#38 薔薇と毒薬 ③

 ひと呼吸置いて、アーネストはラシェルの質問に答えた。


「あなたは、マルタン・ロンダを殺害しました」


 アーネストが口を開いている間、私はラシェルの表情から視線を逸らさずにいた。


「マルタンを?」


 ラシェルは左の眉だけ器用に吊り上げた。想定の範囲内の会話なのか。顔色は変わらない。落ち着き払った声色でもある。


「マルタンを殺したのは、エドモン・ティオゾでしょう?

 刺し殺したわ、舞台の上で。大勢の観客の目の前で」


「そうです。

 それは、あなたの目的が、観客全員を殺人事件の目撃者にすることだったからです。ロンダ氏を殺害したのは、エドモン・ティオゾだと。

 エドモンは、あなたがすり替えた短剣で、誤ってロンダ氏を殺してしまいました」


「すり替えた?」


「そうです」


「いつ?」


「6月7日午前11時すぎに」


「6月7日の午前中は、私、ここにいたわ!」


「それを証明できる人は?

 マリーさんですか?」


 緊迫する会話の中で急に名前を出されたマリーの目が泳いだ。

 背中に目でもついているかのようなタイミングで、ラシェルが口を開く。


「マリーはいなかった。

 6月7日は舞台の日だから、私しかここにはいなかった」


「要するに、6月7日の午前中、あなたはおひとりだったということですね」


「そう!

 それに、小道具はモニオットが保管していたはず」


「そうですね」


「それじゃあ、ジャン・モニオットを調べればいいでしょう?」


「調べました」


「……………」


 ボネール女史は、即答するアーネストの顔を忌々しげに睨んだ。アーネストのほうは、どこを見ているのかはっきりとは分かりづらい、虚ろな灰色の目をぼんやりと女史のほうに向けている。


「ご存知の通り、ジャン・モニオットは6月6日に死亡しています。

 これはあなたにとって大きな誤算だったんじゃないですか?

 事件の真相は、国外へ高飛びするはずだったモニオットとともに藪の中へ消えるはずでしたから」


「……何を言っているのか分からないわ」


 ボネール女史は溜息をついた。


「確かに、モニオットは6日に死んでいたようね。新聞で読んだわ」


「モニオットは6日の午前2時に亡くなっていました。

 そして、6日は19時までリハーサルをされていた。リハーサルの際は、模造剣だったそうですね」


「そうね。

 それで、7日の11時にクローク係の女の子がジャン・モニオットを見た。

 でも、モニオットは死んでいたはずだ。それが、誰だったかって話でしょう?」


「そうです」


「私ではないわ」


「では、あなたは、711のですか?」 


「それは……あなたが言ったから」


「そうですか。

 私は、7日11時すぎにあなたが短剣をすり替えたとしか申し上げませんでしたが」


「言ったわ」


「クローク係の話は初耳なもので」


 アーネストは明らかな嘘を吐いた。表情ひとつ変えずに平然と。

 私も黙ってボネール女史を見守る。


「………………」


「その話を詳しく聞かせていただけますか。

 真犯人を知る重要な手がかりかもしれません」


「……じゃあ、私の勘違いだわ。

 あなたから聞いたんじゃかなったのね。

 名前は忘れたけれど……本人から聞いたの。クローク係の彼女から」


「それは、なぜ?」


「なぜ?理由が必要?」


 ラシェルの瞳はギラギラと輝き始めていた。挑戦的な眼差しだ。


「当然、探していたからよ、モニオットを」


「なるほど。分かりました。

 ちなみに……仮にですが」


 アーネストはちょっと言葉を切って、続けた。


「クローク係の女性――アニー・ラヤールさんに聞いてみますが、仮に、あなたとは話していないと仰ったら?」


 ラシェルは大きな瞳をさらに大きく見開いた。その表情からは静かな怒りの色が見える。

 感情を抑えるためだろう。大きくひとつ息を吐いて、目を閉じる。

 開く。その目は微かに揺れていた。不安で押しつぶされそうな表情だ。


「それは、彼女か、私。

 どちらかが嘘を言っているということね」


「あなたには、嘘を言う必要があったのでしょうか」


「……………」


「仮に、嘘を言う必要があったのだとしたら」


 ラシェルはアーネストの言葉を遮って、自ら口を開いた。


「私がモニオットになりすました犯人ということね」

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