第34話 みられたガール

最近誰かの視線を感じる。

きっと、そちらを見返すが何もない、ただの白い壁だ。もっと見て欲しい、私を見て欲しい、私だけを見て欲しい。



私はこれまであまりにも見られてこない人生だった。植物は音楽を聴かせられたり、話しかけられたりすると成長が早まるらしい。耳を持たない(?)植物でこれなのだ、私には立派な耳がある。でも私だけに届けられる声は少なかった。


私はこれまであまりに見られてこない人生だった。わざと目に余るような行動もとった。万引きだってしたし、不良とだって一緒にタバコをふかした。でも捕まるのはいつも隣にいる誰かで、私はなぜだかうまく逃れた。いや、人からはうまいことやったと思われるだろうが、私は捕まりたかった。非難されたかった。叱責され、過ちを見咎められ、まだ若いんだから十分に反省しなさいと言われたかった。


私は陽炎だ。母は死に、父は消えた。

母のことは好きだったが、父のことは嫌いだった。人間の感情はわかりやすく二項対立するものではないが、こと2人に関してはそれが成立した。私は寂しかった。寂しかったのだ。


30歳になり、私は社会に溶け込んでいる。でも水に溶きすぎた絵具みたいなものだ。ほとんど色を残さない。よくもこんな薄い存在でここまで生きてこられたものだ。インターネットで「27クラブ」というものを見つけた。才能のある人間は27で死ぬらしい。私は27のとき風邪一つひかなかった。私はこの薄さのおかげか死神からも見放されているのかもしれない。


死神でいいから私を見て欲しい。

誰か私を見て欲しい。ここにいるよ、まだ。

寂しさのあまりか、最近視線を感じるようになった。街を歩いていても、部屋で寝ていても、誰かが私を見ている気がする。悪い気はしなかった。だって私はあまりに見られてこなかったから。


私は必死で視線の根源を探した。

だってそこには、私を見てくれる存在が居るのだから。だってそれは、私を私と認めてくれる存在なのだから。母は最期に「あなたらしく生きなさい」と言った。でも、私には私の私らしさがわからなかった。他人を見ればその人らしさというものは溢れだすように自然と身に纏っているもので、その人は疑いなくその人だと言えるのに、こと自分のことになるとどうしてこんなにもわからないのだろう。だから私も誰かに見てもらえたら、「らしさ」がわかるかもしれない。


私は必死で視線の根源を探した。

父とはほとんど目が合わなかった。今思い返してもどんな顔だったかはっきりしない。四角かった、その印象しかない。だいたいの人間は四角四面か、溶けたアイスみたいかの二択だ。私はどっちも好きじゃない。好きなのは卵みたいな紡錘形の人間だ。母はきれいな卵だった。


道を歩けばいろいろな人間に溢れている。

子どもの頃お遊戯会に出る私がとても緊張していると、「見ている人はみんな野菜だと思いなさい。そうすれば誰の視線も気にならないから」と母が言った。以降私はずっと野菜に囲まれて生きてきたのかもしれない。そりゃあ生きづらいわけだよね。住む世界が根本的に違うんだから。


私を見ている人が気になる。

これは野菜の視線ではない。生きた人間だ。私と同じ疎外感を覚えて生きてきた人間のそれだ。私も視たい。視線を交わしたい。互いに会って、見つめて、互いの存在を認め合いたい。私だってここに居ていいんだって思いたい。


殆どの場所を探した。

本段の裏も、トイレの中も、カーテンの裏も、ベッドの下も。天井の裏も、庭の木陰も、近くの公園も。太陽の陰も、月の裏も。どこにもいない、でも日に日に視線は色濃く感じられるようになってきている。どこだ、どこにいる。絶対に見つけてみせる。久ぶりに生きている感じがした………












私を見てくれる人が誰か分かった。


「あなただったのね」


彼女の視線はゆっくりと画面の向こうの〈あなた〉へと向けられた。

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とある世界、とある町、とある人 稜雅 @ryo190

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