序章
「ちょっと待て!どういうことだ!」
屋敷の主は、丸いテーブルが跳ね上がるほど拳を叩きつけると、王宮からやって来た数人の徴税官を睨みつけた。それに怯むことなく、役人の一人が文書を丸テーブルに置いた。
「詳細はこちらに」
「冷たい役人さんだな」
「ならば、代わりにお読みしましょう。こちらの建物は徴税法第五十七条による差し押さえ決定のため、二日以内に明け渡し、土地の保有権を国庫に返還することを――」
徴税官は、テーブルに置かれた文書をゆっくりとなぞり、最後に小さく笑みを浮かべて言った。
「
それを見つめながら、当の術者は苦々しい顔をする。
「あのな、俺が言いたかったのはそういうことじゃないんだ。どうして、差し押さえられなきゃならんのだ?」
「ペンデック殿は、二か月ほど税金を滞納しております」
徴税官の一人が、声を低めて言った。
「家を売り払ってでも、税金は納めなくてはならないのです。民の税で、国家は成り立つのです」
ペンデックは、苦笑いを浮かべながら応戦した。
「待て待て待て待て、ちょっと待て。俺は、王国唯一の名誉職、術師の血を引く者だ。特例措置で、納税義務はないはずだ。あ、もしかして君は新人さんだから知らなかったとか?」
「私は、この職に就いて十五年経ちます」
表情も変えずに徴税官が静かに言った。
「ちなみに申し上げますと、特例措置というのはあくまで審査付きです。数々の功績を上げられた、貴殿の祖父……先代の老ペンデック公が引退され、あなたの代となった頃から特例審査が始まりました。結果、本年度から納税減免の必要なし。その旨、先日から文書で通達しております」
窓からの温い風が、口を開けたままのペンデックの髪を揺らす。
「税金が免除されない……。それは……どうして?」
「あなたは、我が国に対して何の貢献もしていない――以上です。よって」
徴税官たちがペンデックに顔を寄せた。
「即座に、税金を、お納めください」
ゆっくりと言い聞かせるような、そして静かに強迫するような声が響き渡る。ペンデックは椅子の上で固まった。
さらに、徴税官の一人が、寂しそうな笑みを浮かべながら、別の書類をテーブルに並べた。
「こちらは、別件です」
一瞬で笑みは消えた。
「酒場の店主たちから、売掛金の回収代行依頼が出ております。ああ、貴殿にわかりやすく言えば、我が国には商人救済制度がありまして、一度に限り、客のツケ飲み代金を国が代わりに商人へ支払ってあげるのです。こちら、ペンデック殿の飲食費の明細……つまり、王国が立て替えたあなたのツケ飲み代金の返済請求書です」
ペンデックはテーブルに額を打ち付ける勢いで近づけると、地を這うような声で言った。
「……あんにゃろう。イラの奴め……俺の名前で借金しやがった……」
徴税官はため息とともに、部屋の内部を見渡した。
「見事な調度品です。外壁も貴重な大理石……心配なさらずとも、おそらく手元にはいくらか残るはずでしょう」
「待ちなって」
ペンデックは椅子にもたれながら、徴税官を見つめた。
「俺が旅先から帰ってきたのは昨日だ。その通達が出たのはいつだ?こちらには準備する時間すらないってわけかい」
「そういう決まりです」
「国への貢献がどうこうと言ったな。たいした調査もしてないだろう?この俺がどれだけ、涙ぐましい奉仕活動をしてきたかを……」
「そのような報告はありません」
「なら、報告させるさ。タンジェを呼んでくれ」
その名前に、徴税官たちの顔色が変わった。
「タンジェ侍従長補佐に、何を」
「アンタが気にすることはない。俺は、友人に用事があるだけだ」
徴税官は一度、口を引き結ぶと小さく息を吐いた。
「あの方に、口利きを頼むということですか」
「人聞き悪いねえ。俺の言い分を国王陛下さんに取り計らってもらうだけだって。アイツはそれが出来る立場のはずだからな」
その時、使者の一人が部屋にやってきた。徴税官は、何やら書類を手渡されると、再び寂しそうな笑みを浮かべた。
「誠に残念なお知らせです」
「顔は笑っているようだが」
「タンジェ殿は、ケアダ公国へ出向されております。期間は二週間」
ペンデックの顔が派手に歪んだ。
「そんなバカな。アイツはかなり上級の役人生活しているはずだろう?そんな遠国に飛ばされるわけないだろうに」
「おっしゃりたいことはわかります。しかし、事実です」
徴税官は半紙を開いた。
「タンジェ殿への渡航費として、我が国庫からの出金が確認されております。さらに、出向期間延長の申し出が、ケアダ公国から今朝になって届きました。追加の費用も計上しております」
しばらくそれを見つめていたペンデックは、徴税官に言った。
