ZERO

桜 透空

ZERO


今日のてんは、み空色そらいろだ。

夏の終わりの空。

明るいのに寂しそうなくすんだ色。

秋色に広がる、どこまでも続く薄く青い空。

すぐそこまで秋は近づいている。

すでに秋はどこかに隠れて息をひそめているのかもしれない。


その天とは正反対に大地は深くて濃い紺碧色をした海が広がっている。

早朝、誰もいないこの場所で英気を養う。寂しくなんてない。

海が、どんな僕でも受け入れてくれるから。

僕は毎日のようにここへ来ては誰に向かうでもなく僕自身へ問いかける。




君は何が欲しい。

僕が欲しいものか。

あるのかい?

いや無い。

正確にはもう捨てたんだ。

欲しいものは、とっくに置いてきた。

だからもう持ってない。


それは何処に置いてきたんだい?

中学最後の国内大会のプールに置いてきた。

へえ、それはまたどうして?

先生に「お前のフリーのクロールなら絶対一位取れる。アンカー頼んだぞ」って言われて。

僕、ちょっと調子に乗った。

自分の実力に自惚れてたんだろうね、きっと。

でも一位取れる自信はあったんだろう。

どうして黙っているんだい?


自信か。

あったよ。

そんなのあるに決まってるだろ。

いちいち聞いてくるな。

悔しいんだろう?

わかったような口を聞くな。

僅差で二位という結果に終わって、本当は惨めで何もかも無かったことにしたいくらいに悔しいはずだろう。


ああ──もう、うるさいんだよ!

そうだよ、全部僕が悪いんだ。

僕さえ完璧に泳げていれば勝てたんだ、あのメドレーリレーに。


背泳ぎの彼が放つ、バサロキックからのスタートはトビウオのように高く遠くへ、その水面着水は完璧だ。

勢いを保ったまま華麗なストロークだった。

息の合ったコンビネーションで平泳ぎの彼が寸分の狂いもなく飛び込む。

長くどこまでも伸びる腕がさらに飛躍し穏やかな水面に鋭く切り込んでいく。

バタフライの彼に引き継がれると蝶のような美しいストロークで魅了した。

ラストはアンカーの僕。

自由形の僕は最も得意なクロールで勝負だ。

トップで帰ってきたバタフライの彼と入れ替わるようにいつも通りの飛び込み。




勝った──。


ターンで折り返し、ゆく先のゴールを意識した時、そう確信したのが気の緩みを生じさせた。

僕はまるで周りを無視した。

水の抵抗に逆らった。

背後から迫るサメの存在にも僕の傲慢な泳ぎが判断を鈍らせ気づけなかった。

練習では誰にも抜かされたことがない得意のクロールだからと努力を怠り、

結果、僕は野心を燃やすサメの餌食となったんだ。




──笑えよ。


天才スイマーと言われた悲劇をさ。

可笑しいだろ?

可哀想で惨めな奴だって嘲笑えよ。

頑張って努力してきた仲間を僕の不真面目な気持ちで全部台無しにしたんだ。

あ──っ、くそっ!

何だよ······前が、海がよく見えない。




なあ君さ、そう焦るな。

君は今、ゼロ地点すなわち再びスタート台に立っているんだ。

何も失くしてなどいない。

悔しさに幾度となく流れた涙は今までの努力の結晶だ。

君はまだ諦めてなんかいないんだよ。

諦めていないから悔しいんだろう。

君の胸の奥でいつまでもくすぶる石を知っている。

置いてきたなら取りに戻ればいい。

欲しいものが無いなら探しにいけばいい。

嘲笑う奴らを遥か高い志で越えていけばいい。


だが、みっともない努力は捨てなくていい。

水の流れに抗わず身を任せるんだ。

天才スイマーじゃなくてもいい。

一番じゃなくても完璧じゃなくてもいい。


水泳が好きだという純粋な気持ちを持ち続ける石こそが大切だ。

何度でも立ち上がる強い石がありさえすれば本当の夢を掴めるのだから。




何度でも、


何度でも、


理想の自分に近づけるためならと深い紺碧色の海に誓う。




ピッ! ピッ! ピッ! ピッ!


ピ──ッ!


Take your marks!


ああ、聞こえてくる。

スタートの電子ピストル音が鳴り響く。

制止していた水面に生命いのちが吹き込まれる瞬間だ。

再び僕らの青春が水面に花を咲かせられるように。

朝焼けのマジックアワーを眺めながら誓わずにはいられない。



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