#42 Chemin des fleurs ― 花道 後編

 14日朝、ラシェル・ボネールが出頭したと聞いたのは、同日の午後のことだった。

 ホテル・ラトゥールの802号室に呼び出しを受けたアーネストと私は、ロカード・サンカンから、その話を聞かされた。


「へえ!そうなんですか?あのラシェルさんが……」


 部屋の扉を開いた瞬間、サンカン夫人が「聞いて聞いて!」と捲し立てて話したことに、驚いたふりをする。

 私は特段驚いていないことを気取られないように、細心の注意を払って相槌を打った。こういう時、普段あまり喋らないアーネストは得だ。


「そうなの!あのラシェルが!!!

 あの他人に厳しいけど、根本的に興味なさそうなラシェルが!!!」


 サンカン夫人の人物評は的を射ている。

 夫人の対面のソファに座った私は、苦笑しそうになるのを堪えて、目を大きく開け、興味津々とばかりに頷きながら尋ねた。


「その話は誰からお聞きになったんですか?」


「そんなのサンカンからに決まってるじゃないの!」


 サンカン夫人の旦那とその愛人批判スイッチが入った。


「警察から連絡が入ったっていうのよ!

 ラシェルがひとり暮らしだから、身元引受人になれるかどうかとかで。今さら!?一体いつまで愛人風情の面倒を見ろっていうのかしら?あの人、友だちもいないの!?!?!?」


 自分の愛人の前で「愛人風情」という言葉を口走ったことに、私は背筋が凍る思いだった。アーネスト自身は気にする風でもなく、窓際に経って外の風景を眺めている。


「昔の話まで穿ほじくり返されていい迷惑だわ!

 サンカンとロンダがラシェルを巡って三角関係だったんじゃないかだとか、大衆紙は下世話な話題が多すぎるのよ。

 私のことまで悪く書かれるし、とばっちりもいいところ!

 そのうち、若い愛人がいるだとか、あることないこと書かれるかもしれないわ」


 それは実際あることだから書かれても仕方ないのでは?と思う。

 しかし、私ができるのは、愛想笑いだけだ。ここで本心を言葉にする勇気はない。


「この前、サンカンさんがザザ・レスコーと食事しているところを見たよ」


 また、アーネストが余計なことを口にした。

 私は内心頭を抱えた。

 旦那の浮気の告げ口をなぜする?自分がされて嫌なことはしないのは大人の世界のお約束だろう?


「そりゃ、食事もするわよ!

 次の仕事が決まっているから、その打ち合わせでしょ?」


「仕事って……新しい舞台でもするんですか?

 でも、二人きりでしたよ?」


 思わず、私は口を挟んでしまった。

 女優とプロデューサーが二人きりで仕事を話とは?


「そうしたかったんでしょ?

 だって、サンカンだもの。

 二人だけの秘密のお話もあったかもしれないし!

 二人だーけーのっ!」


 サンカン夫人は、二カッと呑気に笑顔をつくって、私の顔を覗き込んだ。


「あの男の子が犯人じゃないのなら、私、ザザ・レスコーがマルタン・ロンダを殺したんじゃないかと思っていたのよ、実は」


 私たち三人のほか誰も話を聞く者のいない部屋で、サンカン夫人は声をひそめて言った。「あの男の子」というのはエドモン・ティオゾのことだ。


「ザザ・レスコーが?」


「ええ」


「それは、なんでまたそう思っていたんですか?」


 今度は興味のあるふりをして聞いているわけではない。私は心から興味津々で尋ねた。


「単純に私、あの男の子が、ザザに頼まれて殺したのかと思っていたの。

 あの、きっとものすごくしたたかよ」


「強かですか?」


「ええ、強かよ。

 利用できると思えば誰だって利用するもの。

 標的になった人間に合わせて、好ましい人間を演じて翻弄するの。

 天性の才能なんじゃないかしら」


「好ましい人間を演じる……」


「そう!自分ではない誰かを自然に演じられるのはあの娘の天性の才能だと思うわ。

 マルタン・ロンダから始まって、あの若い俳優、クリストフ・ラヴォー、あと、今はサンカン!」


 ――それから、ラシェル・ボネール


 私は心のなかでその名前を付け足した。


「なんなら、私も好きよ、あの娘のことは。強かなところが。

 ロンダなんか、骨抜きになっちゃっていたものねぇ」


「……ちょっと待ってください。

 レスコーさんに言い寄ってきたのは、ロンダさんの方だったんじゃないんですか!?」


「無名の新人女優に?

 ロンダさんが目をつけて入れ上げたのはそうかも知れないけれど、そもそもロンダさん主催の劇団に入ってきたのは当然ザザからでしょう?

 あの二人、デキていたのよ。ロンダさんは、とてもかわいがっていたわ。

 サンカンや、クリストフ……それに、私にさえも紹介したぐらいだから。

 奥さんはスピリチュアルに入れ上げていたし、ロンダさんも寂しかったんじゃないかしら」


「ザザは……エドモンと愛し合っていたんじゃないんでしょうか?」


「エドモン?」


「逮捕された『男の子』です」


「ああ!あの子ね!

 あんなの甘ちゃんすぎて。愛だの恋だの……幻想ね。

 ザザはそういった気持ちを使用しこそすれ、自分自身がハマることはないんじゃないかしら。

 現に、ロンダさんには名声はあってもお金はないでしょう?

 ザザはロンダさんのコネクションを使って人脈を広げて……面倒くさくなったんじゃないかと思ったの、ロンダさんと無為に付き合うのが」


 確かに、お金のない妻子ある男性と無為な関係を続けていても、女性にはメリットはないのかもしれないと思う。


「……それで殺したんだと思ってたんですか?」


「うーん。そうねぇ。

 殺すまではいかなくても、面倒くさくなってきてたんじゃないかなとは思うのよ。ロンダさん、本気になりかけてたから。

 それがちょうどいい時に亡くなって……今、ザザは、サンカンに夢中よ、多分。

 実利がほしいのよ。仕事を広げようとしているんだと思うわ」


 ――愛だの恋だの……幻想ね

 ――殺すまではいかなくても、面倒くさくなってきてたんじゃないかなとは思うのよ


 ザザ・レスコーに初めて会った時のことを思い出す。

 ゆるく巻いたブルネットの髪の隙間から見える白い肌。きらきら輝く澄んだ藍色の瞳。紅さす頬にえくぼを浮かべて微笑むその顔は、まさに天使だと思った。

 それらはすべて計算づくの造り物だったというのだろうか。

 ザザ・レスコーは、天国劇場という舞台の上のみならず、現実の世界でも虚構フィクションを演じていたのだろうか。


 まちなかのカフェでサンカン氏と食事をするザザが見せたを思い出す。

 表情のない顔。のっぺらぼうの女。

 それが、ザザ・レスコーという女性の本質なのか。

 他人に合わせて好まれる「ザザ・レスコー」を演じる、あの女は、誰だ?

 

 そんなことを思うと同時に、私はサンカン夫人は何のためにアーネストを情夫としているのだろうと感じた。愛だの恋だののために、アーネストを飼っているんじゃなかたんだろうか。

 私にはこの二人の関係もよく分からない。

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