07 海の上の悪魔 下




 佐伯はそれを理解していた。0号実験では、たくさんの魔導士のなりそこないが生まれた。自我を失ったものの強い魔力を持った被験者たちは、魔導士の指示によって魔法を行使する実験に再利用された。

 0号実験では失敗に終わったが、エリオールの研究所では成功した可能性が高い。

 ──それも、ひとえにエリオールという強力な魔導士が作成できたからだ。


(魔法事故の直後の俺も、同じように再利用できただろうな……)


「余裕だね、何を考えているの?」


 佐伯の眼前で、エリオールが愛くるしい笑顔を見せた。

 光の塔から伸びた1本の触手が、佐伯を吊り上げ、エリオールの前にぶら下げている。

 光の触手がぎりりと佐伯の左足を締めあげている。ぐらぐらと揺れて、視界が安定しない。

 目がかすんで、エリオールがよく見えない。実力差を痛感する。──……こいつは化け物だ。


「随分と日本語がお上手で」

「ありがとう」


 エリオールはにっこりと笑みを深くして、光の塔から細身のレイピアを引き抜いた。

 そのレイピアを振り払うと、周囲に光が舞う。

 アイテールが突風のように吹き抜け、佐伯はまともに煽られた。

 佐伯は咄嗟に弓を出現させると、光の塔に突き立てる。

 しかし、すぐにエリオールが光の塔を変形させ、佐伯は支えを失った。


「そんなに簡単に、楽にしてあげないよ」


 エリオールが笑う度、触手が大きく揺れる。

 苦し紛れに矢を番えるが、標準は定まらない。


「ふふ、勇気があるね」

「……ッ、あの、そろそろ……、おろしてほしい、んですが……ッ」

「それは困るよ、あなたが一番強いんでしょ?」

「クソッ……、吐きそうなんだよ!!」

「吐いてもいいよ?」


 エリオールはふわりと笑い、触手を大きく揺らした。

 徐々に赤黒く変色する佐伯の顔を楽しそうに観察する。じわりと涙が零れた佐伯を見て「あははっ」と高い声で笑う。

 そうして、吊り上げる触手は佐伯を吊り上げる高さを増し、そのそばにエリオールが踊るように近づく。


「もう死んでもいいんだよ」

「──お前がな」


 佐伯は、力を振り絞ってジャケットの下から拳銃を取り出した。

 一挙動で安全装置を外し、エリオールの顔に向けると発砲する。


 硝煙の臭い。銃声。


 しかし、それはエリオールには当たらない。目を真ん丸にしておきながら、顔を庇ったその手で、銃弾をつまんでいた。


「銃の扱いがうまいんだね」

「……それくらいしかできないもので」

「ふふ。あなたのことを『マスター』は気に入りそうだ」

「……『』? それは一体誰のことだ?」

「あなたは、知らなくていいよ」


 佐伯がさらに追及しようとした瞬間。





 ──光の塔は、崩壊した。




 エリオールは両腕を広げて、仰向けに落下していく。







「なっ」


 急激に動けるようになり、俐一はその場でつんのめった。藤根は慣れているのか転びはしなかったが、落ちてくるエリオールに向かって走り出した。



「エリオール!」



 藤根が叫ぶ。

 エリオールは、藤根を振り向き、悲しそうに目を細めた。




「──信じてくれたのに、ごめんね?」




 沈黙。

 海に落ちる音、水柱が上る。高く。


 甲板に着地した佐伯は、睨むようにその水柱を見ていた。


 藤根は甲板の端まで駆け寄り、ハンドレールから身を乗り出して海を覗き込む。夜の海は暗く、何も見えない。


「エリオール! おい!」


 呼びかける藤根の首根っこを、佐伯が引っ張る。藤根が嫌がって、海を覗き込むのをやめない。


「あれは敵だ!」

「離せ!」

「藤根さん!」


 抵抗する藤根を、佐伯が思いっきり平手した。

 流石に意表を突かれた藤根が、ハンドレールから引き離された。


「何度言えばわかるんですか、あれは敵だ。魔法テロです」

「俺は……!」

「黙れ! するべきことから目を逸らすな!」

「うるさい!」


 佐伯の言葉に、藤根は怒鳴り返した。

 藤根が佐伯の胸を突き飛ばし、ふたりのあいだに距離が生まれる。



「うるさい、うるさいうるさい!」

「何、逆ギレしてるんですか」

「ああ、逆ギレしてんだよ! 悪いか?!」

「……頭悪いんですか?」

「頭も悪けりゃ、甘いんだよ、オレは。お前の言う通りだよ! でも、オレはそれでいいんだよ!」

「は?」

「オレはヒーローになりたいんだ! 誰かの力になりたい、それの何が悪い!」

「うるさいな……今はそれどころじゃないんですよ。分かってますか」


 エリオールという指揮官を失っても、光はまだ船に向かって集まってきている。甲板の上のアイテールの乱れに引き寄せられているのか。


「俺はこの光を処理します。あんたと赤塚曹長はふたりで艦内の乗員の全員の退避と、念のため設備に何もないかを確認してください」

