シズ王国の留学生
サジャンが城門を出ると、敷地の建物に人の列が出来ていた。白衣を着た医務官が入り口の前に立っている。サジャンは列を横目で見つつ、医務官に近づいた。
「今日までで、何人くらい処置をした?」
サジャンの問いに、医務官は持っていた帳簿をめくり出した。
「……一二〇人です。ほぼ、これで西街区の住民は検査を受けたことになるでしょう」
「そうか」
ちょうどそこへ、検査を終えた少女の一人が医務室から出てきた。ほんの少しの検査だというのに、どこか舞踏会にでも出かけるような格好だ。城というのは、そういう場所なのだと教えてこられたのだろう。
少女はサジャンに気づくと、訝しむような顔をしながら頭を下げた。自分と同じくらいの年齢の者が、官服を着ていれば仕方ないのかもしれない。だからサジャンは、努めて笑みを浮かべながら少女に声をかけた。
「痛くはなかったですか?指先に針を刺すだけとはいえ、国民に血液検査を強いるのは少し胸が痛い」
少女は、包帯を巻いた指先に目をやると、首を横に振った。
「ちっとも痛くはないです。けど、あの……結果はいつになったら……」
その顔は少し高揚している。サジャンは、少女の胸の内にある打算的な意図を見た気がして、持っていた懐中時計のぜんまいを片手で繰りつつ、こう言った。
「その場で判明する。貴女は、問題なかったようだ」
あからさまに少女は肩を落とし、トボトボと通りを歩いて行った。
背後に立っていた医務官が吹き出して笑う。
「まあ、仕方ないですな。適合した血液を持つ者は、国家事業のために城での生活が約束されるわけですから。あの娘は、お姫様にでもなれると思っていたのでしょう」
国家事業――。
サジャンはその言葉を頭の中で繰り返した。民主政府は、新薬の開発に血液の型が必要だという通知を出した。ここ数日、原因がはっきりしない流行病の報告が何件かあり、国としても対策が急がれるところだった。ただ、症状自体は苦痛もなく、深い昏睡状態に陥るだけで、今のところ死亡例はないらしい。そのせいか、国民はどこかのん気ではあった。
検査は城外の臨時医務室で朝から行なわれる。型が合えば、さらなる研究対象として城の中で生活するとあれば、なるほど夢のような話かもしれない。わざわざ城の中でなくとも、研究などどこでもできるというのに、こういうやり口で、国民の人気を得ようとしていることが気に入らない。
サジャンは調査に向かう前に着替えをするため、一度官舎に戻ることにした。その途中、先ほどの少女が、衛兵相手に何やら話しているのが目に入った。その横には一人の少年が立っている。
少女がわめいた。
「淑女相手に、い、いきなり声をかけてきたんですっ。しかもよくわからない言葉で……助けてください!」
衛兵は少年の顔を覗き込み、あからさまな威嚇をした。それに少年が恐怖するのが傍から見てもよくわかった。
サジャンはため息をつくと、衛兵に近づいた。
「何があった?今日は民間人が城内に多く出入りしているのだ。多少のことなら大目に見てやってほしい」
衛兵は、サジャンを見るや敬礼をした。
「は、申し訳ありません。が、密入国かもしれませんぞ」
衛兵の言葉をサジャンはにわかに信じられなかった。目の前にいるのは怯えたような目でこちらを見つめるただの少年だ。顔立ちは確かに異国のものであったが。
「何か城内に用事でもあるのですか?外国の方」
サジャンは相手を安心させるように笑みを浮かべて言った。
少年は口を魚のようにパクパクさせながら応答した。
「は、はじめまして、シズ王国から、き、来ました、留学生のロティで、す」
片言で始まった突然の自己紹介に、サジャンも衛兵もわめいていた少女も、呆気にとられた。少年はますます困惑した顔色になる。
「ご、ごめんなさい。以後気をつけます」
