08 後日
帰港後すぐに駐屯地に戻り、俐一は調査を受けた。
普段は入らない幕僚部の会議室の中、桜が見える大きな窓をバックに小隊長陣が並んでいる。
どれも、俐一が関わることがほとんどない相手ばかりだった。
「あんまり緊張しないでいいからね」
小柄な女性が、にこやかに声をかけてくれた。
「大体の報告は受けてるから、君の報告書の過誤がないかどうか聞きたいだけだ」
この中では一番日に焼けた男性は、
「──しかし、領空を飛んだとなると、空自の方も動くべきですかね」
資料をめくっていた齋藤陸自協力小隊長は手を止めて、顔をあげた。
「ねえ、赤塚曹長。例の魔導士は0号実験の生き残りだと思う?」
「僕は、藤根曹長や応援に来てくださった佐伯1尉とは違って、実際に0号実験の被験者を見ていません……ただ、おふたりが違うとおっしゃっていたので間違いがないと思います」
「そうね……私も藤根たちはあの作戦に従事してたし、あの子たちが違うというなら、可能性は低いんじゃないかって思ってるの」
齋藤小隊長は俐一を安心させるように微笑んだ。その横で天野海自協力小隊長はこれ見よがしにため息を吐く。
「あの子たちって……。齋藤小隊長、藤根はうちの魔導士だ」
「あら? 元々は陸自協力小隊にいて主力だったのよ。藤根の能力は陸自向きだって分かってるでしょ」
「上級魔導士なら、どの任務にも適性があるだろうが」
「それでも、藤根は元々陸上自衛官か魔導士隊かって家系だし、本人だって配属は陸自協力小隊出してたわよ」
「おいおい、いつの話出してんだ? 藤根が入隊したのはもう十年近く前だろ」
天野小隊長と齋藤小隊長も同期のはずだ。
魔導士隊初の女性小隊長に上り詰めた女傑齋藤と、着実に任務をこなし出世してきた天野が遠慮なく言い合う姿に、聞き取りされているはずの俐一でさえ、ぽかんとした。
その俐一を見て、佐々木警務隊員は咳払いをする。
「藤根曹長の異動はあり得ません。ましてや佐伯1尉が陸自にいる間には」
「だそうですよ。齋藤小隊長殿」
「うるさいわねえ、元は藤根もうちで訓練してたの。横からかっさらったのはそっちでしょう?」
「……あ、あの」
俐一が意を決して尋ねる。
「どうして今回、佐伯1尉が応援に来てくださったんでしょうか。正直、佐伯1尉がいなかったら、戦闘にもならず船は沈んでしまっていたとは思うのですが……」
「佐伯1尉以上に適任はいなかったとは思うわ。彼は0号実験の機密に触れているし、ああ見えて藤根くんの扱いも慣れてるしね」
「扱い……」
「あの子は甘いから。非情になりきれないのよ」
にっこりと笑って、斎藤小隊長が言う。
「それに、問題を起こさないか見てみたかったってのもあるしね」
「赤塚。齋藤小隊長が言い出したが、自分はちゃんと反対したぞ」
「そうですか? 天野小隊長も面白がっているようにも見えましたが……」
陸自、海自、空自各協力小隊長たちがそれぞれ好きなように言い募る。
彼らは魔導士としての究極的な出世を果たした3人だ。35歳で転籍する魔導士科に残り後輩たちを指揮、導く。
その3人が速いテンポでかわす会話。俐一は発言者の顔にきちんと視線を送っていたら、目が回りそうになった。
佐々木魔導警務官は、ごほんとひとつ咳払いをした。小隊長たちは突然黙り、すました顔になる。
「赤塚曹長」
「は、はい!」
「今回の作戦中、服務違反はありましたか? 魔法の使用等に違法行為はなさそうですが」
4人の視線が俐一に一斉に向かう。
俐一は恐る恐る口を開いた──
***
調査の日から、既に2週間が過ぎた。
エリオールとの遭遇事件は機密となり、俐一にも特に報告は降りてこなかったので、何があったのか、どういう風に司令部が考えているか、探る手立てはない。
藤根もあれから、何か変わったわけではなかった。あれ以降、作戦配置されることはなく、訓練ではいつも通り明るく、面倒見がいい先輩のままだ。
(これが魔導士の日常なんだろうな)
流山の季節も巡っていく。
俐一は名物にもなっている桜並木を見上げながら、営舎から街区エリアに向かって歩いていた。
流山特別駐屯地はその特殊性も相まって、駐屯地内に小さな街を内包している。街区のエリアには除隊した魔導士隊員が営む飲食店もあるし、外の人が働きに来ている。
駐屯地の中である程度完結して生活できる。まして、俐一のように保護され駐屯地内で育った人間にとっては、不自由を感じることはあまりない。
駐屯地は変わらない。魔導士の持つ役割が変わらないかぎり。
(買い物したら、走ろうかな)
ピンク色の花が空を埋め尽くす。
花見をしている隊員の姿もある。
そんな人々を何気なく見ていて、俐一はぴたりと足をとめた。
「あ」
──佐伯だ。
向こうも俐一に気付いて足をとめた。
パーカーに細身のジーンズというカジュアルな格好でも、モデルのように見栄えした。
なんだか強い違和感を感じたが、その正体にすぐ気が付いた。
私服の佐伯を見たのは、これがはじめてだ。
「私服だぁ……」
「赤塚くんも私服だけど」
佐伯が言った。
「あ、いや、僕なんか上下ジャージなんで……」
「いや、俺も部屋着だけど。何? ジョギング?」
「買い物のあと、軽く行こうかなって」
まさか会うとは思っていなかった。
狭いとは言え、そこそこ駐屯地は広いし、佐伯と俐一の交友関係は被っていない。
あの作戦以前、すれ違うこともなかった。
「軽く?」
「はい、軽く」
「ふ、若いね」
短く笑って、佐伯はまた歩きはじめた。
俐一とすれ違う一瞬、慣れた煙草の匂いがする。藤根が吸っている銘柄だ。
「あのっ」
俐一は咄嗟に声をかけた。
佐伯が振り向く。切れ長の目が、俐一に真っ直ぐに向けられた。
「あの、この間はありがとうございます」
「……お礼を言われるようなことはしてないけど」
そこで佐伯は言葉を区切ってから、「ああ」と眉をあげた。
「服務規程違反、黙っていてくれて、こちらこそありがとう」
煙草を吸う仕草をしながら、佐伯は小さく笑う。
そして、そのまま、俐一に背を向けて歩きはじめた。
(煙草……か……)
俐一は煙草を吸ったことがない。魔導士隊の男子では少ない部類だ。
(でも、なんか、甲板で煙草吸ってた藤根先輩、格好良かったよなぁ……)
思い出して真似てみるが、うまくできる気がしない。
首をかしげていたら、「赤塚くん」と遠くから声がする。
「はい?」
ぱっと振り向くと、佐伯が立ち止まって、こちらを見ていた。
そして、パーカーのポケットから何かを取り出すと、ぽぉんと投げてよこした。
慌てて手を出す。きれいな放物線を描いたそれは、俐一の手のひらに着地する。
──煙草だ。
「えっ、これ」
「あげる」
「え、でも、お金……!」
「いいよ、そんな困ってないし。──でも、君、煙草似合わないと思うよ」
慌てる俐一に、佐伯は目を細めた。
海の上の悪魔~魔導士科海上自衛隊協力小隊より 森きいこ @morikiiko
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