#17 女優 ③
ザザ・レスコーが降りてしばらく、私たちは黙ったままでいた。
馬車は私たちを乗せ、暗い道を走る。郊外の道は街頭もない。リズミカルな馬の蹄鉄の音に耳を傾けながら揺られていると、ついうとうと眠りたい心持ちにもなってきた。
そんな折である。
「……あれは事故だったんじゃないかしら?」
ボネール女史が
「事故ですか?」
「事故」という言葉を繰り返した私の顔を、女史はじっと見つめていた。
「ええ。マルタン・ロンダを殺害したのはエドモンには違いないわ。観衆も、みんなが観ていたから。でも……エドモンは意図してマルタンを殺したのではないかもしれない」
「なぜそう思われるんですか?」
「ジャン・モニオットの行方が分からないのよ」
「ジャン・モニオット?……って、あの、開演前にロンダさんが探していた?」
「ええ。結局今日は姿を見なかったのだけど……小道具はジャンが管理していたから、短剣をすり替えるのは他の人間よりも簡単だったんじゃないかしら」
「短剣をすり替えた?」
「ええ。短剣は舞台用の模造剣を用意していたわ。
それが本物になっているだなんて。エドモン自身が用意したか、他の誰かが本番前にすり替えたか……エドモンでないなら、他の誰かかもしれない」
「そこで、行方をくらませたジャン・モニオットが怪しいと?」
「そうね。
ジャン・モニオットである可能性もあるし、他の人間である可能性もある。
警察もそのへん念頭には置いてるんじゃないかしら。
私ですら今日の行動を聞かれたから」
「ちなみに、なんと答えたんですか?」
アーネストが口を開いて尋ねた。
「私は五時前に劇場に入って、楽屋で準備をしていました。
私が入るのが一番遅かったから、他の出演者もそれは知っているわ」
「劇場に入る前は自宅に?」
「ええ、そうよ」
「それを証明できる人は?」
ボネール女史は面食らったような顔をして、黙ったままアーネストの方に一瞥をくれ、その後、「ふふっ」と笑うと、
「警察みたいなこと聴くのね。
私、その質問に答える義務はあるかしら?」
と言った。
「ありませんね」
アーネストが即答する。
「そうね、ないわ。
でも、自宅にいたことは間違いないわ。
それを証明できるのは……シュゾンぐらいかしら?」
「シュゾン?」
私は
ラシェル・ボネールは独身だ。自宅にいることを証明できる家族のような人間はいないはずだ。使用人か、それとも家族だろうか。
「ええ」
「それは……」
「薔薇よ。
大事に育てているの。我が子同然に名前を付けて」
「は……はあ」
薔薇に名前をつけて育てているというボネール女史の返答に、私には、返す言葉が思い浮かばなかった。どんな表情をつくるべきかすら迷ってしまったので、自分はさぞかし間抜けな顔をしているだろうとも思う。
「……シュゾンは、サンカン氏にはお見せになったことはあるんですか?」
アーネストが口を挟んだ。
その唐突なタイミングに加え、直球すぎる質問に、私はギョッとして背筋を寒くした。
ラシェル・ボネールも一瞬何を聞かれたのかと理解するのに時間がかかったらしく、かたちの美しい唇をポカンと開ける。
「あなた……」
次の瞬間、ボネールが吹き出した。
「見かけによらずミーハーなのね」
いったん言葉を切って、ボネール女史は
「それから……無粋ね」
と言った。
アーネストはこれに対して顔色ひとつ変えずに
「どうも」
とだけ返した。
「サンカンさんと、その……愛人関係にあったのでしょうか」
沈黙の時間に耐えきれなかった。
それに、サンカン氏とボネール女史の関係は気になるところでもある。
私は緊張しながら女史に尋ねた。
自分の声よりも心臓の鼓動のほうがうるさかった。息が詰まって苦しい。
そんな私の緊張をよそに、ボネールは葉巻を唇から話すと事もなげに答えた。
「ええ、そうよ。私、アドルフ・サンカンの愛人でした」
「今は違うんでしょうか?」
「さあ。最後にサンカンがうちに来たのはいつかしら?……忘れちゃったわ」
女史はくすりと笑った。
「忘れるぐらい前だから、今は違うってことだわね。サンカンは艶福家で、私の他にも女はとっかえひっかえしてましたから、お互いに遊びみたいなものです」
「遊びですか」
「サンカンさんがロンダさんを嫌っていたということは?」
「嫌っていたかと言われれば、嫌っていたかもしれませんね。他人の腹の底までは分かりませんわ。サンカンに、ロンダのことをどう思っているかなんて、聞いたことありませんし。第一私、興味がないもの。サンカンにも、ロンダにも」
女から冷淡に発せられる手厳しい言葉に、関係のない私ですらなんだか心が痛む。元愛人から「興味がない」と言われたサンカン氏はやはり、さっきみたいに怒り狂うのだろうか。
私がそんなことを考えているうちにも、ラシェルは話した。
「でも、ビジネス上うまく付き合っていたと思います。ロンダはいい噂のある男ではありませんでしたけれど、演劇界においては、いい広告塔になってくれていたと思いますわ。
私も感謝してますのよ、ロンダには。いつも褒めてもらって。
彼に私の何が分かるのか理解できなかったし、私は好きではなかったけれど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます