志方タカシの日本いきいき列島
久佐馬野景
志方タカシの日本いきいき列島
平日の午前六時。1970年代を思わせる軽妙なBGMとともに、録音された志方タカシのオープニングコール。BGMの音量が上がり、しばらく流れ続ける。
しっかりとした発生と滑舌で、志方タカシ本人の挨拶。ここから三時間、生放送が続く。その時間の大半はスポンサーのコマーシャルとMCである志方タカシと販売員の掛け合いによるショッピングコーナーに費やされる。
志方タカシはリスナーからのメールを読み上げ、ツッコミを入れ、笑いを作り上げている。果たして日本でこのラジオ番組にメールを送るようなを人間が何人いるのかと疑問に思うかもしれないが、毎日リスナーからのメールは届いていることになっている。
――ではいきますよ。志方タカシの日本いきいき列島。今日も一日ガンバリマショウ。
オープニングトークが終わるとすぐにCMに入る。パチンコ店のチラシ投函日のお知らせ。地元企業が局アナをナレーションに使って社名を連呼させる。法律事務所によるナノマシン禍で後遺症を負った被害者への賠償金請求無料相談のフリーダイヤルの連呼。立て続けに別々の法律事務所による同じ内容のCMが三本続く。
当時を知る者は今や少ないだろうが、かつてのラジオCMといえば、法律事務所による消費者金融やカードキャッシングによる過払い金返還請求の無料相談を謳う広告で溢れかえっていた。それに比肩していたのが、志方タカシ出演のCMである。
志方タカシは主に健康食品や健康グッズと呼ばれる商品のCMタレントとして起用されていた。
最近(身体の箇所)が悪くて。
そんな時にはこれ。(社名)の(商品)。
わたくし、志方タカシも愛用。本当によくなるんです。
(社名)の(商品)。是非お試しください。
おおよそこのような内容のCMが毎日ラジオから流れていた。ある調査によると、志方タカシが同時期に不調を訴えていたのは視力、老眼、鼻炎、口内炎、難聴、肌荒れ、記憶力、薄毛、肥満、冷え性、腹痛、便秘、頻尿、勃起不全、信仰心、愛国心、感謝の心――など27項目におよぶという。無論過去のものや現在に至るまでの間に担当したCMを含めればさらに数を増す。
特段志方タカシが密接に関わったのは、「健康」という理想そのものだった。なんの説明も科学的根拠もなく、「健康になる」という触れ込みだけで宣伝を行う商品では、かなりの確率で志方タカシがCMキャラクターを務めていた。
わたくし、健康と聞くと買ってしまうんです――というのは志方タカシがCM外のラジオやテレビのバラエティ番組、販売員との掛け合いが生じる通販番組で口にするキラーフレーズ、あるいはお決まりのギャグであった。
それはつまり、志方タカシが健康体とは呼べない肉体を保持していたことを意味する。27項目の不調を真に受けるなら、彼は数多の不調を抱えながらタレント活動を行っていたことになる。
当然ではあるが、CM内でタレントが訴えている不調はタレント本人とはなんの関係もない。風邪薬のCMに出演しているタレントが常時風邪を引いている道理はない。
ただし、テレビやWEB上の一般的なコマーシャルでは、タレントが演技を行っているという共通認識が存在していたことには留意しておくべきである。
対して健康食品、健康グッズのコマーシャルでは、「個人の感想です」という小さな註が入りこそすれ、CM内に登場する人物の感想に見せかけた宣伝文句は実際の体験・体感として語られ、多くの視聴者もそう受け取るようになっていた。
志方タカシはこの構造を巧みに乗りこなした点で、他とは一線を画していた。
ここで志方タカシという人物について振り返っておく。
志方タカシ――本名志方孝則は1952年、兵庫県に生まれる。建設会社社長の父と主婦の母、三人の弟という家庭で育つ。両親の方針で極めて厳しい教育を施され、京都大学に進学。大学進学後の志方孝則はそれまでの反動のように荒れた生活を始める。酒と女、音楽とドラッグ。大学卒業後は就職に失敗し一年間を大学時代と変わらず過ごす。その後父親のコネで関連会社に就職。働き出したものの遅刻や無断欠勤、サボりが常態化し、二ヶ月で解雇され、父親から勘当を言い渡される。
大学時代の遊び仲間の家を転々としていた時期に、大阪のラジオ局の一般参加型バラエティ番組に出演。これがきっかけとなり芸能界入りを果たす。
その後関西を中心にラジオDJとして長年活躍。関西での知名度獲得に成功し、2000年代には在京キー局でテレビ出演も行うようになる。次第にバラエティ番組から通販番組へとテレビでの活躍場所を移し、健康CMタレントとしての地位を確立。2011年の東日本大震災を機に活動拠点を大阪へと戻し、1989年から続く自身の冠番組――現在放送中の『志方タカシの日本いきいき列島』をメインに活動していくこととなる。
――生放送でお送りしております志方タカシの日本いきいき列島。今日も一日ガンバリマショウ。
長いCMが明け、再び志方タカシによる
志方タカシは最近肩こりが気になる旨を話し、販売員が待ってましたと実際に口にして商品の紹介を始める。
このように、志方タカシは健康に関する商品に対し、常に自分もまたそれが必要であるというスタンスを崩さない。
個人の感想です――という註を完全に我が物とし、健康のためならば努力を惜しまないライフスタイルを東京時代にテレビで何度も披露してきた志方タカシは、健康商品の販売を行う会社にとって最良のタレントであった。
関西では抜群の知名度を持ってはいたが、全国区の知名度はそこまで高くない。逆に言えば、関西での評価が全国まで広まっていないということであった。
志方タカシのラジオ番組に対して、面白い・つまらない、といった評価軸は存在しないのも同然であった。志方タカシは気づいた時には関西のラジオの顔役であり、誰もが彼の番組を一度は聴いて育ってきている。志方タカシは、気づけばそこにある存在であり、ラジオのトーク内容や番組の構成について批評を行う者は存在しなかった。
通勤する車内のカーラジオ。定食屋のつけっぱなしの据え置き型ラジオ。目当てのカルト番組を今か今かと待ち構える前の数分。そんな時間に知らず知らずのうちに入り込んでくるのが志方タカシの番組であった。
いわゆるお笑い芸人のような、面白さの尺度は求められていない。お笑いファンは志方タカシなど歯牙にもかけず、かといって嫌悪しているわけでもない。お笑い芸人と志方タカシはまったく異なるフィールドに立っている。つまらないから聴かないという者もいるにはいるだろうが、それ以上に日常に溶け込んだ流れていて当然のBGMとして受け入れられている。
志方タカシが関西でなぜその位置に納まっているのか、理解している者は極めて少ない。だが知名度は間違いなくある。
志方タカシまたは彼の所属事務所はこの点を利用して東京での自分をプロデュースした。「関西で知らない人はいないスター」「関西の重鎮登場!」「知らんのか!? 志方や!」――テレビのバラエティ番組内でも、志方タカシは独特の立ち位置にあった。当時の映像を見ると、ほかの出演者たちの志方タカシに対する扱いが、タレントに対するものというより、文化人に対するものに近かったことがわかる。
雑にイジるには志方タカシはキャリアを重ねすぎていた。また単純に、外見が年寄り臭い点も芸人たちを躊躇させた。志方はその芸歴の長さから、関西の大手芸能事務所に太いパイプを持っていた。実際に志方のラジオに出演して粗相をした芸人が干された過去は、芸人たちのネットワーク内で即座に共有された。わざわざ危ない橋を渡って志方に絡んでも、テレビに映る志方はしょぼくれた親爺であり、若い芸人が年寄りをいじめているようにしか受け取られない。下手に手を出せばこちらが勝手に火傷を負うことを、嗅覚鋭い芸人たちはみな見抜いていた。
結果として、全国ネットのテレビに出演した志方タカシに対する印象は、舌鋒鋭い芸人たちがそろいもそろって手出しのできない大物というところに落ち着いた。口うるさい芸人どもを黙らせてしまう地方の大物はしかし、自らは口汚い言葉を用いることもなく、物腰も柔和、関西弁で穏やかだが軽妙なトークもこなす。若い芸人では理由はともかく太刀打ちできない存在感によって、同年代から圧倒的な支持を集めるに至った。
テレビを席巻していた芸人が誰も志方タカシに口答えできない――この構図は年を食った視聴者たちにとっては胸の空く思いだったはずだ。
