沈黙に積雪

@chauchau

一晩で積もり過ぎる程度の重さ


「本当にそうだろうか」


 また出たよ。

 先輩の口癖に、周囲が溜息をつく。本人はそんなことなどお構いなしに、今日もまた感じてしまった疑問を口に出さずにはいられないようだった。


「雪山で遭難して死にゆく男女の最期のシーンが沈黙であるべきだと安易に決めても良いのかな」


「少なくとも歌って踊ることはないだろうよ」


「それは君の実体験かい?」


「そうだとすれば俺は幽霊だろうな。さぁ、安藤の馬鹿は放っておいて、話を進めるぞ」


 大学入学以前からの付き合いの長さは伊達ではない。先輩の不可思議な疑問を慣れた手つきで切り捨てた部長が会議の音頭を取る。それだけで誰もがもう先輩が発した疑問を忘れて次に撮る映画のことに集中しはじめた。

 本音を言えば僕も会議に集中したい。映画が好きでこの映画部に入部したんだ。少しでも経験値のある先輩たちから為になる話を聞きたいじゃないか。


「三橋君はどう思う?」


 だというのに。

 部長に切り捨てられた先輩は、全くこたえていない様子で僕に問いかけてくる。


 立てば芍薬座れば牡丹黙っていれば百合の花。

 隣で座っている僕の顔をあえて下からのぞき込んでくるのは、自分の美貌を理解してわざとやっているのだろうか。それとも、本気で分かっていないのか。どちらでもありえるから分からない。


「三橋を巻き込むな」


「彼はわたしの可愛い後輩なんだよ」


「つまりは俺の後輩でもあるんだよ。三橋、嫌ならはっきり言わないとこの馬鹿は調子に乗り続けるぞ」


「え、ええと……」


「ほら見たことか、三橋君だってわたしと話がしたいと言っているじゃないか!」


 ――ぎゅむ。


 先輩が僕の頭を抱きかかえる。

 女性特有のやわらかい胸が、先輩の優しい香りが、僕を抑え付けてくる。


「良いだろうとも! わたしと三橋君で本当のリアリティを追求してみせようじゃないか!! 行くよ、三橋くん!!」


「うわわっ!?」


 固まってしまった僕の手は、先輩に握られる。簡単に連行されてしまう僕の耳が最後に聞いたのは、心配してくれる同級生の声と、死にはしないだろうと諦めの境地に立った部長の声だった。


 ※※※


「案ずるよりも産むがやすし、論より証拠というようになによりもまずは証明してみせようじゃないか。というわけで、雪山に来てみたわけだ」


「ここ、先輩の家ですよね」


 なぜか窓が全開にされておりひたすらに寒い。

 本格的な雪国でないとはいえ、この時期にはちらほら雪が積もる程度にはこのあたりは寒いんだ。

 好きな女性の部屋に二人っきりという事実にではなく、寒すぎるせいで心臓がどきどきと鳴りやまない。


「はぁ……、君はそれでも映画部の一員かい? 心のフィルターを通して物事を考えてみようと言っているんだよ」


 本物のリアリティと言っていたのはどこに。などと口にしてはいけない。

 別に、腰に手を当てて胸を張っている先輩が年上なのに可愛くて言葉を失ったからではないことは付け足しておく。


「それに君は大切な後輩だからね。いくらなんでも本当の雪山で遭難させるわけにもいくまいさ。そこで、これの出番だ!」


「テント……、ですね。一人用の」


「窓を全開にしたこの部屋でテントを張る! 極寒の雪山で見つけた山小屋感が少しは出てくるだろう?」


「ちなみにこのテントはどこから」


「部長の私物を拝借してきた」


「……あとで返しましょうね」


 せめて壊さないように気を付けます。

 先に心の中の部長に謝罪をいれておく。心の中でも部長は溜息をついていた。


 ここまで付いてきた以上は、文句を言っても仕方がないので部屋の中でテントを張っていく。慣れない僕とはちがって、先輩は取扱説明書を見ることもなくテキパキとテントを張ってしまった。正直、僕が手伝ったことはほとんどなかった。


