探索

 冷たい海風がサジャンの細い髪の毛を揺らす。手の平に乗せた古い懐中時計は、太陽の光を受けて新品にでもなったようにキラキラと反射した。

 一部だけ崩落をまぬがれた海峡橋に添って船は進んでいく。うっすらとケアダ公国の山々が見えてきた。


 ――あのどこかに、陛下が。


 サジャンは、ブルシー皇帝の優しげな眼を思い出した。


 かつては多くの艦隊を保有し、他国へ遠征をすすめてきた帝国は、ほぼ周辺国家を掌握、ブルシー皇帝の代になってからは、一切の侵攻を止めた。心優しい皇帝は、属国の自治を認め、内政や経済を重視し、農奴制も廃止したのだ。自らも町や郊外に赴き、多くの人民の声を聞き、善政をしいた。独身を貫いたのも、帝位を退き、自由になりたかったのだとサジャンは思っている。


 ――今、自由でいらっしゃるならば、無理にお探しする必要はないのではないか。


 そんな矛盾を抱えて船に乗った。しかし、チェレウェ宰相の命令は絶対、モーレの指摘した皇帝を利用したケアダ公国の反乱もあり得ることなのだ。サジャンは懐中時計を見つめ、それをポケットにしまった。


 都クラードとケアダ公国の間には、狭いながらも海峡がある。通常は、海峡橋を使って、ケアダ公国をめぐる不機嫌な回廊と連絡するのだが、今回の連結部分の崩落事故によって行き来が困難になっている。一か月、互いの国は往来がなくなっているはずだ。サジャンたちを乗せた小型の帆船には、数人の水夫とモーレ、そしてシズ王国からやって来た迷子の留学生が一人。

 海風が強くなってくると、上着を着込んだロティは、船の甲板でくしゃみをした。

「ロティ、寒いなら中に入っていたらどうだ?」

「あ、平気です。外を見ていたいので」

 そう言いながら、ロティはもう一度くしゃみをした。空は快晴だが、風は冷たい。もうじき、クラウハンに冬が来る。

 モーレが水夫に合図をし、ロティに笑みを向けた。

「少年、もうすぐ到着だ。短い間だったが、この出会いに感謝しよう」

 隻眼の男があまりに早口で聞き取れなかったのか、ロティは曖昧にうなずいてみせた。モーレも満足げにうなずいた。

 頭上には、巨大な海峡橋の欄干が通っているが、その先が落下してなくなっているのが見えた。海から瓦礫の一部が頭を出している。

「ロティ、見えるか?」

 サジャンは背後からロティに声をかけた。

「あそこの灰色の岩石の山……崩落した回廊の一部だ。よじ登れば伝ってケアダ公国に行けるが、今は緊急時だ。回廊の下、森を直進する」

「は、はい」

「もうじき着岸するから、準備を」

 次第に黒々とした森林がこちらに迫ってくると、突然、船が動きを止めた。

「どうした?」

 モーレが水夫たちに声をかける。しかし、陰鬱な面持ちの彼らは互いに顔を見合わせたまま押し黙った。

「故障、ではないな。早く着岸させてくれ」

「無理だ」

 一人の水夫が口を開く。

「森に近づくな、そう言われて育ったんだ」

 モーレは目をしばたかせると、声を上げて笑った。代わりに、サジャンが鋭い眼差しで水夫たちを睨みつけた。

「根拠を言え」


 ――未だに、くだらない幻想にとらわれている輩がいるのか。


「そんなものは、自分の身を守れぬ子どもを諭すための迷信でしかない。この森、野生のオオカミ程度ならいるだろうが、爆竹で驚かせれば問題ない」

 それでも渋る水夫たちにサジャンは身体に巻付けていた鞭を振るった。鞭は、しならせると長い棍棒に変化し、それだけでも水夫たちは悲鳴を上げ、一斉に船を漕ぎ出した。

 サジャンの態度を恐れたらしく、ロティが静かに声をかけてきた。

「あの、おれは狩りが趣味なんですけど」

「……突然何だ」

「すみません。ただ、いろいろな森に行ったことあるんです。ここは、少し様子がおかしいです」

「私はそうは思わない」

 サジャンは少し苛立った。

「普通の森だ。様子がおかしいというなら、我らを納得させる根拠を示せ」

 閉口するロティの肩をモーレが叩いた。

「お前も怖くなったか?でも平気だ。目に見えるものこそ真実、クラウハンの教えだ」

 異国の言葉は理解が難しくとも、その優しい笑みはロティを励ますものだったのだろう。頼りなげな少年はこちらに会釈をすると、荷物をまとめ始めた。


 その時だった。


 船を降り、浜辺に足を踏み入れた瞬間、地響きがした。それは浜辺より先、木々の向こうから聞こえてきた。周囲の大気を震わせ、徐々にサジャンの足元にも音が伝わって来る。

「地震だ。珍しいな」

 サジャンたちは揺れが収まるまでそこにじっとしていた。すると、何かを見つけたのか、水夫たちが一人また一人と後ずさりをする。

 風の吹いてくる方向へ、ゆっくりとサジャンは向きを変えた。

 近くの木々に、いつの間にか白い花が咲いていた。風と共にその身を揺らしている。


 そして、一斉に赤い実をつけた。


 ――目?


