4、太古のバケモノ
狭く薄暗い通路と流れていく水。アルト達は足元にある照明を頼りにして進んでいた。
アルトの隣を歩くクリスはというと、水から漂う独特で強烈な臭いに顔を歪めていた。
「大丈夫かい、クリス?」
『大丈夫だ、ああ大丈夫だ。少なくとも吐き気はしっかり感じているから大丈夫だ』
「それは全然大丈夫じゃないね」
『当たり前だろ! お前と違って私は水道に近いからな。臭いがダイレクトに来るんだぞ!』
ふしゃー、とクリスは唸った。確かに鼻の位置を考えるとアルトよりクリスのほうがキツいだろう。
アルトはクリスの言葉に納得し、仕方なくその身体を抱き上げた。しかしクリスの機嫌は直ることなく、どんどんと悪くなる一方だ。
「クリス、爪を立てないでよ」
『臭いを我慢してるんだ。このぐらいいいだろ』
「あのね、僕も痛みを感じるんだよ? 身体を持ってあげてるんだから肩に爪を食い込ませないでよ」
『くぅ、屈辱だ。あの蛇の呪いがなければこんな目に合わずに済んだのに。今度会ったら身体を真っ二つに裂いてやる!』
クリスは身体を震わせ、恨み言を怒りに任せて吐き出す。アルトはそんなクリスにやれやれと頭を振りつつ、さらに奥へと進んだ。
そのまま突き当たりに合い、右側にある通路に顔を向ける。そこはさらに闇が広がっており、今まで以上に不気味さが支配していた。
『待て、アルト』
「どうしたの?」
『臭いが変わった。ここは、嗅ぎ慣れた嫌な臭いが充満している』
クリスの言葉を聞き、アルトは目を鋭くさせた。ここに入る前のにリアラが言っていた〈太古のバケモノ〉がいるかもしれない。アルトは意を決する。どれほどの強さを持つモンスターかわからないが、進まなければローガンに会えない。
鬼が出るか蛇が出るか。アルトはクリスを下ろし、腰に備えていた剣を抜いた。
「行こうか」
クリスはアルトを見つめ、静かに頷く。怖いわけではないが、ここで引き返すのはあり得ない。
闇が広がる空間へアルト達は踏み込む。ゆっくり、ゆっくりと警戒しながら奥へ進んでいった。
「クリス」
『こんな時にどうした?』
「前々から聞こうと思ってたんだけど、どうして猫の姿にされたんだい?」
『さあ? あいつの気分だろ?』
「聞き方を間違えたよ。どうして〈星喰〉と戦ったの?」
『そんなこと聞いてどうする?』
「気が紛れるよ。少なくても今はね」
アルトの言葉にクリスは納得した。いくらアルトが元軍人だといっても、恐怖を感じない訳じゃない。そもそも初めて会った時は情けなく震えていた。
今いる場所はとても冷たい闇が広がっている。クリスでも全体が把握しきれないほどの暗闇だ。
『星霊術師の話を覚えてるか?』
「大昔にいた不思議な力を使う人のこと、だったね。それがどうしたの?」
『正確には違うが、まあそんな感じでいいか。大昔。千年ほど前のことだ。星霊術師は一つの奇跡を目の当たりにした。それは星の誕生だ』
「星の誕生? それがどう奇跡だったの?」
『星の誕生は人が生まれるよりも奇跡的な出来事なんだ。多くの奇跡が生まれ、さらなる連鎖が望める。つまり、新たな可能性が生まれたってことになる。だが、星の誕生は意図的になんてできない。だからこそ奇跡なんだ』
「なるほど。それで、その奇跡がどう繋がるの?」
『奇跡はなかなか起きないから奇跡となる。だが、そんな状態を快く思わない星霊術師がいた。そいつは奇跡を待つのではなく、人為的に可能性が広げられないかと考えていた』
「探究心ってやつか」
『そうだな。今ならそう思える。でも、手を出していいものといけないものがある。星の誕生は、後者だ』
「……それで?」
『話を持ちかけられた。他の奴もな。だが当然、みんなその話を断った。だからそいつは一人で研究した――してしまったんだ。そして禁忌を犯した』
アルトはそれ以上踏み込むかどうか迷った。いくら恐怖心を誤魔化すためだとはいえ、これ以上は聞いてはいけない気がしていた。
それに、これ以上のことを聞かなくても容易に想像がつく。クリスは、暴走した仲間を止めようとした。だが、完全に止めることができず〈星喰〉が誕生し、呪いをかけられた。
その結果が、黒猫の姿だ。
『気は紛れたか?』
「……ごめん」