その一言はやたら流暢だった。何度となく使ってきたのだろう。サジャンは、少女を衛兵に任せると、ロティと名乗った少年を一度城外へ連れ出すことにした。
――シズ王国と言ったな。
クラウハン共和国のはるか南、温暖な気候の国だが、とりわけ国交はないはずだ。留学生を迎え入れる話なども聞いたことがない。本当に密入国かもしれないと思い至った時、少年が何やら紙を取り出した。会話は不可能と判断したのだろう、必死な面持ちでサジャンに紙を見せてくる。そこには、丁寧なクラウハン言語が連なっていた。留学のための推薦状のようだ。確かにシズ王国の略印もあり、この少年の身分は保証されている。
サジャンは、懐中時計のぜんまいを繰りながら、異国の言葉の発音を思い出す。
「確かに、我が国への推薦状のようだ。しかし――」
そこで言葉を切った。少年ロティの顔が喜びに満ちている。
「し、シズの言葉がわかるのですか?助かったあ!」
あまりの声の大きさに、往来の人々から失笑まじりの注目を集めた。サジャンが咳払いをすると、少年は再び『以後は気をつけます』とクラウハン言語で喋った。
「ロティ、という名前だったな」
「は、はい」
「ここはクラウハン共和国の都クラード。私は外交官のサジャン。君が持ってきた推薦状……残念ながら国交のない国からの留学生の迎え入れは難しい。担当官に再確認することくらいは出来るけれど」
サジャンはわかりやすく説明したつもりだが、ロティの顔は徐々に複雑なものになっていった。
「あの、おれは……ケアダ公国への留学生でして。持たされた地図が間違っていたのか、このクラウハン共和国に来てしまっただけです。ケアダ公国への行き方を教えて欲しくて、さっきの女の子に道を聞いたんです……」
今度は、サジャンが顔をしかめる番だった。
「この書状には、クラウハン共和国への留学と滞在希望の旨が書かれている。ケアダ公国の文字はどこにもない」
「なっ!」
ロティは書状を穴が開くほど見つめたが、すぐに解読を諦めてサジャンにすがりついてきた。
「ど、どうして、クラウハン共和国に留学することになってるんですか!」
「私に聞かれても困る。推薦状を書いた者に聞くしかないと思うが……そもそも、我が国も受け入れはしていないと再三言っている」
落胆して地面に座り込む少年を、サジャンはどうしようか逡巡した。ここで冷たく突き放すこともできるが、異国からの、しかも自分と年齢も近いであろう若者を放置するのは気が引けた。
そこへ、部下のモーレが商人を連れて通りかかった。
「ああ、サジャン殿。探索に使うランプを調達してまいりますが、跳ね上げ式のものでよろしいですかね」
しかし、道端でうなだれるロティに気づき、怪訝な顔で言った。
「部隊長殿……この少年は貴女にどのような非礼を……罰なら私めが」
「勘違いしないでほしい。私は罰を与えていたわけじゃない」
これまでの経緯を話すと、モーレは声を上げて笑った。
「のん気な国ですなあ、シズ王国というのは。まだ文化も発展途中なのでしょうか」
確かにモーレの言うとおり、相手の国は手続きから何まで爪が甘いとしか思えない。むしろ、この少年がクラウハン共和国まで辿り着けたことだけでも幸運だ。
――幸運。
サジャンは、ロティのそばに膝をつき、シズ王国の言葉で話しかけた(モーレは驚いた顔をした)。
「ロティ。ケアダ公国へ行きたいのだな?」
「そうです、けど……」
「我らもケアダ公国近くまで行く用事がある。ついでに船で送り届けてあげよう。この推薦状も、私が少し書き直す。これでも外交官だから心配ない」
ロティは再び喜びを顔に溢れさせ、サジャンの手を両手でつかむと頭を垂れた。
「海から上陸する大義名分ができた、というわけですな。上官殿」
モーレの言葉に、サジャンは笑みをこぼした。
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