 水夫たちが悲鳴を上げた。

「ひ、ひい!出たあ!」

「お化けだ!」

「森に近づいたから怒っているんだ!」

 一目散に船に駆け出す水夫たちを押しのけ、サジャンは逆に前を進み出た。

「固有のカマキリの一種だろう。何を恐れる」

 すると、異国の少年がサジャンを遮った。

「あ、あんな風に統率がとれたカマキリがいるわけないですよ!まるで軍隊だ」

「それがどうした。人間の軍隊より勝るとでも?」

 サジャンは、逃げる水夫たちとやり合っているモーレに向かって叫んだ。

「モーレ!そんな臆病者たちは放っておけ!威嚇銃の用意!」

 隻眼の部下が慌てて駆け寄り、細長い筒を取り出して、その先端に尖った石をぶつけた。火花が散った瞬間、煙を引いた弾丸が森の木々に突っ込み、大きな破裂音がした。カマキリたちは、散り散りになってあたりを逃げ惑う。しかし、また隊列を組むように集まり出した。

「効かないみたいですね。ならば、次は弾を変えま」

 モーレの言葉は風切り音に消された。

 突如、空から何かが急降下してくると、弾を込めていた隻眼の部下を吹き飛ばした。


 そこにいたのは、大きな鷹だ。


 足は獅子のように毛で覆われ、こちらを威嚇するように翼を広げた。普通の鷹よりも数倍の大きさだったが、首のあたりに黒い布を巻いており、狩人の飼い鳥かもしれないとサジャンは思った。

「モーレ!大丈夫か?」

「……凶暴な、鷹ですな」

 そのまま、屈強な部下は動かなくなってしまった。サジャンは、自分の心臓の音が聞こえたような気がした。モーレをどれだけ頼りにしていたのか、手に取るようにわかった。


 ――引くものか。


 カマキリの一隊がロティに襲いかかった。サジャンは六尺棒を振るい、それらを追い払うと、恐怖で今にも座り込みそうな少年に、小さな筒を一つ投げてよこした。

「この森はクラウハン領土ではない。本来なら、異国人のお前を助ける義務はないのだ。が、生きたいのであればそれを使うことを許す。煙幕弾だ」

 突如、青白い鷹が、大きな翼を広げたと思いきや、恐ろしい速さで回廊の方へ飛んで行った。サジャンがそれを目で追った直後、再び地面がドンという音とともに跳ね上がった。先ほどとは違う揺れ方だ。


 ――群発地震など、報告があったか?


 揺れはしだいに大きくなり、浜辺の船が波に引き戻されそうになった。

「し、沈んじまう!」

 どよめく水夫たちが、無理矢理に船を出そうとする。

「勝手な動きををするな!」

 サジャンが叫んだ。

「投獄されて良いのか?国家の命令違反は何人たりとも処罰に値するのだ」

 しかし、水夫たちは、舵の手を休めないまま言い返してきた。

「処罰だろうと何だろうと、殺されちゃ意味ねえよ!」

「アンタたちは勝手に化け物の餌になりゃいいさ!」

 地響きは、崩れた回廊の瓦礫を次第に揺るがし始めた。大きな岩が落下し、海から水柱が上がる。


 ――。


 その先、海峡橋と森の回廊との継ぎ目あたりに、人影があるのをサジャンは見つけた。こちらを覗き込むように上半身を乗り出している。こぼれ落ちる長い髪の毛から、それが少女だとわかった。あのような場所にいることさえ不可解だというのに、その少女は崩れかけている回廊の先端部分に向かってさらに歩き出した。何かを探しているのか、しきりに回廊の下を気にしている。

 そこへもう一度、鼓動を打つように地面が揺れた。崩れかかった回廊の柱が斜めに大きく傾き、欄干から身を乗り出していた少女の身体は空を舞った。

「危ない!」

 異国の少年が、走り出す。

「待て、ロティ……」


 その直後、黒い霧のようなものがあたりに漂った。

 

 そして、サジャンの目の前は真っ暗になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽光は黄昏にささやく(不機嫌な回廊編) ヒロヤ @hiroya-toy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