志方タカシに好感を持つ視聴者層と、健康商品の購買層は、こうして重なった。
CMタレントに志方タカシを起用したことによって売り上げが伸びたというデータは確認できない。健康商品のCM内での「売り上げナンバーワン」「大人気」「品切れ続出」といった言葉を信じれば常に売り上げは伸び続けていることになるが、無論信用できるデータであるはずもない。
だが健康商品を販売する会社と志方タカシの関係は両者に利のある極めて良好なものであった。
志方タカシは取り憑かれたように健康を第一としていた。これは決して健康的な生活を第一とすることと同一ではない。
志方タカシは東京でテレビ出演を行っていた時期にも、『志方タカシの日本いきいき列島』をはじめとした関西のレギュラーラジオ番組に必ず生出演していた。大阪のスタジオで午前六時から始まる生放送に間に合わせるためのスケジュール調整は困難を極め、時に破綻した。東京でも一定の支持を集めるようになると、番組出演のオファーと拘束時間はさらに増え、最終の新幹線ではまったく間に合わなくなり、深夜バスを頻繁に利用することとなった。
ピーク時に五十代半ばであった志方タカシの肉体は悲鳴を上げた。志方タカシの言う健康とは、酷使した肉体を強引に回復させたように誤魔化すすべを示していた。
2011年を機に東京でのテレビ出演を取りやめたのも、「東日本大震災をきっかけに故郷の大切さを噛みしめた」と本人は語っているが、実態は身体の不調が限界を迎えたためという見方が正確であろう。
過労は深刻なものであったらしく、長く尾を引いた。ラジオのスタジオに点滴装置ごと現れたという逸話も残っている。CM撮影は主に東京で行われたが、東京と大阪の往復回数は大幅に減り、徐々に回復に向かっていった。健康商品がどれだけ貢献したかは一切語られていない。
その後二度の癌を患いながらも仕事を続け、闘病を綴った書籍『志方、死なへんで』を出版。売れ行きこそ芳しくなかったが、自身の体験を商品化する方法を学習する。
大手スポーツジムをスポンサーに迎えたダイエット挑戦企画。美容整形外科をスポンサーに迎えた脂肪吸引体験企画。このあたりから芸能人のインターネット動画サイトへの進出が顕著となったこともあり、志方タカシもYouTubeチャンネルを開設。さまざまな企業案件、コラボ、企画を行っていく。
ただし、志方タカシはあくまで健康CMキャラクターとしての立ち位置を堅持した。志方タカシと健康商品のCMは切り離せないほどの密接さが続いている。YouTubeで生配信を行った際、視聴者からのコメントに目を通した発言を行いながらも、スポンサー企業や健康についての質問コメントに対しては徹頭徹尾無視を決め込んだ。
あれだけ健康に口うるさかった志方タカシが視聴者からの健康相談の一切をスルーしていく様は、ある種の恐怖すら感じられたという。
志方タカシのCMキャラクターとしての職業意識は本物だった。人前では決して本音は話さず、本音を引き出される恐れがあれば相手を無視する。あまりに多くの商品のCMに出演していたが、それぞれの比較や差異についても絶対に語らなかった。どのCMでも「わたくし、志方タカシも愛用。とてもよくなるんです」の意を徹底する。
マクドナルドのハンバーガー食べ比べや、好きな餃子の王将のメニューベスト3などの動画を上げながらも、自身のフィールドである健康商品に関しては異様なほどの沈黙を貫いた。
そんな志方タカシのYouTubeチャンネルに、健康に関する動画が初めてアップロードされる。
黄色の背景に笑顔の志方タカシのサムネイル。大きく太い赤文字で「最強・最新の健康法」。動画のタイトルは「【超最新】志方タカシが最新技術で健康挑戦!「こんなにすごいんや……」歴戦の志方がまさかの驚愕」。
動画の冒頭、志方タカシはこの動画がカッパ製薬からの企業案件であることを述べ、自身とカッパ製薬の長い付き合いについて長々と語る。
カッパ製薬は国内大手の製薬会社であり、志方タカシを最初にCMキャラクターに起用したことで知られる。志方タカシとカッパ製薬の関係は密接であり、志方タカシは他社の健康商品のCM・通販番組に出演する際には必ずカッパ製薬にお伺いを立てると言われている。
