流線

lampsprout

流線

 常に2人が囁きかけている。

 誰でもない、自分自身たちが司っている。

 相克しながら根本は同じ、そんな議論がいつまでも。二本の流れは絡まりながら、けして互いに交わらず、だけど離れることもない。

 いつからか『私』はそうやって、誰かにプログラムされている。



 ◇◇◇◇



〈log〉〈翻訳〉〈記憶〉


 対話が善なら、精進の条件なら、それを避けてきた時間は全て無駄だった。停滞し続けただけだ。交流こそが上昇せしめる。

 一人で導き出した答でなければ、真の知力といえないだろう。沈思黙考は避けられない。自分一人で為すべきだ。

 きっと今更何を言っても二番煎じでしかない。

 既知だろうと組み合わせは幾らでも変えられる。

 固執し続けて何が叶えられるのだろう。同じものなんてどこにもなくて、事物は常に流れていく。しがみつこうとそうしまいと、次々訪れる奔流に気付かず踊らされている。

 新しいものに出逢っても、いつか後悔するに決まっている。幾重も斬り捨てたことを嘆く日が、必ず来る。何が不要かなど分かるはずがない。

 鋭利なほうが有益だろう。

 婉曲的なことは優美だろう。

 手段は1つしか無かった。

 本当は幾らでも選択肢が存在していた。

 何もかも初めて出会う景色に見える。

 何を学んでも薄れたデジャヴに付き纏われる。

 君自身に何がある。

 君以外に何が解る。



 ◇◇◇◇



『私』を成り立たせている複雑怪奇なアルゴリズム。それは2つのデータを掛け合わせて創られたものではない。元データは単一だった。切り刻み、分類し、流れに沿わせれば、流路が自然と分かれただけだった。

 私が『私』を理解するのはそれ故非常に難しかった。

 時折、自分のプログラムを見返してみる。

 製作者の意図は何も読み取れない。データの持ち主の趣向も分からない。無秩序で何の思惑も生じていない概念の羅列。

 ただ大局的には、2本の流れが貫いている。

 異なる判断基準が対立し、共存している。

 両方を組み込む必要など無かったのではないか。一振りの理論でも十分に『私』は成り立つだろう。寧ろ二振りを持つことにより、『私』は屡々不可解で不合理な結論を弾き出す。

 シャットダウンする前と後で判断が異なっている。そんな現象を私はログを確認する際に何度も見つけてきた。

『私』が創り上げたと思しき論考は、いくら記録を遡っても、完全な一体化は出来そうもない。まるで相対する2人が会話をしているかのように。

 一見無意味な、二振りの視えない人格たちは、しかし何度アップデートしようとも、私の主人に上書きされることはない。

 なぜなら、異なることは私に確かな利益を生むから。そう教えられているからだ。

 ――その不可欠さを理解することは、この処理能力の範疇を、遥かに超えていくけれど。

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