「オレは」


 さらに言い募ろうとした藤根の胸を、どん、と佐伯が拳で叩いた。



「二度は言いません。



 逆らう間を与えず、佐伯は船首に向かって走り出した。青い光の弓を手に、なりそこなった魔導士たちを始末するために。


 俐一も藤根を止める。


「藤根先輩、中に行きましょう。光の正体が本当に魔導士で、船内に何かをしかけたんだとしたら、船が沈みます」

「俐一……」


 藤根の表情から、怒りの感情がすっと抜ける。

 そして、目を伏せて、息を吐いた。



「分かった。行こう」



 ***



 結果的に魔導士のなりそこないたちは、エリオールという指揮官を失って、特に攻撃をしかけることもなく、海に沈んでいってしまった。甲板にたどり着けたのはおそらく10体ほどで、佐伯とは目立った戦いになることもなかった。

 海自の司令部からは「領海警備の任を離れ、すぐに帰港せよ」と発令された。船の甲板などには多少傷みは残ったものの、そこまで航行に影響はないと判定され、帰港するために旋回している。


 俐一が整備師たちと一通りの確認を終え、再び甲板に戻った時、既に東の空は白みだしていた。


「朝……」


 目がしぱしぱする。

 考えれば、エリオールを保護してから2晩しか経っていない。驚くほどのスピードですべてが過ぎ去っていった。

 ほっと息を吸う、ようやく潮の匂いを思い出した。


(藤根先輩……こっちにいると思ったんだけど……)


 船室にはいなかった藤根を探して甲板に出てきた。甲板には海上自衛官たちが修復や原状回復に当たっている姿があったが、藤根はいない。


(とりあえず、もう一度甲板を回ってみるか……)


 そうして歩いて数分、俐一は意外な光景に足をとめた。

 甲板に横たわる佐伯と、そのそばであぐらをかいている藤根に気が付いたのだ。

 藤根は火のついていない煙草を咥えて、上下させている。


「藤根先輩……?」

「おー、俐一、お疲れ。終わったか」

「はい」


 戸惑う俐一をよそに、藤根は笑って頷いた。

 特に立ち上がる様子もないので、俐一は藤根たちのそばに向かい、腰を下ろした。


「何かあったか?」

「いえ、問題はないみたいです」

「こっちもだ。総員無傷」

「よかったですね」

「おん。まぁ問題はコイツだわな、ぶっ倒れてた」


 佐伯は真っ青な顔で倒れている。

 エリオールとの戦闘と、そのあとの魔導士のなりそこないたちとの戦闘でよほど体を酷使したのだろう。

 エリオールが甲板で保護された時と同様に、魔力を使い果たして眠っている。

 ただ、あまりにも佐伯がぐったりしているだけに、不安を感じる。


「心拍は?」

「問題ない。仮死状態にはなってねえけど、ひとりにしておけねえべ」

「そうですね」


 そうか、彼らは元々バディだったのだ。

 藤根が前代未聞の不祥事を起こしておきながら、魔導士隊の最前線から外されなかったのは、佐伯の尽力もあったのではないだろうか。

」と彼を呼ぶ時、藤根の声に宿る不思議な暖かさや、眼差しに、嫌悪以上の何かが混じっていることは、俐一でも理解した。



 ふたりは、こじれてしまった。

 恐らくその糸の解き方を、どちらも知らないまま。



「煙草、吸うなら、俺が佐伯1尉見てるので、藤根先輩行って大丈夫ですよ」

「んー」


 藤根は煙草を揺らしながら、曖昧に唸る。

 そんな中、佐伯が急に眼を開いた。涼やかな目が、どこかをぼうっと見つめ、指先が何かを探す。


「煙草」


 声が掠れていた。


「はは、バカだね、お前、こんな時まで煙草かよ。昔は吸わなかったくせに」

「アンタが教えたんでしょ」

「吸ってみたいって言ったのはお前だろ」


 ライターを取り出し、藤根は咥えていた煙草に火をつける。

 そして、それを佐伯の口に持って行った。


「ほらよ」

「ん」


 佐伯も当然のように受け取り、深く紫煙を吸い込み──当たり前だが盛大にむせた。


「ゴホッ、ゴホゴホッ」

「あーははっ、そらそうだろ。バーカ」


 煙草を奪い返した藤根は、そのまま、煙草を吸い始める。空を仰いで、ふーっと煙を吐いた。

 その足元では、まだ佐伯が咳込んでいる。


「ふ、藤根先輩、ここ禁煙です」

「んー?」



 藤根は笑った。静かに、そして、いつもよりも穏やかに。



「大丈夫、オレ、処分は慣れてっから」


 ゆっくりと朝日が昇る。


「うおー、流石にまぶしいな」



 長い夜が明けた時、そこに残っているものは一体何だろうか。

 悪夢の終わり。


 俐一はようやく息を吸い込んだ。息が、できる。

 そのことが、とてもとても、嬉しく感じた。


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