つまりはこの動画がアップロードされるまでかたくなに健康についての発言を慎んでいたのはカッパ製薬との契約によるものだと、本人が口にこそしなかったものの、誰にでもすぐにわかるようになっていた。
動画の中で志方タカシは金属製のケースに入った錠剤らしきものをカメラに向ける。
このころ、国外で盛んに発達していた技術。広範にわたる技術を大きくまとめてインプラントと呼ばれたそれらは、ナノマシンの投与による医療技術を指すようになるはずだった。
インプラントは日本国内ではまったく開発競争に追いつくことができず、すべて遠い国での出来事として扱われた。世界中で日夜起こっていたインプラント導入反対派と推進派によるデモも、至極当然にこれまで海外でのデモを報じる時の論調と変わらなかった。つまりどこか遠くの国の意識の高いバカが言い争っている――としか受け取られないように。
とうの昔に技術力が世界に及ばなくなっていた日本国内では、政治家が「日本の技術力があればインプラントはすぐにでも開発できる」と胸を張った。無論現代において日本がナノマシン禍からの回復が見込まれていない事実からして、これが誇大な妄言であったことは疑いようがない。
だが政治家は国民に夢と冷笑を与えてやらねばならなかった。日本は大人で冷静な国家であるから、騒々しいインプラント導入議論にそもそも参加しないのだと。その気になれば世界が驚くインプラント技術を開発できるのだと。
動画の中の志方タカシは錠剤を掌の上に乗せて説明を始める。説明とタイミングを合わせ、効果音とともに画面に字幕が出現する。わかりやすく大きく太いフォントと目立つ色合いで。
字幕と志方タカシの言葉では、この錠剤は「スーパーシード」と呼称されている。
カッパ製薬がインプラント技術を輸入し販売を行うにあたって、最も難航したのが商品名の選定だったとされる。
当時の人類は自然を愛し、人工技術を嫌悪する。特に健康を掲げる食品やサプリメントでは、「自然由来」「オーガニック」「無添加」といった文言が宣伝文句として機能し、生産される際に行われる科学反応や科学技術の結晶である工場による大量生産といった過程は徹底してCM内から排除された。
だが同時にまた一方で、自らの知識の及ばない科学によって生み出されたとされる商品には理論を理解しないままに盲信するという者も多かった。当時から疑似科学、エセ科学などと呼称されていたそれらは、そうした呼称が必要になるほどにまで社会に浸透していた。
カッパ製薬はこの二つの間にインプラントを位置づけた。
スーパーシードという商品名は一見、当時広く普及していた「スーパーフード」や、スーパーフードとして「シード」と名のつけられた食用植物種子の同類と思わせる。
一方で「アメリカの最先端技術」「健康を科学する」「血液サラサラ」「飲むだけで健康に」といったワードも宣伝の中に落とし込む。
インプラント技術であることは「個人の感想です」と同じ文字サイズで註を入れるだけにとどめた。
実際、インプラント技術はこの時点で未発達だったことと、活用法としてメディアで紹介された使用例がどれもダイエットや健康維持、癌治療といった以前より擬似科学の入り込んでいた領域に偏っていたため、大半の国民にはインプラントは怪しげな未認可技術としてしか受け止められていなかった。
法整備も道のりは遠く、代わりに抜け道はいくらでも存在した。時折芸能人がインプラントを実践した体験談がネットニュースになっていた。海外に行けばいくらでもインプラントは可能であり、大規模な美容整形と感触は変わらない。
そしてカッパ製薬が輸入販売を開始するにあたって志方タカシに使用を依頼したスーパーシードは、手軽さ、輸送のしやすさ、投与の負担の少なさから、確かに当時の最先端をいく技術であった。
錠剤に見えているのは無数のナノマシンが結合し結晶状となっている状態である。これを嚥下し、胃に到達すると胃酸に反応してナノマシンが分離し、消化器に吸収されるかたちで全身に行き渡る。
