#26 ホテル・ラトゥール802号室 後編

「サンカンさんはレスコーさんをどこで知ったんですか?」


「『パリアンテ』のオーディションだったんじゃないかしら?

 ロンダさんが連れてきた新人にいいのがいる!って言ってたのを覚えているわ」


 私は昨日、クリストフ・ラヴォーが、ロンダ氏から、ザザにオーディションを受けさせてやってくれと頼まれたと言っていたことを思い出した。クリストフは、サンカン氏がザザの演技を絶賛していたとも言っていた。

 この証言は、サンカン夫人の記憶とも一致する。


「そうなんですね。

 ロンダ夫人はその後どうしたんですか?」


 私は一応の関係者である、ロンダ夫人の様子も聞いてみることにした。


「ロンダ夫人は、今私の家で滞在してもらっているわ。

 だって、ご主人があんなことになった直後でしょう?お一人にしておくのが可哀想で……」


「ロンダ夫妻にはお子さんはいらっしゃならないんでしょうか」


「確か息子さんがひとりいらっしゃったはずよ。

 役人をされているとかで、今は南方へ行っているんだとか」


「それは心配ですね」


「ええ……。

 ロンダさんの訃報は電報したみたいなんだけど」


「今日はおひとりにしておいて大丈夫なんですか?」


「ええ。

 朝からブヴィエ医師せんせいにも来ていただいてたし、それにロンダ夫人は午後から降霊会こうれいかいに参加する予定があるだとかで……」


「降霊会……ですか?」


 降霊会というのは、降霊術を用いて亡者の霊を呼び寄せようとする魔術を行う会のことだ。こういった会では、霊媒者が仲立ちとなって、死後もなお現世に彷徨う霊魂と交信するのだという。

 進化論が発表され、科学の進歩が叫ばれて、久しい世の中である一方で、こうした心霊研究が昨今流行っているのも事実だ。

 

「そうなの。

 ロンダ夫人は数年前、お母様を亡くされてから、降霊術にご執心なのよ。

 昨晩も夫の霊と交信したいって話していたわ。

 突然殺されてしまった夫の魂を慰めたいのですって」


「……ロンダ夫人は、ロンダ氏を愛していたんですね」


「そうね」


 サンカン夫人がにいと笑った。


「私たち夫婦とはえらい違いだわね。

 愛があってもお金がないのと、愛はなくてもお金があるのと、どっちが幸せなのかしら」


「『愛があってもお金がない』というのは?

 その……ロンダさんの家のことですか?」


 他人の家の懐事情を探るようで、気持ち的には憚られたが、私は質問を続けた。


「ロンダさんのところは、旦那さんは舞台に夢中で、奥さまは降霊術に入れあげていたでしょう?

 昨晩も奥さまに今日行く降霊会の費用について相談されたのよ、ここだけの話なんだけれどね」


「降霊会の費用ですか」


「ええ。

 まあ、旦那さんがあんな事になったばかりだから、しばらくは援助して差し上げるけれど、今後のことを考えると……」


 サンカン夫人は言葉を濁した。

 スピリチュアリズムに傾倒するロンダ夫人の状況も分からなくもないが、地に足のついた生活をひとりでしていけるのかは不安なところだ。


「息子さんからのお返事を待たないことには、他人はなんとも言えないわね。

 ロンダさんのご遺体もまだ司法解剖から戻っていないの。葬儀を出すにも時間がかかりそうで……できる限り、私、お力になりたいと思っているのよ」


 サンカン夫人は視線を落として、コーヒーカップの取っ手を右手でつまむと一口飲んだ。


 それから、程なくして私は部屋から退散した。

 アーネストはサンカン夫人とホテルに残った。



 

 その夜、アーネストは深夜に帰宅した。

 その頃、私はというと、とうに寝支度をしてベッドに入っていた。

 夢現ゆめうつつにも事件のことを考えていたようだ。

 マルタン・ロンダの突き出た腹を短剣で刺す。

 顔いっぱいに口を開けてもがき苦しむ、ロンダ氏の苦悶に満ちた表情を夢に見ていた。

 玄関の扉が開く音がして目が覚めた。

 私は寝返りをうった。ベッドの中で耳を澄ましていると、しばらくして階段を昇る音がした。木製の古い階段は一段一段踏みしめるごとに、鈍く軋む音がする。快活な音ではない。寝ている私に気を使って物音を立てないようにしたのかもしれない。重くゆっくりとした足取りだった。

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