「準備は万端だ! さぁ、入ろうじゃないか!」


「もう一つはどこにあるんですか?」


「うん?」


「え? ですから、これは一人用ですよね。ですから、もう一つ……」


「ないけど?」


「……、二人で入るんですか?」


「そうだよ」


「僕と安藤先輩が?」


「そうだよ」


「一晩中?」


「そうだよ」


「お邪魔しました」


「待て待て待て待て」


「ぐべっ」


 一目散に逃げようとした僕は、足首を取られて無様に転んでしまう。顎を強打した蹲っているうちに、ずるずるとアリジゴクと化した先輩に僕はテントのなかに引きずり込まれてしまっていた。


「おち、落ち着いてください!」


「おそらく、その台詞はわたしが言うべき状況だと思う」


「まずいですって!」


「しかしだ。そもそも雪山で男女が遭難している時はお互い抱き合って暖を取るじゃないか。広かろうが狭かろうが大した問題ではなくないかい?」


「僕も男なんですけど!?」


「だから男女だと、……、もしかしてわたしのことを男だと思っているのかい?」


「そんなわけないでしょう!?」


 逃げ出そうにも入り口のファスナーを下ろした先輩が、さらに入り口に背を向ける形で僕を抱きかかえて座り込んでしまった。

 狭いテント、先輩の腕のなか。背中に当たる柔らかい膨らみも、話すたびに耳にかかる先輩の吐息も、身体中に伝わってくる先輩の体温も、どれもこれもが僕の理性を狂わせてくる。


「さぁさぁ、リアリティの追及といこうじゃないか。命の危険に晒されたとき、本当に男女は雪に音を盗られ、静寂のうちに死に絶えるのか」


「そもそも本当に死にかけるような状況の確認がしたいならせめてもう一人! ドクターストップ係を呼ばないと危ないですって!」


「それじゃあ意味が、んンっ、男女二人っきりじゃなくなるじゃないか」


「でも、ふぃぃぃい!!」


「んふふ……、山小屋のシーン、冒頭ではまだまだ元気があるため沈黙とは程遠い、と」


 あばばばばばッ!

 先輩が、先輩が頬ずりして、すりすりって! 無理無理っ!? 天国と地獄と盆と正月がいっぺんにやってきているんですけど!?


 誰かっ!

 僕をとめてっ!

 一線超えちゃうから! 先輩に嫌われちゃう! もしもそうなったらもう生きていけないから!!

 誰かっ! 誰かぁぁぁ!!


 ※※※


「三橋くん……、放っておいて大丈夫なんでしょうか……」


「死にはしないだろうさ」


 一年生たちが、攫われた同級生みつはしを心配して俺を見てくる。

 だが、言えることといえばこれくらいだ。


 安藤と知り合ったのは高校の時。

 見た目が随分と良いから、正直一目惚れしなかったと言えば嘘になるが、会話して一分と経たずに熱が冷めた。

 友達としては面白いんだが、面白すぎるせいで男女の仲なんぞになりたくもないと思えてしまったのだから仕方ない。


 興味があることには猪みたいになるくせに、興味がないことには一切関心を示さない我儘娘が安藤だ。

 遭難でのシーンにしたって、本当に気になったから口にしただけの話。してしまったからには、あいつのなかで何かしらの答えが出ない限りはこちらの話を聞こうともしやがらねえ。


 そんなあいつが、意見を聞いた。

 三十人はいる部員のなかで、いつだってあいつは三橋の隣に座る。まるでそこが定位置だと言わんばかりに。後輩に威嚇まで飛ばすせいで、三橋のことをちょっと良いと思っていたっぽい一年女子はすっかり怯えてしまっている。


 部長としては、安藤を怒るべきなんだろうが。

 なんというか、


「言わぬが華だな」


「部長? なにか言いました?」


「なんでもねえ」


 せめて、

 心の中で三橋に謝罪する。


 でもまあ、あいつも安藤のことを好きみたいだし、文句は……、あったら今度聞いてやろう。

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