スーパーシードの宣伝文句によれば、「スーパーシードでからだは常にメンテナンス」「食べ過ぎを未然に防ぐ」「気分はいつだって上向き」――。
全身にスーパーシードが行き渡った状態で、血中のスーパーシードは特に身体のメンテナンスをするわけでもない。ただ全身にナノマシンが入っているというだけである。
スーパーシードにプログラミングされた機能はふたつ。
ひとつは食事を開始すると血中のナノマシンの一部がブドウ糖と同質の構造に変化することで誤認を起こし、血糖値を上げることなく食欲を軽減する。「食べ過ぎを未然に防ぐ」がこれにあたる。
もうひとつは脳に到達したナノマシンがシナプスに作用し、セロトニンの再吸収を阻害する。抗うつ薬と同等の作用を、服薬なしに長期間再現する。「気分はいつだって上向き」となる。
動画内の志方タカシがスーパーシードを白湯で嚥下し、用意された体重計に乗る。体重がテロップとして表示され、覚えておくようにと念押しする。
画面が一時暗転し、「一週間後」とテロップが入って志方タカシが体重計に乗る場面へと移る。一週間前の体重のテロップがまた表示され、もったいぶって体重計に乗る。表示された体重にズーム、集中線が入る。一週間前と動画内の現在の体重が画面にデカデカと字幕で表示され、それを覆うように「マイナス5キロ!」というテロップが入る。
志方タカシの説明。自分の一週間の生活がこれまでと何も変わっていないこと。スーパーシードを一度摂取してからずっと体調がいいこと。若返った気分。なんでもできそうな気がする。本当によくなるんです――。
最後に動画概要欄にカッパ製薬のホームページへのリンクが貼ってあること、チャンネル登録、高評価のお願いを行い、著作権フリーのBGMが流れて動画が終わる。
この動画がスーパーシードの売り上げにどの程度の貢献をしたのかは不明である。志方タカシのYouTubeチャンネルは存在すらあまり知られておらず、総再生回数はお世辞にも多いとは言えない。スーパーシード紹介動画は同チャンネルのマクドナルドのハンバーガー食べ比べ動画よりも低い状態が一年以上続いた。
ただ、スーパーシード自体はそれなりの販売数を稼いだ。テレビCMラジオCMとも志方タカシが出演し、いつもと変わらぬ宣伝文句を繰り返した。
CMを見た者は、カッパ製薬が販売している無数の健康商品と大した差異はないと受け取った。つまりカッパ製薬の健康商品を進んで購入している層は、いつも通りスーパーシードを試すこととなった。
最初の死体はスーパーシード発売から半年が過ぎたころ、大阪の繁華街で見つかった。
死因は低血糖性昏睡による脳死。故人に糖尿病の治療歴はなく、勤務先で受けていた健康診断でも問題は見つかっていなかった。
全国で同様の死因で突然死する者が頻発するようになり、関連性を追求する者が現れないまま死者は増え続けた。
きっかけは原因不明の突然死が百件を超えたころ、トラック運転手が大型トラックを運転中に突然死し、登校中の小学生の列に突っ込んだ事件が発生。この事件の原因を究明する過程でスーパーシードの服用が取り沙汰された。
スーパーシードがインプラント技術であることが初めて大々的に報じられ、「飲んだら死ぬ」「ゾンビになる」「飲んだ人間に近づくと伝染る」といった風評が広まり続け、正しい情報は誰にも届かなくなった。
のちに判明したスーパーシード服用による突然死の原因は、血中でブドウ糖と誤認されるナノマシンの量が増加することによって、人体に必要な量のブドウ糖が生成されなくなるというものだった。
凄まじい非難を浴びせられるかたちとなったカッパ製薬は必死の弁明を行った。
最大の問題は、カッパ製薬が一度体内に入ったスーパーシードを取り除く技術を有していないことであった。スーパーシードを再プログラミングし、擬似ブドウ糖化を止めてひとまず無害化する方法すら存在しなかった。
カッパ製薬の弁明は「スーパーシードは安全である」の一点張りであった。こう言っておかなければ対処のしようがないのだから、極めて真っ当で無責任な判断であったと言える。
事態が変わったのは突然死が千件を超えたころ、ある食品工場に勤務する男が工場の製造ラインで複数の食品の中にスーパーシードを砕いた粉末を長期間にわたって混入させていたことが判明する。
