第14話 王国の蝶 エリザベート
王宮にある庭園の一つ『ガーネットリスブラン』は広い敷地に数十種類が植えられた薔薇のアーチ、遠い大陸の国から贈られて植樹したピンク色の花を咲かせる珍しい大木と、彩どりの花々…人気の職人が手掛けた石膏の天使像がバランスよく並び、中央には大理石で出来た噴水がキラキラと煌めきながら更に庭園を輝かせている。
贅を尽くしたアーチドウェルズご自慢の庭園だ。
その主が今まさに咲いたばかりの青い薔薇に手を伸ばしていた。
「棘が刺さったら大変ですわ、エリザベート様…!」
「棘は庭師が取ってくれてるから大丈夫よ。」
公爵家の令嬢にして宰相の娘、更には皇太子の側室いう肩書を持つエリザベートの周りには常に複数人の侍女が仕えている。
どの侍女も由緒正しき家柄の娘たちだ。
彼女らは皇太子ルースに釣り合いが取れるように日々エリザベートを美しく仕立て上げ、彼女が快適に過ごせるようにと生活の細部まで気を配っていた。
過剰とも言えるくらいに過保護で、エリザベートが辟易と感じることも多々ある。
「ほら、ルース様の瞳と同じ色の薔薇よ?」
無邪気に薔薇を手折ると自身の髪に着けてエリザベートは微笑んだ。
「まぁ!本当によくお似合いですわ!」
「えぇ、エリザベート様の可憐なお姿によく映えます!」
「なんて素敵なのかしら…こんなに青い薔薇が似合う方はエリザベート様以外いらっしゃいませんわ!」
淡いピンク色の髪に青い薔薇は少々不釣り合いであったが、侍女たちは揃ってエリザベートを褒めちぎる。
何にせよ、彼女達の重要な仕事はエリザベートのご機嫌取りなのだ。
「そう?うれしいわ!」
エリザベートは頬をピンク色に染めてはにかんでそっと髪に挿した薔薇に触れる。
思い浮かぶのはもちろんルースの顔だ。
女性達の笑い声と、小鳥の囀りが朝の爽やかな庭園に溢れて和やかな空気が庭園を包んだ。
「晴れやかな笑声が聞こえてくると思ったら、エリザベート様方でしたか。」
「お兄様!」
薔薇の生垣の影から姿を現したリクに、エリザベートは嬉しそうに駆け寄る。
崩れ気味の前髪を軽く掻き上げる仕草をすると、侍女たちは恍惚とした表情を浮かべ憧れの対象のリクを前に頬を赤く染めてざわざわと色めき立った。
ここで興奮に任せて黄色い声を上げないのが由緒ある令嬢の嗜みだ。
リクは駆け寄ったエリザベートの髪に刺さった薔薇に目をやると、どこか寂しそうな表情を一瞬だけ浮かべてエリザベートの頭を撫でた。
髪にふわりと当たる優しい手に、エリザベートは猫の様にうっとりと満足気に目を細めた。誰もが羨む美しい兄に、こうして可愛がられる姿を他者に見られるのは気分が良い。
「ところで、お兄様はどうしてこんな所にいらっしゃるの?
確か、ブランを抜けたずっと先に例の邸宅がありましたね…まさか、こんな早くから其方に行ってらしたのですか?」
例の邸宅とはもちろん、フォンテーヌの住まいを表しているのだがエリザベートの口からフォンテーヌの名前どころか妃殿下というワードは出た事がない。
ルースに冷遇されているからと、代わりにリクがフォンテーヌの采配役をしている事も気にかかる。
皇太子命令だからとはいえ、フォンテーヌに関わる事をエリザベートがよく思っていないのもリクは知っていた。
「大事な用だったんです。」
(大事…?早朝から行かなければならないほどリノアベールの姫を気にかけているの?)
訝しげに俯くエリザベートの頭上から「クスッ」と笑う声が降ってくる。
「ご心配ならさなくても、私の大事と言ったら、エリザベート様と殿下しかおりませんよ。」
「…本当、ですか?」
見上げた瞳が不安気に揺れていた。
リクはエリザベートの頬にそっと触れて穏やかな笑みを浮かべると「はい」と頷く。
「もうすぐ、お二人の望みが叶いますよ。
どうか、楽しみに待っていてください。」
コソッとエリザベートに耳打ちをしてリクは「それじゃぁ、御令嬢方。」と軽く会釈をして皇太子宮の方へと行ってしまった。
エリザベートは耳に手をやり、リクの後ろ姿を見送りながら理解したその言葉の意味を頭の中で反芻すると(長かった…)とほくそ笑んだ。
リノアの姫と、どんなやり取りを交わしたのかは分からない。が、リクはやはり頼りになる兄だった。
公爵家の一人娘として産まれたエリザベートは、蝶よ花よと育てられた。
母親譲りのストロベリーブロンドの髪に、庭園の名にふさわしいガーネットグリーンの大きな瞳。きめの細かい桃色の肌と女性らしい身体付きで華があり、その美しさから王国の蝶と言われている。
その上頭も良く、不在だった皇太子妃の代わりに政務を難なく勤めてきた所謂、才色兼備というやつである。
輝かしいエリザベート経歴は国中の女子の憧れの対象で誰もが彼女を羨んだが、その裏…エリザベートには物心つく前から自由など無かった。
幼少期からずっと父の敷いたレールの上に沿って生きてきたのだ。
父の言う事に何の疑いもなく、ただ従ってきた。それが貴族たる子女の務めであると言い聞かせられて育ったのだ。
エリザベートが10歳を迎えた頃、父が婚約話しを持ってきた。
それ自体は珍しくはない、貴族ならもっと早くに婚約話しがあって普通だ。
しかし、父に告げられた相手が30も歳上の子持ちだと言う事に流石のエリザベートもショックを受けた。15歳になったらその男の後妻になる…しかも、継子は自分より歳上だ。
父は政治的なメリットを優先する男だとエリザベートは知っている…つまり、どんなに泣き喚いてもこの決定が覆る事はない。
所詮、身分が高かろうが容姿が良かろうが女に生まれた時点で負けなのだ。
レディファーストを気取っていても中身は戦争好きの野蛮な男達が蔓延るこの国では女の尊厳などない。
エリザベートは絶望の中で父への怒りを心に宿した。
しかし、そんな中で彼女の窮地を救ったのが兄のリクだった。
泉の姫と600年後の君と… @Mese
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