05 それぞれの思惑 下
佐伯と別れて医務室に向かいながら、俐一は頭を抱えた。自然とため息が溢れた。
「初任務で、とんでもないことになったな……」
飛んできた他国の魔導士(国名不明)。
悪名高い魔導士作成の実験と同じ手法で人工的に作り出された魔導士の少年。
そして、魔導士隊はじまって以来の不祥事を叩き出したふたり組と事態の収拾に当たらなければいけない。
(荷が重すぎるんだけど……)
年の近い魔導士はいるにはいるが、当然向こうは特別駐屯地で訓練中。
それに、ここまで機密情報だらけの話を打ち明けられるはずもない。
「はぁ……とにかく藤根先輩のところに行かないと……」
俐一が医務室に辿り着いた時、微かに会話が聞こえた。
(ん……目が覚めた……のかな?)
聞きなれた藤根の声と、そして、少年の声、エリオールだ。
(このまま、放置していては……いいのか?)
いや、だめだろう。佐伯はこれを避けたくて、俐一に頼んだ。
(何も知らないふりをして、入っていくしか……ないよな?)
よし、と気を取り直して、医務室の中に入る。
中には医官数名と、エリオール、そしてベッドのそばの丸椅子に腰かけた藤根がいるだけだ。
鎮静剤から目覚めたばかりだろうエリオールは、どこかぼんやりした目でこちらを見る。ガラス玉のようなエリオールの目が俐一を映している。
「俐一? ……ああ、もう交代の時間か?」
「あ、いえ。もう少しすると佐伯1尉が交代に来てくれるそうです」
「あいつが……?」
藤根が怪訝そうに眉を寄せる横で、エリオールがびくりと体を竦めた。
「さえき……」
「大丈夫だ、心配はいらない」
「あのこわいひと?」
「そう。でも、オレも俐一もいるから、な?」
藤根はいつも通りの明るい表情を向ける。エリオールの表情は冴えないままだ。それでも、力なく微笑む。
目を覚ましてもやはり、連想するものはビスクドールだ。それも量産品ではなく、人形師たちが丹精込めて作った作品。
ゆるい巻き毛の髪、色素の薄い瞳、顔立ちはアジア系に間違いない。
「目が覚めたんですね? 具合はどうですか?」
当たり障りのない質問をすると、エリオールは赤塚にもぎこちない笑みを向ける。
「ぐあいは、わるいです」
「あ、そうですよね、鎮静剤もそうだし、魔力もかなり使ったから」
小さな頭がこくんと頷き、同意を示す。
「大丈夫?」
「おなか、すきました」
「今、食事を手配してもらってるんだ」
藤根が言った。
「まずはスープみたいなものを食べられるかどうかだろうなって感じだけど。無理そうならまぁ、点滴だな」
「ステーキ、たべたい」
「ははっ、食えねえよ、何日も胃が空っぽだろ」
エリオールの言葉に藤根が笑う。
(随分、打ち解けたんだ……)
そのふたりの姿にどうしてか落ち着かない気持ちになる。
佐伯に見張れと言われたせいもあるだろう。
そうでなければ、藤根が明るくエリオールに接することは何の違和感も持たなかった。新任の俐一にも、藤根は親切で丁寧だ。
だから、自然に思える。
「何日か経って、胃が落ち着いてきたらカレーの日になるだろ」
「かれー……?」
「あー、お前の研究所ではカレーは出なかったか?」
「うん、かれー、しらない」
「カレー……なんて説明すればいいんだ?」
「難しいですね。カレー……」
エリオールが不思議そうに首を傾げるが、藤根も俐一も返答に困ってしまった。
「と、とにかくその日が来れば分かる、名物なんだ!」
「そうです、金曜日になると日本の海上自衛隊の船ではカレーを食べるので、絶対に出ます!」
「かれー……めいぶつ」
「うまいぞ!」
藤根が力強く言い切ると、エリオールははにかむようにして頷く。
「たのしみ、たべられると、いいな」
「おう、一緒に食べような!」
俐一は、佐伯が自分がついているようにと言った理由が分かった気がした。
そして、それと同時に佐伯があまりにも慎重で、リスクを高く見積もりすぎているだけだと思いたかった。
こんなに小さな存在が、そんな悪意を持っていると信じたくはなかった。
*
──エリオール。わたしのかわいいエリオール。
目を開ける。薄暗い闇の中、ぼんやりと辺りが見えてきた。
そうだ、ここは研究所ではない……ぼくは、いま『外』にいる。
──エリオール、わたしのかわいいエリオール、最高の人形遣い。
歌うようにぼくを呼ぶ、きれいな声。アイテールたちも喜んでいる。
──エリオール。準備ができた、あなたの時間よ。
エリオールは自分を拘束する器具を見る。
その器具は、弾かれたように外れ、エリオールは重力を感じさせない動きで立ち上がった。
鳥のように、バレエのように。
──エリオール。わたしのかわいいエリオール。
はい、マスター。
ぼくはこのために生まれたのですから。
エリオールが歩く、バチンッと音を立てて電気が消えた。
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