スーパーシードは一度飲めば効果が持続するとされ、代わりに値段は高額であった。男に大量のスーパーシードを購入する資金があったとは思えず、背後になんらかの組織立った存在があると目された。巷間ではカッパ製薬がその筆頭として上げられたが、自社商品を用いて被害を拡大させる行為がカッパ製薬にとって利益になるかどうかは大いに疑問が残る。
食品工場でスーパーシードが混入したのは小麦粉、米飯、生乳など多岐にわたった。そのどれもが日常的に口にする食品へと加工され、日本中に行き渡っている。
突然死は止まらなかった。おぞましいナノマシン禍が歴史上初めて、日本という土地で巻き起こった。
この時期、志方タカシのYouTubeチャンネルの動画の再生数が凄まじい勢いで増加していた。特に増加が著しかったのは、志方タカシがスーパーシードを服用する動画であった。
最初は無論、スーパーシードの宣伝に加担した志方タカシを非難するコメントや低評価が相次いだ。
だが次第に、志方タカシを賞賛するコメントが増えていき、高評価が圧倒的多数となっていった。
視聴者によって、志方タカシが服用したスーパーシードが初期ロットよりも古い、関係者のみに配された開発者向けロットだと判明した。
このころ海外では、カッパ製薬がスーパーシードと名づけて販売したナノマシンの製造元が弾劾されていた。日本でのナノマシン禍の責任追及ではなく、ナノマシンの不正利用の疑いによってである。
日本でスーパーシードと名づけられたインプラントは海外でも販売する予定があった。だが事前の入念なチェックにより、擬似ブドウ糖化の欠陥、および明確な不正の事実が判明した。
スーパーシードの開発者向けロットには、後発のロットに対して悪質な優位性が存在した。
具体的には、開発者向けロットのナノマシンは、後発のナノマシンに対して命令権を持っていた。
体内のナノマシンにプログラミングの範疇ではあるが、自在に挙動を起こさせることができる――というものである。
スーパーシードにはブドウ糖の誤認ともうひとつ、脳に到達し、ニューロンへの作用を起こす。ニューロンの完全な掌握や変成といった技術は未到達ではあったが、それでも抗うつ薬と同等の働きが可能である。
つまり選ばれた特定の人間が、一般販売されたスーパーシードを服用した人間を部分的に支配する――そんなおぞましい計画が企てられていたのである。
製造元の会社とインプラント技術に出資していた会社、投資家、個人はみな等しく徹底的に非難され、社会的地位を剥奪された。
恐ろしい悪魔の計画は、こうして未然に防がれたのである。
それらは日本にとって遠い海外の話でしかなかった。
志方タカシの動画は凄まじい再生回数を稼ぎ始めた。スーパーシード服用後の志方タカシの一言一句、一挙手一投足が、体内にスーパーシードを取り込んだ国民を熱狂させた。
志方タカシは別段強い物言いや命令口調を振るうことはなかった。動画の最後の挨拶では、チャンネル登録と高評価のお願いとともに視聴者の健康を気遣う言葉を述べることも多かった。
これが、覿面に効く――という噂が広まった。
動画の中の志方タカシに健康をお祈りされると、本当に健康になる――一見疑わしい俗説であったが、開発者向けスーパーシード服用後の志方タカシの声には、一般に普及、蔓延した体内のスーパーシードを励起させ、血中でのブドウ糖化の防止、脳内でのニューロン発火を促すことが証明されている。
志方タカシの声はたちまち最強の健康グッズと化した。志方タカシの動画を視聴することでスーパーシードの暴走を阻止し、気分を上向きにするという健康法が一般化していった。
志方タカシの動画を複製したDVD・ブルーレイがYouTubeの視聴方法が把握できない高齢者向けに違法に販売された。
複数人で集まり、全員で志方タカシの動画を視聴し、体内のナノマシンの励起によって起こる違和感を神秘体験として共有するセミナーが勃興した。
志方タカシの音声データを加工し、任意の音声を出力することによって相手を支配する催眠アプリと銘打たれたアプリが無数に開発、ダウンロードされた。
