#27 甦る男 ①

「原稿を持ってきて頂戴、ね?読みたいわ!」


 自分の意思とは関係なく、サンカン夫人の言葉が、頭の中で繰り返される。


 ――書かなきゃなぁ……


 私は手に持ったペンを投げ出して、うんと伸びをした。机の上に置いた原稿は未だ白紙だ。午前中から椅子に座っているものだから腰が痛い。窓の外に目を向けると、私を家の外へいざなうように快晴の空が広がっている。


 ――劇作家になろうったって、まずは書かなきゃ、始まらないんだよなぁ


 昼下がりのあたたかな陽光が背後に置かれているソファにひだまりをつくっていた。今あそこに座ったら、気持ちよく昼寝ができるだろう。……そう思うと、眠くなってきた。日当たりのよい部屋を覆うぬるま湯のような空気が眠気を誘う。

 ぬるま湯。

 私はぬるま湯の中で、自分を甘やかしている。


 ――コーヒーでも飲むか


 そう思って立ち上がった時、玄関の呼び鈴がなった。

 ドアを開けると、デュムーリエ警部とフィデール刑事の顔が並んでいる。


「どうしたんですか!?お二人揃って」


 珍客に驚いて、私は挨拶するのを忘れてしまった。


「ちょっとお話を伺えればと思ってね……先日の天国劇場テアトル・ド・シエルで起こった事件ことなんだけれども」


 私たちにまで事情聴取が必要なのかと内心いぶかしく思ったが、断る理由もないので「いいですよ」と言った。

 二人の警察官を奥のリビングに案内する。廊下を歩きながら


「呼んでいただければ警視庁に行ったのに。前の事件で通い慣れてますしね」


 と言うと、警部は「はは」と笑った。先にリビングに入った上司の後ろをついてきた若い刑事が、私に耳打ちして、はにかんだ笑顔を作った。


「外のほうがいいんですよ。署だとですから」


 私は二人にソファを勧めると、二階にいるアーネストを呼んだ。

 アーネストが降りてくる間に、私はコーヒーを四人分用意した。


「今日こちらに伺ったのは、先日起こった天国劇場テアトル・ド・シエルの事件のことで確認したいことができてね……」


 アーネストがソファに座ったところで、デュムーリエ警部が会話の口火を切った。フィデール刑事はいつものごとく警部の隣でメモを取る体制を整えていた。


「サンカン夫人とアーネストくん――君は、単刀直入に聞くが愛人関係にあったのかね?」


「そうです。劇場でお話したとおり」


「劇場についたのは何時だったか覚えているかな?」


「17時すぎだったと思います」


 アーネストが答えるそばから、私もその頃、ロビーにいる二人を目撃したことを伝えた。


「劇場に来る前はどこに?」


「食事をしていました」


 デュムーリエ警部はサンカン夫人の証言の確認に来たようだ。

「なるほど」と呟くと右手で顎をひと撫でして黙ってしまった。


「新聞ではエドモンが逮捕されたと読みましたが、まだ捜査は続いているんでしょうか」


 私はデュムーリエ警部に質問をぶつけた。

 この質問にデュムーリエ警部は私の方をちらりと見たものの、黙ったままである。


「今のご質問からすると……サンカン夫人が疑われているんでしょうか」


「そういうわけではないよ」


 警部が口を開いた。


「事実関係を確認をしたまでで」


「劇場に入る前の行動を調べているのには……何か意図があるのでしょうか。例えば……」


 私は警部に食い下がった。


「小道具の短剣をすり替えた時刻を確認するためだとか」


 フィデール刑事が顔を上げた。

 私の顔をじっと見たまま沈黙するデュムーリエ警部のほうに、物いいたげな視線を送る。


「エドモンは殺意を否定していると、新聞で読みました。

 エドモンは私に犯人は自分じゃないと言っていましたが、模造剣が本物の短剣にすり替えられていることに気づいていなかったんじゃないでしょうか。そうでなければ、舞台の上で衆人環視の中、殺人を犯した理由が分かりません」


 私の意見に、何か返そうと口を開きかけたフィデール刑事を、デュムーリエ警部が静止した。


「君たちの意見を伺おう。

 確かに、報道発表のとおりだ。エドモン・ティオゾは殺意を否認している。

 短剣が本物だったことを知らなかったと供述しているのは間違いない」


 釈迦に説法だというのは分かっていた。

 烏滸おこがましいと思いながらも、私は警部の言葉に甘えて、一昨日の夜、アーネストと話したことをデュムーリエ警部に打ち明けた。


 エドモン・ティオゾが故意に本物の短剣を使って、ロンダ氏を殺害したのではないと仮定した場合、次の四点に当てはまる人物を洗い出す必要がある。

 すなわち、舞台で短剣が使われることを事前に知っていること。

 小道具の保管場所に出入りできること。

 舞台の前にすり替える時間があること。

 それから、ロンダ氏を殺害する動機があること。


 だから、今回、デュムーリエ警部はサンカン夫人のアリバイ確認に来たのだと思ったのだと伝えた。

 警部は、私の話を遮ることなく最後まで聞くと、二度頷いて


「方向性としては間違いない」


 と言った。


「……じゃあ、エドモンの殺人の疑いは晴れるんでしょうか?」


「現段階ではまだ。

 エドモン・ティオゾには、ロンダ氏を殺害する動機がなかったわけではないからね」


「それは……レスコーさんのことで、ロンダ氏といさかいがあったからですか?」


 デュムーリエ警部は再び頷いた。

 おそらく警部は、口を滑らせて部外者である私たちに余計なことを喋らないように気をつけているのではないかと思う。


「ジャン・モニオットの話はご存知でしょうか?」


 警部の口から他の関係者の名前が出てくる可能性が低いと踏んだ私は、自ら知っている情報を具体的に話すことで確認していこうと考えた。


「……ジャン・モニオットのどういった話かな?」


 デュムーリエ警部は眉根をちょっと上げて、顎をさすりながら私に尋ねた。


「小道具の管理を担当していたジャン・モニオットの行方が事件当日から分からないという話です」


「君はどこでその情報を?」


「ロンダさんから聞きました。

 事件のあった日、私は開演前、楽屋に行っていたんです。

 エドモンから招待してもらっていたので、挨拶をしようと思って」


「なるほど」


「それは、17時半でした。ロビーのからくり時計が鳴った直後でしたから覚えています。

 ジャン・モニオットなら……小道具の管理をしていたわけですから、短剣をすり替えることが容易です。例えば、前日のリハーサル終わりにすり替えて、当日行方をくらませたのであれば合点がいくんじゃないでしょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る