07 海の上の悪魔 上
鳴り響く警報に、ベッドに入っていた俐一は飛び起きた。
一瞬、何が起きたか混乱するが、向かいのベッドにいた藤根はベッドから降り、ブーツを素早く履くと走り始めた。
緊迫する船内。
ただ、その緊迫の理由はイヤでも分かる。
(……魔法だ、魔法が使われている……)
甲板に向かって走るなか、俐一は押しつぶされるような恐怖を感じ始めた。
(何かが、迫ってきている……)
音がうまく聞こえない。
現実世界の上にあるアイテールの気配に異常に敏感になっている。アイテール同士がぶつかりあい、その場でぐるぐるとめぐっている。竜巻のように、渦を巻いているのが見える。
アイテールがここまで見えることということは、大規模な魔法が使われていることに違いない。
甲板に飛び出すと、誰もかれもが棒立ちになっていた。藤根も、俐一の足も、びたりと縫い付けらたように動けなくなる。
自衛隊員たちの悲鳴や、困惑した声、怒号がする。
ただ、それがひどく聞こえにくい。俐一の感覚自体が、場で荒れ狂うアイテールに強い影響を受けていた。
全てが歪んで見え距離感がぼんやりと狂うなか、光の塔が見えた。
美しい、ガラス細工のような塔だ。
「……あれ……は」
「電波塔だろうな」
呆然と呟く俐一の後ろから、佐伯が姿を現した。
誰もが棒立ちの中、佐伯だけが歩みを止めない。目を凝らすと、彼の周りだけアイテールをカプセルのように包み込み、その場に満ちる魔法から外れている。
「電波塔って……どういう……」
そう呟いて、周辺の海に気が付いた。
光だ。
人の頭くらいのサイズの光が、すぅーっと引き寄せられるようにこちらに向かってくる。
「藤根さん。あれ……」
「……なんだ、あれ……」
光。
強い光……その光の大きさはアイテールの光の粒よりもどう見ても大きく、強い光だ。
「こっちに向かってくるなんて、どういうことだよ」
藤根の困惑した呟きに、佐伯の冷たい返答が重なる。
「答えはひとつだけ。あの子は亡命希望なんかじゃない」
光の塔のてっぺん。
そこに、拘束されていたはずのエリオールが立っている。
エリオールはまるで指揮棒を振るように両腕を動かしている。こちらに背中を向け、船首の方向を見ていた。
エリオールが腕を振ると、光がすぅーっと寄ってくる。
いくつもの光、それこそ、数えきれないほどの光。
「──エリオール……」
藤根の声は震えていた。
ぴたりと、エリオールの手が止まる。一番はじめの光は哨戒船に向かって、速度を上げる。
「藤根さん……」
驚くほど明瞭な日本語の発音だった。
エリオールが振り返る、表情は泣きそうに眉を下げていた。
甲板に組み上げられた光の塔の頂点で、エリオールはこの船を支配している。
恐ろしいほどの魔力だ。
エリオールは、不意に上空に視線を向けると頷いた。ぐっと眉を寄せてまた腕を振り始めた。
光がさらに近付く。
「動くな!」
佐伯は光の塔を駆け上がりながら、左手を前に伸ばす。青い光の弓が出現したと思えば、即座に弦を引き、矢を放った。
エリオールが支配する場を、佐伯が飛ばす矢が切り裂く。
しかし、その矢はエリオールに届かなかった。彼が振り向いただけで、矢は勢いを失い、消失した。
佐伯は光の塔を駆け上る。
「あなたこそ、動くと危険だ」
てっぺんにいたエリオールが、佐伯を指さすと、その光の塔はぐにゃりと形をかえた。
触手のように伸びた光の塔が、佐伯を飲み込もうと大きく口を開いた。
「──……っ」
足元を失ったせいで、佐伯の体が大きく傾いだ。
「サエッ!」
その姿を見て、藤根が叫ぶ。
サエ。突然出てきたふたりの過去の残滓に、俐一が戸惑った。
俐一以上に驚いたのは、エリオールだったようだ。
その呼び名に込められた親しさや、近しさ。エリオールは目を丸める。
その時、コンマ数秒ではあるが、触手の動きが鈍る。その短い間だけで、佐伯には十分だった。
触手のひとつに足をかけ、高く飛び上がる。
その姿勢のまま、佐伯はまた青い弓をつがえた。
3本の矢はそれぞれ、エリオールの足、両手に向かって飛んでいく。
ハッと我に返ったエリオールは、その矢を弾き飛ばす。
カキンッと音を立てて、矢は砕ける。
「佐伯1尉……っ」
アイテールの動きがどんどん激しくなり、俐一の目ではなかなか追えなくなってくる。
(僕も、どうにか……力にならないと)
エリオールが支配したこの世界の中、まだ一歩も前に出ることができない。
(指先くらいは……行けるか?)
無理やり力を込めると、額に脂汗が浮かんだ。アイテールを集めようと、手に力を籠める。
周囲にあるアイテールは一瞬、俐一の方に引き寄せられるが、すぐにエリオールと佐伯の方に向かっていく。
「やめとけ」
藤根が低い声で告げた。
「無駄だ、オレたちじゃ歯が立たねえ」
「でも……」
「佐伯とあれだけ互角にやれるんだ、エリオールも1級相当だ。オレたちが束になっても勝てるわけがない」
「……っ」
現実的だ。
エリオールと佐伯の動きは、アイテールの動きを追える俐一でさえ、圧倒されるほどだ。
佐伯と戦いながらも、藤根と俐一の加勢を認めず、抑え込むだけの余地がエリオールにはある。
先手を打たれたということを含めても、明らかにこちらが不利だ。
ふっと、俐一は視界の違和感に凍り付いた。
海の上を何かが飛んでくる。
人の顔。
こちらに矢のように真っすぐと飛来するソレには、まごうことない人の顔があった。
「……人の顔……」
「まさか、飛んでるのは、魔導士か……?」
「どうして魔導士が!?」
藤根と俐一は呆然と海を見る。
何十何百という数の光がこちらに飛来する。それのひとつひとつに顔があるのだとすれば。
「そうか、電波塔……」
藤根がぽつりとつぶやく。
佐伯が「電波塔だ」と言っていた光の塔と、飛来する彼らは同じ色の光をまとっている。
「エリオールが呼んでるのか……?」
「呼ぶ……? そんなことできるんですか?」
「可能だろうな……0号実験も似た実験をしてた」
「0号実験……!」
藤根の顔は怒りに歪んでいた。
「文字通りの魔法兵器だ。……ひとりの魔導士が自我を失った被験者を操る」
光はこちらに向かってくる。
確かに、その飛ぶ光は、エリオールが飛来してきた時の軌道に似ていた。
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