この熱狂を重く見たのか、運営によって志方タカシのYouTubeチャンネルは凍結され、志方タカシの音声を用いた動画はすべて削除対象とされた。だが違法動画や再アップロードはあとを立たず、この一方的な凍結によってかえって世間での志方タカシ動画の需要は加速した。
志方タカシは、変わらずに『志方タカシの日本いきいき列島』に出演していた。平日午前六時、関西ローカルでの放送にもかかわらず、聴取率はあらゆるラジオ番組を抜き去り、テレビ番組の視聴率すら足下にもおよばないほどの数字をたたき出していた。この番組を聴くためだけにradikoのエリアフリー機能目的でradikoプレミアム会員が増加し、あらゆる有料会員サービスの登録者数を抜き去った。
反響を受け、または重く受け止め、『志方タカシの日本いきいき列島』はある休日の正午から、特別編として全国放送を行う運びとなった。
志方タカシによる現状の説明と、これからの番組運営の方針、そして特別な存在となってしまった志方タカシの意思の表明が行われると報じられ、その日の正午にはほぼすべての国民がラジオの前で待機することとなった。
志方タカシは放送内で、自身が以前のような立ち振る舞いができなくなったこと、「不快な思いをした方々へのお詫び」と称した謝罪を行い、だが、それでも、自分はラジオに、『志方タカシの日本いきいき列島』に恩返しがしたいと声を震わせ、今後も番組を継続していく旨を報告した。
そして志方タカシは以下をリスナー――全国民に宣誓した。
志方タカシの発言のすべてに専門家の監修を入れ、決して志方タカシの発言による事故を起こさないこと。
発言の内容はすべてポジティブに、気分を上向きにさせる内容しか話さないこと。
番組内で必ず五分に一回、「今日も一日ガンバリマショウ」という発言を行い、聴取する時間のない国民にも志方タカシの声による明るく前向きな気持ちをお届けすること。
これからも番組をお願いしますと告げて、約十分の放送は終了した
なお、放送内でスーパーシード、カッパ製薬、ナノマシンに対する言及は一切なかった。
幸いだったのは、志方タカシが地位や権力を欲することよりも、己の保身を優先したことであろう。
現実的には、現代において絶大な権力の実現は難しい。だが一方、志方タカシの周囲の人間はみな揃って志方タカシに平身低頭するようになり、志方タカシに口答えできる人間は存在しなかったという。志方タカシにとっては日本全域を支配する権力よりも、自身の周囲の人間関係を盤石にすることのほうが即物的な利益となっていたと思われる。彼の権力欲は広くても芸能界全体にまでしか届かなかった。志方タカシの視野の狭さ、器の小ささが図らずも多くの国民を救ったことになる。
今日も一日ガンバリマショウ――その言葉を聞いて、人々は今日も平和な一日を願う。志方タカシの声を聞かなければいつ死ぬかもわからない。ナノマシン禍からの回復の目途はまったく立っていないままだ。
国民の誰もが志方タカシの健康を願っていた。彼の健康への執着は今やビジネスではなく国家戦略と同義であった。志方タカシの健康を維持するためならば国はどんなことでもする。
とっくに百歳を超えた志方タカシは、今日も明るくラジオをお届けする。志方タカシの肉体のどれだけがインプラントによって補強されているのか。もとの肉体の呼べる部分がどれだけ残っているのか。確かめるすべはない。
ただ打開策の見えない現状を誤魔化し続けるために、志方タカシの声は必要だった。ラジオ局に専用の部屋が作られ、志方タカシはずっとその中で生活しているという噂もある。生きた志方タカシの姿を捉えた画像は二十年以上存在していない。
さて、ナノマシン禍を引き起こすこととなった食品工場内でのスーパーシードの混入であるが、背後にカッパ製薬の存在があったという巷間の噂は果たして正確であっただろうか。
現在のカッパ製薬はインプラントの先端企業として知られる。スーパーシード被害の責任を取ることなく、志方タカシとの密接な関係を継続しているうちに、誰もカッパ製薬を責めることがなくなった。
なぜなら、志方タカシがYouTube動画内、テレビ・ラジオCM内でカッパ製薬を褒め称えていたからである。
