ道そのものに行くことが目的となっていたが、彼と出会うまで、あの場所は私にとっての避難場所で、それ以上でもそれ以下でも無かった。


 私は部屋の電気を付け、グーと体を伸ばす。

 流石に一日中寝ていたのは不味かったかな。



 ベッドから出ると部屋の窓を使い自分の顔の様子を確認する。

 

 まだ治ってないよね……。


 改めて現実を直視すると泣きたくなるが、それをグッと我慢。

 誰にも見ていないとは言え泣いてしまうのは諦めと同義だと思ったからだ。


 無理やり感情を押し殺し、今度は窓から隣の家の壁を見る。

 もしも昨日と同様に母親がいるならば、壁に電気の光りが反射して分かるはずだ。



 良かった。いない。


 壁で母が不在なのを確認してほっと一息。

 もう仕事に行ったのだろう。


 母が夜の仕事を始めてもう一年以上経つ。

 もともと専業主婦だった母に残っていた仕事の選択肢は少なく、それでいてこんな田舎町だ。できる仕事なんて限られている。


 お父さんが生きてた頃は良かったな……。



 私は昔を思い出すようにして、部屋に飾られている絵を見た。

 お父さんが趣味で書いた絵画。


 事故で亡くなった父の形見だ。


 あの頃は楽しかった。


 お父さんは優しくて、お母さんは少し厳しかったけど今のようにお酒に溺れることは無かった。

 休日にはおでかけもしたし、桜を見に隣の県まで車を走らせたこともあった。

 年に数回は旅行にも行ったし、夜ご飯は毎日一緒に食べた。


 しかし、それが父の死で一変。


 それまで都会に住んでいた私達家族は、母方の祖父がいるこの田舎町に引っ越すこととなり、母は夜の仕事を始めた。

 引っ越してきた当初は母もそれなりに優しかったが、時間が経つにつれてお酒に溺れるようになり、暴言や暴力を振るうようになってしまった。


 私も友達と別れることになってしまい今では孤独だ。


 こっちで友人を作ろうとするも、そんな気力は無かったし何よりもここは田舎だ。

 都会と比べコミュニティーが狭い。

 今の高校でのコミュニティーはほとんどが中学が一緒だったり、親同士が友達だったりと、引っ越してきた私にとっては中々に過酷な状況だった。


 だからこっちで友達を作ることを諦めて、私はあのあぜ道で時間を潰していた。

 母が仕事に行き、電気が消えるまで私はあのあぜ道で何をするわけでもなく、ただただそこに座っていた。



 そんな中、あのあぜ道に現れたのは大久保君。

 正直最初はナンパかな? なんて思ったが、そんなことはなく、たまたま通っただけだった。

 それから彼は週に何回かあぜ道に顔を出すようになった。

 私が言えることではないが、彼はどこか人見知りなところがあり、あまり学校では上手く行ってないように思えた。だからだろう。私と彼は徐々に関係を深くしていったのだ。


 そして彼との時間が増えていった頃。

 私は彼の家族の話しを聞いていた時に、自分と彼の違いに嫉妬してしまった。


 彼は家族に大切にされている。

 その事実が私の胸を締め付けた。



 でもその後だ。

 彼は泣いてしまった私のことを遊びに誘ってくれた。


 きっと彼は私のことを元気付けようとしてくれたのだ。

 こんな自分本位な私を……。


 だから私はその誘いを断った。

 

 自分のことが許せないから。

 そんな優しい彼に浅ましい気持ちを持ってしまったから。


 彼の言葉に泣いてしまった私。

 そんな私に彼は言ってくれた。

 私と遊びに行きたい……と。


 浅ましくも嫉妬をして、泣いた私に彼は言ってくれたのだ。


 不慣れでありながら、彼は私に……。



 その頃からだろう。

 私が彼に対してまぶしい存在だと認識するようになったのは。


 彼は花だ。


 大切に育てられ、綺麗に咲いた花。

 彼は黄色いスイレンだと言った。


 黄色いスイレン。

 花言葉は優しさ。


 彼は大切に育てられた黄色いスイレンなのだ。


 それに比べて私は雑草。

 雑草、いや動物も植物も人間も生まれるところを選べない。

 私は雑草として生まれてしまった。

 だから私はあのあぜ道にいる。


 名前もあるかどうか分からない。

 誰にも愛されることはない。

 ただ生きているだけの雑草。



 あぜ道にいる一人の雑草。

 それが私。


「会いたいな……」


 私は彼と過ごしたあぜ道の方向を向いて、そうつぶやいた。

 

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