第30話
「この仮想世界は言わばホスピス。我々の恐怖や苦痛を和らげてくれる、人類最後の拠り所なのです。それが消えてしまう可能性がわずかでもある以上、貴方達を目覚めさせることは都知事として絶対に許可できません。もちろん目覚めた貴方達が故意に何かをするとは思っていません。ですが人間である以上、意図せずということはありますからね。
…そもそも、絶望し、苦しむと分かっている世界に、みすみす娘とその友人を送る親などどこにもいませんよ」
けれどぽつりと最後に付け加えられた言葉からは、都知事としてではなく、一人の親としての情が伝わってきて、思わずハッとしてしまう。
「…さて、話は以上となりますが、何かご質問はありますか」
しんと静まり返る室内に、戸叶都知事の静かな声が響く。
ぐうの音も出ない、とはまさにこのことだろう。
都知事としても一人の親としても、戸叶都知事の言っていることは何一つ間違っておらず、反論の余地がない。
どうやら俺達の認識は相当に甘かったらしい。
「…ないようですね。では、私はこれで失礼致します。
それから重ねて言いますが、この件に関する記憶を失うことにつきましては、何も案ずる必要はありませんよ。ただ貴方達が今感じている不安がなくなるというだけです。明日からはまた、いつも通りの穏やかな生活を送ることができるはずです」
そのまま再び俺達を気遣うようにそう言って、立ち上がる。
「もし…」
その姿を呆然と眺めながら、無意識に自分の口から言葉が零れた。
たちまち全員の視線が集まる中、しかし俺自身も何を言おうとしているのか分からないまま、言葉を続ける。
「…もし今日の記憶を失ったとしても、俺達は諦めません。必ず一樹や俺達みんなが助かる方法を探し出してみせます」
それはただの負け惜しみだったのかもしれない。
あまりにも理不尽な現状や無力な自分に打ちのめされつつも、それでも気持ちだけは折れるまいとするなけなしの抵抗だったのかもしれない。
だが紛れもない俺の本心だった。
だって悔しいじゃないか…。
やるだけやってなら諦めもつこう。
しかしやる前から諦めては、本当に可能性はゼロなのだ。
例え苦しむことが分かっている道だとしても、俺は自分で選択した道を歩みたい。
「……」
俺の言葉に何か思うところがあったのか、戸叶都知事が小さく息をついて目を瞑る。
「…一個人として、その気概はとても素晴らしく思いますよ」
でも結局はそれだけ言い残すと、今度こそ部屋を出て行った。
「……」
重たい沈黙が部屋を満たす中、家の外から車のドアが閉まる音が聞こえてくる。
そして間もなく響いてきた車の走り去っていく音を、俺達はただ打ちひしがれながら聞いていた。
……。
…………。
「…ふぅ」
車が動き出すなり、後部座席の背もたれに身を預けて思わず小さく息をつく。
こうなることは当然予測していたというのに、いざ直面したらドッと疲れが出てきた。
話している最中は務めて感情を表に出さないよう気をつけていたけれど、果たして上手くいっていたか自信はない。
時々抑えきれずに顔に出てしまっていたような気がする。
…若いですね。
娘の美弥子も含め、彼らは高校生。
向こう見ずで、自分達は運命を変える大きな力を持っていると信じて疑っていない年頃。
愚直とも言えるその勢いは、だが清々しくもあった。
自分がとうの昔に失った輝きを放ち、本来なら次代の世界を担うはずだった若者達。
だからこそそんな彼らに、娘に、ただ緩やかな死を用意することしかできない自分の無力さには、改めて憤りを感じてしまう。
…何を今更。
そこまで考えてまたため息をつく。
このことは、本プログラム「ユートピア」を都知事として許可した時から覚悟していたことではないか。
この決定を通す際にはもちろん猛反対があった。
だが従わない者はタウンの外へと追放、つまるところ実質の死刑という暴君さながらの強権をかざして何とか押さえ込み、全員が「相対的に幸せな自殺」をするよう強制したのだ。
他ならない、私が。
もし地獄というものがあれば、私は間違いなくそこへ落ちるのでしょうね…。
らしくもないことを考えていることに気づき、ふっと口元を歪めて軽く頭を振る。
そのまま思考を切り替える意味も込めて、先ほど別れた少年のことを思い浮かべる。
それにしても、まさかここでも秋月恭也君と会うとは思いませんでした。
どうにも彼とは、ゆくゆく縁がありますね…。
ただそんなときのことだった。
ピコン。
メールの着信を知らせる音がスマートフォンから聞こえてきた。
…今度は何でしょうか?
咄嗟にため息が出てくる。
こんな世界でもメールは一日に数百と来るためすべて秘書を通しており、それだけに私に届くのは重要度の高い厄介な案件ばかりなのである。
もちろんこれらは私の仕事であり、文句や愚痴を言うつもりは毛頭無いけれど、ちょうど少し前にそのすべてを片付けたばかりだというのに、もう次がやってきたのだからため息だってつきたくもなる。
先のアメリカタウン全滅の件でしょうか?
それとも別の問題が…?
