5、闇の中の光

 闇が支配する空間の中、赤くギラつく目はアルト達を見下ろしていた。アルトは低い呻き声で威嚇する太古のバケモノを見つめると、強く剣を握った。

 にじり寄ってくるバケモノへアルトは殺気を放つ。しかし、バケモノは怯むどころかさらに興奮し大きな雄叫びを上げた。


『アルト、少し落ちつけ。タクティクスとの波長が乱れているぞ』

「そうしたいのは山々だけど、こいつが言うことを聞いてくれそうにない。少し荒くなるよ」


 アルトの言葉を聞き、クリスは目を鋭くさせた。もしかしたら奴の拠点が近くにあるからかもしれない、とクリスは考える。もしそうであれば、今のアルトでは剣を制御するのは難しい。だが、ここで上手くコントロールできれば後々が楽になる。

 クリスはどうするか考え、一つの課題を課すことにした。


『アルト、タクティクスを全開にして戦え』

「え? いいの?」

『許す。だけど代わりに、飲み込まれるな。ヤバくなったらどんな時だろうとそいつを離せ』

「それって……」

『そいつを扱い慣れる第一歩だ。私も手を貸してやる。だから全開にしろ』


 クリスの言葉をアルトはすぐに理解できなかった。だが、少しだけ意図に気づく。

 アルトは今までクリスから譲り受けた剣〈タクティクス〉の能力を全開にしたことがない。クリスがまだ早いと言って許してくれなかったからだ。

 だからアルトは、自分の限界を知らない。今後のことを考えるとそれは非常に危険だ。


「わかった。やってみる」


 アルトは集中し、暴れるタクティクスの波長に合わせるように呼吸する。タクティクスはその呼吸を乱すように暴れるが、アルトは暴れる波長を整えていく。

 それはまるで、深呼吸して心臓の鼓動を落ちつかせるような感覚だ。

 アルトが少しずつタクティクスを落ちつかせていく。しかし、バケモノはアルトが整いきる前に動いた。


「ヂュウゥゥゥゥゥッッッ!!!」


 バケモノは勢いよく右手を突き出した。途端にそれは伸び、アルトの顔面に向かって突撃していく。

 集中し、タクティクスを整えていくアルトはその一撃を弾いた。そのまま深く踏み込むと、アルトの姿が一瞬だけ消える。


「――ッ!」


 それは、バケモノが呼吸する合間に起きた。気がつけば懐に入り込まれ、斬り上げられるように下から鋭い一撃を入れられたのだ。

 バケモノは思わず後ろへよろめく。アルトは追いかけるようにバケモノとの距離を再び詰めた。バケモノは腕を盾にし、アルトから放たれた一撃を防ぐ。そのままアルトから距離を取り、態勢を立て直した。


『まあまあだな』


 クリスはアルトの状態を見て、そう評価を下した。アルトは思った以上にタクティクスをコントロールできている。

 だが、それだけだ。アルトはまだタクティクスが持つ本来の能力を少しも引き出せていない。


『思ったよりは扱えている、か。まあ、思ったよりはだけどな』


 クリスはアルトの戦いを見守る。おそらく本人は、タクティクスの指示に従って動いているだけだろう。

 しかし、それでは今戦っているにしているバケモノには勝てない。


『アルト、タクティクスはお前に一つの結末とその過程を見せてくれているだろう。だがそれは絶対じゃない。タクティクスは嘘を混ぜる――だからアルト、その嘘を見抜け』


 クリスの言葉。それはアルトに聞こえていない。アルトは深い深い闇の中で朧気にしながら剣を振るっていた。

 見えるのは、最悪な結末。バケモノに放り投げられ、壁に身体が叩きつけられて事切れるという終わりだ。どうしてそうなるのかわからない。しかし、タクティクスはその道筋を少しずつ見せてくれる。