『いいさ、いずれ話そうと思っていた』
アルトは後悔した――この話は、もっと落ちついている時に聞くべきだったと。
何にしても、クリスの事情は理解できた。アルトがそう思っていると、クリスが唐突に左へ向いた。
『盗み聞きはよくないな。そこにいるんだろ?』
アルトはクリスが声を放った方向に顔を向ける。するとそこには、ランタンを持った老人が立っていた。
繫ぎ服を着た老人の右手にはショットガンがある。顔をよく見るとメガネをしており、髪は真っ白に染まっていた。
「なんだお前達は?」
渋い声がアルト達の耳に飛び込んでくる。若干警戒心を抱いている様子でもあり、それを見たアルトは事情を説明し始めた。
「僕達はあなたに会いに来たんですよ」
「ワシにだと?」
「リアラの紹介です。僕はアルト、この黒猫はクリス。あなたは、ローガンさんですよね?」
名前を言い当てられた老人ローガンは、銃口を下ろす。少しつまらなさそうな顔をしながらアルトに近づくと、ローガンは持っていたランタンを渡した。
どうやら少し警戒心を解いてくれたようだ、とアルトは感じ取りローガンに声をかけた。
「あの――」
「何の用で来た? ここは危険だ」
「聞きました。でも、僕達はあなたに会いたかったんです」
「なぜ?」
「あなたが持つ地図が欲しい。あとは、あなたが淹れたコーヒーを飲みたいからですね」
アルトの言葉に、ローガンは銃口を向ける。アルトは咄嗟に手を上げるが、ローガンは容赦なくトリガーに指をかけた。
クリスが思わず『アルト』と叫ぶ。しかし、その銃口は違うものに向けられていた。
「そのまま屈め、小僧!」
アルトはローガンの叫び声に従い、身を屈めた。直後、トリガーが引かれ銃弾が放たれた。
捉えたのは、黒い鎧だ。闇に溶け込むようなそれに身を包んだ何かが大きな衝撃で後ろへよろめくと、ローガンはさらにトリガーを引いた。
「なっ」
「猫! 飛びかかれ!」
『命令するな、ジジイ!』
アルトは態勢を立て直し、忍び寄っていた鎧を見る。それは目を赤くギラつかせており、妙に細く長い尻尾がある。
リアラが言っていた太古のバケモノを思い出し、アルトは刃を向けた。
「やめておけ」
しかし、アルトの行動をローガンが止める。アルトが思わず振り返ると、ローガンはあるものを持っていた。
それは閃光弾。ローガンはクリスが太古のバケモノから振り払われると同時に閃光弾を投げ込んだ。
『うわっ』
強烈な光が閃いた直後、クリスは転がりながらアルトの足元に着地する。強烈な光を目にした太古のバケモノは、手で顔を覆い叫び声を上げた。
アルトは暴れている太古のバケモノを見つめる。だが、ローガンはそんなアルトの腕を引っ張り奥へと逃げ込んだ。
「ちょ、ちょっと!」
「今のうちだ。逃げるぞ」
「逃げるって、どうしてですか?」
「あいつは不死身なんだ。こちらがいくら攻撃しても立ち上がってくる」
不死身のバケモノ。それを聞いたアルトは信じられない顔をした。しかし、ローガンの表情からは嘘を感じ取れない。
だからアルトは、そのまま言葉を信じようとした。
『おい、何してるんだ!』
アルトが逃げようとしたその時、太古のバケモノに立ち向かっているクリスの姿が目に入った。
なぜ逃げようとしないのか。一瞬疑問を抱いたが、アルトはすぐに気づく。
「おい、どこに行く?」
「バケモノ退治してきます」
「何を言っている!? ワシの言葉がわからなかったのか?」
「いえ。ですが、クリスが立ち向かってる。彼女を助けないといけません」
「猫だぞ! 放っておけ!」
ローガンが必死にアルトを止めた。だが、アルトはそんなローガンに力強く笑う。
無茶をするだろう。だから一つの保険をかけた。
「大切な人ですから。それに、弱点のない生き物なんていませんよ」
アルトはローガンを振り払い、クリスの隣に立つ。唸るクリスはようやく来たアルトに『遅い!』と文句を言い放った。
『とっとと倒すぞ!』
「そうだね。とっとと倒そう」
闇が広がる地下水道。そこでアルトは、大切な人のために刃を剥き出しにするのだった。
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