スーパーシード汚染によって、最終的に利益を得るのは誰か。開発者向けロットを服用した志方タカシ。そして志方タカシを飼い慣らしたカッパ製薬。あるいは――
――今日も一日ガンバリマショウ。
聞き飽きたその言葉を聞いて、私は大阪行きの新幹線に乗った。
スーパーシードによるナノマシン禍。私たちにとっては歴史上の出来事とそう変わりない。自分たちより上の世代が全員毎朝六時に起きてラジオを聴いているという光景は当たり前になりすぎていて、気味が悪いとは思っていたが意味があるとは思っていなかった。
私たちの体内にスーパシードは入っていない。ナノマシン禍以降に生まれたのだから当然と言えば当然だ。
私たちは毎朝六時にラジオを聴く必要はない。だけどそれが生活の一部となった親たちに半ば強要されてきた。なんの山もオチも意味もないトークが続くだけのラジオ。
ラジオから逃げるように外へ飛び出した私たち。ラジオを聴けと椅子に縛り付けられた子がいた。ラジオの流れるイヤホンを耳に詰められた子がいた。『志方タカシの日本いきいき列島』を聴かない人間は人間と見做されなかった。
いつの間にか、志方タカシという存在は私たちにとって憎悪の対象となっていた。
志方タカシの気分を害する可能性のある文言は一切禁止されていたから、ネット上でも志方タカシの悪口は見つからないし、書き込んだら即刻削除、家に警察がやってくる。
だけど燻り続けた違和感と怒りは私たちを焦がしていった。
志方タカシを殺してほしい――というメールが届いた時は、だから運命だと思った。
殺しに手を染めたことはない。だけどやる気は十分にあった。メールには志方タカシとナノマシン禍について長々とまとめた文章が添付されていたが、そんなものを読まなくても、志方タカシくらい殺してやるという意気があった。
きっと今、この新幹線には私と同じ目的を持った子どもたちがたくさん乗っている。あらゆる交通手段で、全国の非汚染者たちが大阪のラジオ局を目指している。
この生放送が終わるころには、きっとこの国は一変している。
私たちがいいように利用されていることくらい理解している。きっと遠大な計画の上に、私たち非汚染者が持つ志方タカシへのやり場のない怒りが組み込まれている。
でも、殺意に翳りはない。
志方タカシに実質支配された大人たち。そのまま垂直に、支配の構造がグロテスクに再生産された私たち。
この構造は壊せない。志方タカシを殺したとしても、実際には何も変わらない。
ラジオの中の健康情報はおとといの繰り返しだ。志方タカシのリアクションも、言葉選びもそっくりそのまま同じだった。五分に一回「今日も一日ガンバリマショウ」が繰り返される。こんなラジオを毎日聴いていたらスーパーシードなど関係なしに頭がどうにかなってしまう。私はその、頭がどうにかなってしまった人間だった。
ラジオから距離を取ろうと必死の抵抗を続けた私に親がとった行動は、ラジオ受信機能のインプラントだった。私の頭の中にはラジオが入っている。『志方タカシの日本いきいき列島』を聴くためだけの特別製が。
健康、健康、健康――無限に続くその言葉は呪いなのか。志方タカシは死ぬことすら許されない。永遠の健康を強要されている。私は自分に関わりのない健康情報を聞かされ続ける。
時報のあとに十二回目の「今日も一日ガンバリマショウ」。生放送はあと二時間。
自由席の隣に座った少女と目が合う。彼女は頭の上で手をくるくると回し、ぱっと開いた。
そうか。彼女も頭の中にラジオを入れられて、これから志方タカシを殺しに向かうのだ。
私は小さく頷き、それからは視線を向けることもなく、互いに無言のまま新大阪に向かう。ぞろぞろと非汚染者たちが列を成して大阪市内のラジオ局を目指す。
頭の中のラジオで悲鳴とノイズが上がる。私はそれを、ちゃんと自分の耳で聞くことができた。
志方タカシの最後の言葉は、「健康第一、カッパ製薬の提供でお送りします」だったとされる。
志方タカシの日本いきいき列島 久佐馬野景 @nokagekusaba
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