なので即座に頭の中で見当をつけつつ、ともあれスマートフォンを取り出して確認する。
けれどそこに表示された差出人の名前を見るなり、ぎょっとした。
__from渡良瀬一樹__
それは、先ほど娘とその友人達が口にした名前であった。
だがこの人物は自分でも言った通り、仮想空間にも現実にもどこにも存在していないのである。
そもそもそれ以前に、見知らぬ人物からのメールを何の連絡もなく秘書が通すはずがない。
なのに現にこうして届いているわけで、何とも言えない不気味さにひやりと背筋が寒くなってくる。
いよいよ、システムが本格的にダウンしかかっているのかもしれませんね…。
でも即座に頭を切り替え、とにかく開いてみることにした。
電力不足によりバグは発生しても、この世界ではコンピューターウイルスなんてものは存在しないので、その点は心配する必要がない。
もっとも現状を考えれば、大した気休めにもならないが。
「!!」
しかし内容を読むなり、そんな悠長な考えは一瞬で霧散する。
そして間もなく、私は先ほどの彼らのように息をするのも忘れて文字を目で追っていた。
……。
…………。
コォォォー……。
…ああ、いつもの「夢」だ。
すでに驚きもなく、そのことを自覚する。
昨日はあれからすぐに解散し、もはやどこをどう通ったのかもあやふやではあったものの、気が付けば自分の部屋に戻ってきていた。
深い失意により頭も心もバラバラな状態の中、それでも何とか自分を奮い立たせて、これからについて必死に考えを巡らせていたのだが、どうやらいつの間にか眠りについていたらしい。
今更こんな「夢」を見たところで、どうすればいいんだ…。
意識が戻ってきたことで再び頭を抱えてしまう。
昨日は戸叶都知事にあんな勇ましいことを口にした俺だったが、そもそも記憶を消されてしまえばどうすることもできない。
恐らく一樹のことだって忘れてしまうだろう。
あの時もう少し粘れば結果は違ったのか…?
いや、もっと上手い言い方ができれば…。
後悔ばかりが胸中に渦巻き始める。
…?
ところがそこでふと、おかしなことに気づいた。
身体が、動く…?
これまではピクリとも動かなかったのに、今は指が動くのだ。
いやそれどころか、腕さえも持ち上げることができる。
それに思考だって今回はずいぶんとハッキリしており、いつも感じていたあの眠気もまったくない。
つまり今の俺は、「現実」とほとんど変わらない状態であった。
__管理No.TK-C-01-09299、コールドスリープ解除、カプセル解放し
ます。解放後、医療担当者はマニュアルに従って対象の体調のチェック
を行い、必要に応じてフィジカルおよびメンタルのケアタスクを実施
して下さい。繰り返します、管理No…__
……!
その上、今まで聞いたことのないアナウンスまで聞こえてきた。
同時にプシュゥッと空気が急速に入ったかのような音がし、目の前にあった扉が開き始める。
こ、これは、いったい…!?
まさかこれは正真正銘の夢…?
予期せぬ出来事に、たちまち混乱状態へと陥る。
昨日戸叶都知事は、俺達が目覚めることを絶対に許可しないと言っていた。
その理由は至極真っ当なものであり、だから絶望と悔しさを感じつつもあれ以上は何も言葉を返せなかったというのに、今目の前ではその言葉と真逆の現象が起きている。
しかも記憶だって消えていない。
そんなわけで愕然としながら扉が開いていくのをただ眺めていたものの、
「…ごほ!?がはっ、ごほ、ごほっ!?」
扉が開き、直接息を吸った途端に咳き込んだ。
先ほどまでは病院で見かけるようなホース付きのマスクをしていたのだが、扉が開くと連動して外れたのだ。
コールドスリープの弊害なのか、はたまたカプセルの外の空気のせいなのか、理由は分からずとも、とにかくしばらくむせかえる。
だがやがてそれも収まると、自然と意識は周囲へと向いた。
「……」
そこは「死」の世界だった。
いや、正確にはみんな、先ほどの俺と同じように眠っているだけなのだろう。
しかしずらりと視界一面に並んだカプセル、その間を埋め尽くすように敷かれた大小様々なパイプやコード、遠くで大きな室外機でも回っているのか、妙に不安をあおられる不気味な重低音以外は何も聞こえない静寂。
それらはひどく無機質で、俺がいた「現実」とのあまりの差に、ぞっと鳥肌を立ててしまう。
思わず後ろを振り返れば、いくつものコードがついた帽子のような枕が見えた。
あれがあの仮想世界へと俺達の意識を送っていたのだろう。
やはりチカチカと点滅する赤い光が見えたが、「夢」ではすごく目立っていたかの光も、今はともすれば気づかないくらい弱々しい。
それは俺の感覚的なものなのか、それとも…。
…いや、考えるのはよそう。
勢いよく頭を振って不吉な想像を振り払い、また周囲を見渡す。
ただその時だった。
プシュゥッ!
今度は幾分小さかったが、少し遠くからも先ほどと同様、勢いよく空気が入るような音が聞こえてきた。
プシュゥッ!プシュゥッ!
続けてもう二つ、同じ音が続く。
!まさか…!
その音に、何か確信めいたものを感じて目を向ける。
と、思った通りその先ではカプセルの扉が開き始めていた。
それを固唾を吞みながら見守る中、しばらくしてそれぞれのカプセルから人影が上体を起こす。
「!?ごほ、ごほ!」
そして案の定、同じようにむせかえった。
そうか…。
みんなも目覚めたんだな…。
人影は昨日も一緒だった美弥子先輩、栗山、静音の三人だった。
まだ事態をよく飲み込めてはいないとはいえ、昨日聞いた話の通りであればここは絶望的な状況なのだろう。
それでもひたすらむせる三人の姿に、涙ぐみそうになるほどの安心感を覚えた。
「……」
いったいどういう意図があって俺達を目覚めさせてくれたのかは、今は分からない。だが元より俺達は最後まで足掻くと決めていたのだ。
…一樹、待っていろよ。
お前も、みんなのことも、絶対に俺達が救ってみせるからな…!
このまま緩やかな死を待つだけなんてまっぴらだ!
そう改めて覚悟を決め、三人の元へと向かうべく、俺はついにこの「夢」の殻から「現実」の世界へと降り立ったのだった。
目覚めればそこは夢の世界 岸キジョウ @KijouKishi004861
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