#31 鍵 前編
立ち去ろうとする二人の警官を再び、今度は私が呼び止めたのは、玄関を送り出してすぐのことだった。
「すみません!やっぱり……。
やっぱり私たちも着いて行っていいですか!?」
野次馬根性だと思われても仕方がないと思った。駄目でだと言われたら素直に引き下がろうとも思っていた。
エドモン・ティオゾを使って、ロンダ氏の殺害を目論んだのは誰か?
マフィアに殺害されたと言われるジャン・モニオットの足取りは?
警部たちと話しているうちに、私は、どうにも興味が抑えきれなくなっていた。
「それはちょっと無理……」
と言いかけた若い刑事を、デュムーリエ警部が制止する。
「勝手についてくる分には構わんよ。邪魔しないならね」
「あ……、ありがとうございます!
アーネスト、呼んできます!!!」
私は急いで家の中に戻ると、テーブルの上に置いてあったクロワッサンをつまもうと手を伸ばしていたアーネストの襟首を掴んで、家の外に引っ張って行った。
***
フィデール刑事によると、ニコチンはアルカロイドの一種で、神経毒性の猛毒なのだという。神経回路に作用するほか、強い血管収縮作用もあるため、致死量を摂取すると死に至る。
「煙草に含まれているヤツですよね?」
私はそう尋ねながら、
「そうです。
神経回路に作用して、気分を落ち着かせるんです。喫煙をなかなかやめられないのはこれに強い依存性があるからですよ」
説明を続けていたフィデール刑事が、いつもと違う様子のアーネストに気がついて
「着いたら、煙草吸いますか?」
と話しかけた。
私は苦笑いをして
「多分、クロワッサンが食べたかったんです。
気にしないでください。
起きてくるのが遅いのが悪いんです」
と言った。
「腹が減っては戦はできんな」
デュムーリエ警部が笑う。
自分のことが話題になっているにも関わらず、アーネストは頑として窓の外から首を動かさなかった。
聞こえないふりをすることを心に決めるほど腹が立っていたのだろう。
話を聞いた後ででも、クロワッサンを与えてやろう。
私たち四人は制服警官の見張る裏口から入って、フロントに周り、ペケニュー支配人を呼んでジャン・モニオットの出勤記録を確認した。
「5日については欠勤届けが事前に申請されていたのですが……」
支配人は出勤記録の帳面とにらめっこしながら小首を
「6日以降無断欠勤になっていますね」
この劇場では、自分の名前が記入された欄に出勤と退勤時刻をそれぞれ記入する決まりになっているのだという。5日以降、モニオットが出勤したという記録はない。
「7日の朝、クローク係の女性がモニオット氏を見たと証言していたのですが……」
「クローク係の女性ですか?アニーですね、呼んできましょう。
ただ……7日は……事件のあった日ですよね?ロンダさんにもジャンはどこにいるのかと尋ねられて確認したのですが、その時はすでにいなかったのを記憶しています」
「それは何時頃ですか?」
「17時すぎですね」
「なるほど。
午前中出てきて午後からいなくなったわけでもなく?」
「ええ。そういったことは特には聞いていませし、少なくとも私は朝から見かけませんでした。
ジャンはどちらかというと朝が苦手なようだったので、遅れてくることはあったかもしれませんがね」
ペケニューはそう言うと近くにいた若い従業員に「アニーを呼んできてくれ」と頼んだ。
「……ジャンが遺体で発見されたのも確か7日の夜と仰っていましたよね?」
「そうです」
「なら、夕方いなかったのは当然といえば当然でしょうね。
……午前中、いたんですかねぇ。いなかったように思いますが。
あの日は色んなことが起こりすぎてどうも記憶がゴチャゴチャしてしまっていますな」
支配人が首を傾げて記憶を辿ろうとしているうちに、アニー・ラヤールがやって来た。左右に分けてそれぞれ編み込んだ赤髪を両肩に垂らしている。色の白い華奢な女性だ。頬のそばかすは、分厚いレンズのついた黒縁の丸眼鏡でも隠しきれていない。
「昨日はどうも」
デュムーリエ警部が挨拶をした。
「いえ。
今日は何の御用でしょう?」
女性は挨拶を返すこともなく、無愛想に尋ねた。
「昨日伺ったお話をもう一度詳しくお聞かせ願いたいと思いましてね。
あなたは、7日午前、モニオット氏の後ろ姿を見かけたと仰っていましたが……それは確かに7日でしたか?」
「確かに7日でした。
ジャンが午前中から舞台裏に入っていこうとするのを見かけて珍しいなと思ったんです。
私はそこの壁にかかっているカレンダーを見ました。
それで、ああ、今日は『パリアンテ』の初演日だからだと思いました。ロンダさんが出るから、入念に仕事をするのかと思ったんです」
「失礼ですが……あなたが、モニオット氏を見かけたのは、この部屋でですか?」
「ええ、そうです。
その……入口のところから、奥へ歩いていくのを見かけたんです。
左脚を引き摺って歩いていました」
「モニオット氏が舞台裏へ行こうとしているというのはなぜ分かったんでしょう?」
「それは……彼が倉庫の鍵を持っていたからです」
「倉庫の鍵?」
「ええ、小道具だとかを仕舞っている倉庫の鍵です。
赤くて大きなリング状のキーホルダーがついているんです。
以前そのキーホルダーについて聞いたとき、脚が悪いから、片手で持ちやすいようにつけているんだと、ジャンが言っていました」
「その鍵は普段はどこに保管されているのでしょう?」
「ジャンが持っています。
あとこの部屋に置いているセーフティボックスにも入っています」
「……今、倉庫の鍵はありますか?」
「今ですか?」
「ええ、確かめさせていただけますか」
アニーは怪訝な顔をして、支配人のほうを見た。
ペケニュー支配人は「どうぞ」と言って、入口付近に置かれた棚の裏に警部を招いて直接セーフティボックスの中身を見せようとした。
「この鍵です。ありますね」
「なるほど。
ちなみに、このセーフティボックスの鍵は?」
「私が肌身離さず持っています。
出勤して開けて、退勤時に締めます」
「分かりました。ありがとうございます」
警部は支配人に礼を言って、私たちの元に戻ってきた。
それから、アーネストと私、それからフィデール刑事の顔を見回し
「他に聞き逃したことは……」
と言葉を継いだところで、アーネストが口を開いた。
「ラヤールさん。
失礼ですが、モニオットさんを見かけた時、あなたはここで何をされていたのでしょう?」
アニー・ラヤールがアーネストの方に視線を移した。
質問した男が何者なのか値踏みするかのように、頭のてっぺんから足の先まで眺め回して、答える。
「……私は配達してもらったお昼のお弁当の仕分けをしていました」
「弁当の仕分けですか?」
「そうです。
私の仕事なんです。従業員のお弁当を注文して、11時に受け取るのも」
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