 アルトはそれに従い、そして選択を始めた。


「ギィィィィィ!」


 再生したバケモノの腕が突き出されると、アルトは頭を左に振って躱しそのまま刃を流して腕を切り裂いた。

 バケモノの痛々しい悲鳴が耳に飛び込んでくるが、アルトは気にしない。

 今度はバケモノの胸に刃を突き刺すためにアルトは突撃した。だが、唐突にアルトは背筋に悪寒を覚えた。


「ッ!」


 朧気だったアルトの意識がハッキリする。直後、甲高い音と強烈な痛みが右腕に走った。

 何が起きたかわからないままアルトは咄嗟に後ろへ下がる。そのすぐ後、バケモノは咆哮を放った。

 それは鼓膜が破れるかと思うほどの強烈なもの。もし近くにいたら、と考えた瞬間にアルトの顔から血の気が引いた。


「今のは……」


 アルトは感じたことのない恐ろしさに腕が震えていた。まるで自分の首に、死神の窯が突き立てられたかのような感覚だ。

 もしその感覚を無視して突き進んでいたら、と考えた途端に全身が震えた。


『なるほど。思ってたよりは見抜けるな』


 クリスは震えているアルトを見て、その力を見極める。まだ未熟でタクティクスの能力を引き出せていない。むしろタクティクスの力に踊らされている状態だ。

 未熟。だが、タクティクスの嘘をアルトは見抜いた。

 クリスはアルトの力を知る。そしてそのセンスもわかった。だからクリスは、褒美として手を貸すことにした。


『交代だ、アルト』


 震えているアルトに、クリスは声をかける。アルトがゆっくりと顔を上げると、クリスはバケモノから守るように立った。

 身体の震えが止まらない。そんなアルトのために、クリスは大きな声で言葉を放った。


『お前の力はわかった。今回は特別だ。こいつの扱い方を見せてやる』


 クリスの身体から、星のような輝きが放たれる。それは次第に大きくなり、気がつけば闇の中が光で溢れた。

 光の闇に視界が飲み込まれる。思わず目を瞑ると、アルトの耳に聞き慣れた声が入ってきた。


「アルト、お前の直感は悪くない。だが、従い選択するだけではダメだ」


 ゆっくりと、ゆっくりと光が晴れる。視界がハッキリしてくると、目の前に一人の少女がいた。

 肩にかかるほどの黒髪に、漆黒のドレスに身を包んだその人物を見てアルトは叫んだ。


「クリス!」


 クリスは転がっていたタクティクスを手に取ると、一回だけ深呼吸をした。途端にタクティクスはクリスの手の中で静まり返った。アルトは目を大きくする。何度も深呼吸しなければ整わなかったタクティクスを一度だけで落ちつかせた。

 改めてクリスの実力を知ったアルトは、ただ純粋に驚いた。


「いいかアルト、こいつは時折嘘を見せる。その嘘はたいてい最悪だ。だから、私はこいつの全ては信じない」


 クリスの言葉にアルトは目を大きくした。アルトの表情を見たクリスは面白いのかニィッと笑った。

 クリスはもう一度深呼吸をする。途端に黒髪が銀色へと変化した。


「私の場合、こいつをねじ伏せる。それが私とこいつの関係性だ。アルト、お前はお前なりの築き方がある。だから、お前なりのやり方で接しろ」


 クリスが微笑むと、遅れてバケモノが突撃した。アルトは思わず危険を知らせようとした寸前、クリスは踊るようにして右の拳を躱した。

 流れるように踊るように、クリスは剣を振るいバケモノの腕を切り飛ばす。その目は朧気で、夢でも見ているように思えた。

 しかし、アルトの目に嫌なものが映った。死神、といえばいいだろうか。それがクリスの喉元に鎌を突き立てている。


「相変わらずだな」


 しかし、クリスは笑う。その顔にはおかしなことに恐怖の色はない。むしろ、どこか懐かしみながら楽しんでいるように見えた。

 そのままクリスはまるで死神の鎌を振り払うかのように、バケモノの懐に踏み込んだ。


「だが、それだけだ」


 バケモノは叫ぶ。その瞬間、クリスはバケモノの片腕を切った。生えかけているもう一方も切り落とし、胴体を蹴り飛ばす。

 バケモノは何が起きているのか理解していない顔をしていた。クリスはその表情を眺めながら頭に刃を突き刺した。


「――――」


 言葉で言い表せない悲鳴が地下水道に轟く。直後、クリスは息を全て吐き出した。それに応えるかのように、タクティクスが強烈な光を放っていく。

 どんどんと光は大きくなり、それに伴いバケモノは断末魔を上げた。クリスは苦しんでいるバケモノを、無機質な目で眺めている。

 その姿は、どこか悲しい。なぜかわからないが、アルトの胸が締めつけられた。


「アルト、一つだけ注意しよう。私みたいにはなるな」


 バケモノの断末魔が消えると、クリスは立ち上がった。その姿は美しく、しかしあの時と違ってどこか悲しげな目をしていた。

 だが、それでもクリスは美しかった。この世の誰よりも何よりも美しかった。強く、誰よりも強く、悲しい。だからクリスは美しかった。

 アルトはそんな孤高の存在を目の当たりにし、どう反応すればいいかわからなかった。


「聞いてるのか、アルト?」

「綺麗だ。本当に……」

「ハァ。ったく、またか。別にいいが、話はちゃんと聞いてくれ」


 クリスは呆れる。しかし、アルトは黙って見つめるだけで反応しない。

 参った、とクリスは頭を抱えながらアルトを抱きしめた。アルトは思いもしない行動に驚いたのか、目を僅かに大きくさせた。


「強くなってくれ、アルト。私なんかよりも、ずっとずっとな」


 その祈りは、どういう意味が込められていただろうか。アルトはわからないまま小さく頷く。

 クリスはそんなアルトを見て、困ったように微笑んだ。それはちょっと安心したような笑顔でもあった。


「ちょっと疲れた。あとは、頼んだぞ――」


 クリスの身体に変化が起きる。

 星が消えるかのように光が弾け、その姿は黒猫になった。アルトは自分の膝の上で眠るクリスの頭を撫でる。しかしクリスは疲れ切っているのか、目を覚ます気配がなかった。


「ありがとう、クリス」


 アルトはクリスに感謝する。とんでもない無茶をして、タクティクスの扱い方の一つを教えてくれたのだ。

 だが、答えは他にもある。だからアルトのやり方を見つけなければならない。

 アルトは気持ちよさげに眠るクリスを撫でつつ、視線をバケモノへ向けた。暗くてハッキリとはわからなかったが、それは事切れているように見えた。

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おひとよし冒険家アルトの星めぐる旅 小日向ななつ @sasanoha7730

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