「何の仕事だ?あそこは、変な陸橋が張り巡らされて交通も不便な田舎だろ?」
「存じ上げません」
ペンデックは口をひん曲げつつ、国庫出金の明細書と、ケアダ公国からの申出書を手に取って眺めた。徐々に、意地の悪い笑みが術師の顔に浮かぶと、さすがの徴税官たちも怪訝な顔をした。
ペンデックのわざとらしい咳払いが部屋に響く。
「アンタ方は、俺が王国に何の貢献もしてないとか言ったけどな」
「……」
「この俺だって、王国の若者たちが諸外国へ留学するのに、推薦文を書いたりしたんだ」
「はあ」
「つい最近もな、あまり賢くないパン屋の息子が留学したいと言うから、普通であれば、王立大学校の特待生でなきゃ渡航不可能な旧クラウハン帝国に、俺は寝る間を惜しんで推薦状を書いてやったわけさ」
「それが、どうしました」
「クラウハンは、確か一ヶ月前……皇帝が亡命したと聞いた」
「その報は、我が国にも入っております」
「事実上、帝政は終わりで民主政治が導入されるらしいな。そんな風にゴタゴタしているクラウハン共和国の方が面白いと思って俺はパン屋をそこへ行かせたんだが、これは大変なことになったかな」
パチン、とペンデックはケアダ公国から送られてきた羊皮紙に向かって指を鳴らした。左手首にぶら下げられた透明な玉が、ほんのりと光を発する。
「クラウハン共和国とタンジェが出向しているケアダ公国は、海峡を挟んではいるが距離は近かったはずだ」
「え、ええ」
ペンデックは意地悪い笑みを浮かべて徴税官を見上げた。
「タンジェくんの護衛は?」
「はい?」
「というか、武器は何か持たせてやったかね」
部屋が静まり返る。
「ペンデック殿……一体、何が見えたのですか?」
「存じ上げません」
ペンデックは大あくびをした。徴税官は羊皮紙を手に取ると、震える声を放った。
「ペンデック殿!」
役人たちに詰め寄られ、観念したよう術師は手を上げた。
「探知術を使わずともわかりそうなもんだけどな。シズ王国への急な出向要請と、期間延長の申し出……ともあれ、クラウハン一帯に何か起きようとしているのは間違いないだろうよ」
「し、しかし、そういった不穏な報告は入っておりませんよ」
徴税官の答えに、ペンデックはため息をついた。
「たいして国交もないんだから当たり前だ。クラウハン共和国の皇帝が亡命して、その潜伏先すら明らかになっていない。ずっと自治を認められてきたケアダ公国にしたって、急に異国の役人を呼び出す理由もよくわからん。内部ゴタゴタ、下手したら戦でも起きるんじゃないか?王室仕えの侍従長補佐官がそんな場所に行っちゃまずいだろうよ。まあ、俺もそんな危ない国にパン屋を送り込んだわけだが」
ペンデックはゆっくりと使者たちを見回した。
「さ、話の続きをするか。俺の屋敷が税金滞納と借金地獄で差し押さえられたんだっけ?」
すでに勝ち誇ったような顔だった。使者たちは次々と部屋を出て行く。残された徴税官は青ざめた表情でペンデックに言った。
「術師殿、タンジェ侍従長補佐の身に何かあれば、とんでもないことになります」
「そうかい。アイツも出世したなあ」
「しかし、下手に騒いだらそれこそ国交が危ういことになります」
ついに、徴税官は苦しそうな声でこう言った。
「ペンデック殿、力をお借りできないでしょうか」
「まっぴら、ごめんだな」
「……タンジェ殿がご無事でなければ、貴殿の口利きとやらも不可能になるのでは?」
「そうでした」
ペンデックはあっさり観念した。疲れた顔の徴税官も、ゆっくりと頭を下げる。
「ペンデック殿、渡航費はこちらが持ちます。ただ、今回の件は公にできません。どうか内々に」
「まあ、そうだろうな。上級官僚のアイツが派遣されること自体がおかしい」
「担当官によれば……おそらくは異境の調査だとか」
「その任務はアイツじゃなきゃ無理だわな。しかし、なるほどね」
ペンデックは苦笑いをした。
「……そこにあるケアダ公国から届いた申出書はね、空便で届けられているが、道中でとんでもない虫の大群を見ている。しかもただの虫じゃないな」
「……」
「ついでに言えば、旧クラウハン帝国は『目に見えるものこそ真実』という教えが徹底した国だ。魔術はおろか、宗教すら認めない国の近くで、化け物みたいな虫がホイホイ飛んでる理由は何だろうな。人間同士の戦争の方がまだマシってことか?」
ペンデックは椅子から立ち上がると、大きく伸びをして楽しそうに笑った。
「この俺は、旧帝国からみたら危険人物とされるだろうが……どれ、あえて行ってみるか」
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