#18 長い夜 前編

 ラシェル・ボネールを送り届け、再び市街地に戻ったあと、私たちが自宅に帰ったころには時計の針がてっぺんを回ろうとしているところだった。

 帰りの馬車の中では、私はアーネストとひと言も言葉を交わさなかった。交わさなかったというよりも交わせなかったという方が正しい。疲れていた私は、馬車のなかで眠ってしまっており、アーネストに「ついたぞ」と言われるまで、気が付かなかったのだ。

 アーネストのほうもすぐに自室に戻るということはなかった。

 脱いだ上着を背凭れに放り出し、タイを緩めると、リビングの三人掛けソファに脚を投げ出して横になり、右肘をついてその上に頬をのせてぼんやりと煙草をくゆらせていた。

 久しぶりにやって来たというのに自分の自宅であるかのようにくつろいでいるアーネストには呆れていたし、「ああ、こいつはそんなヤツだったな」と、慣れてしまっている自分にも呆れた。

 私が一緒に酒でも飲むかと問うと、アーネストは無言のままだったが、こちらを見て、ソファから起き上がって座り直した。

 飲むつもりだ。

 私も黙ってグラス二つとワインボトルを持っていくと、空いているほうの一人掛けのソファに座って、酒をいだ。


「今夜は長かったなぁ」


 手酌で入れたワインを一口飲んで、私は溜息をついた。

 アーネストも横でグラスを煽りながら、頷いた。


「お前に会うときはいつも厄介事に巻き込まれる」


「それはこっちが言いたいセリフだ!」


 アーネストのひと言に、私は続けて飲んでいたワインを吹きそうになった。

 慌てて飲み込み、即座に言い返す。

 アーネストのほうも、珍しく私ほうに顔を向け、まじまじと見つめてきた。黙ったままだったが、「どっちがだよ」とでも言いたそうな顔だ。


「そもそも、なんで、お前、舞台なんか観に来たの?」


 私は勢いに任せてアーネストに感情をぶつけた。


「なんでって……それはサンカン夫人に誘われたから」


「サンカン夫人に誘われたらついて行くわけか?」


「だって、情夫だし」


 ――自分で情夫とか言う?


 と思ったが、私は言葉を飲み込んだ。

 アーネストが続ける。


「お前こそ、なんであそこにいたんだ?しかも、ひとりで」


 「しかも、ひとりで」は余計だと思いながら、


「エドモンに招待してもらったから」


 と答えた。


「エドモンというと、王子役の?父親殺しの」


 私は頷いた。


「父親殺しの役だったけれど、実際現実に舞台上で殺人を行うなんて……」


 アーネストはグラスをテーブルの上に置いたまま、黙って私のほうを見ていた。私は話を続けた。


「エドモンが舞台上で殺人を犯すなんて到底考えられないんだ。昔から知ってるけれどそんなヤツじゃない。第一本人が警察に連行される前に『オレはやっていない!』と言っていた」


 警察に連行される前、天国劇場テアトル・ド・シエルの裏で、エドモンが必死で無実を訴える姿が脳裏に蘇る。


「……私にはエドモンが嘘を言っているようには見えなかった。

 だから、ボネール女史が言っていたように、あれは事故だったんじゃないかと思うんだ」


ということは、誤って短剣が本物になっていたということか?」


「いや……それは……」


 私は答えを言い淀んだ。

 確かにというのには語弊があるのかもしれない。

 何者かが短剣をすり替え、エドモンに殺人を犯させたとするならば――。

 言いたいことをアーネストが先に言葉にした。


「何者かが短剣を故意に本物にすり替えたのならじゃないか?」


「短剣をすり替えたのは、今行方不明になっているというジャン・モニオットなんだろうか?」


「その可能性はあるが……現時点で断定はできないんじゃないか。

 殺人を犯したエドモンが、自ら短剣を用意していた可能性もあるし、エドモンとは異なる人物が短剣をすり替えた可能性もある。後者の場合、少なくとも短剣をすり替えた人物は、舞台上で短剣を使うシーンがあることと、利用前の短剣の保管場所を知っていた人物になるだろうから、ジャン・モニオットを含め、舞台関係者全員が犯人であるという可能性が出てくる」


「舞台関係者全員……」


 私の言葉に同意するかのように、アーネストは視線をテーブルに落とすと、グラスを持ち上げた。


「今回の場合、殺人は舞台上で衆人環視の中行われた。

 実行はエドモンであるということは間違いない

 エドモンが短剣を自ら用意していた場合、なぜ彼はわざわざ劇中で殺人を犯す必要があったのか……しかも、目撃者が多数いる中で。

 殺人の実行時は、自分が犯人であるということを誇示しながら、お前に『自分ではない』と訴える点に矛盾がある」


 私は何度も深く頷いて、アーネストの意見に同意した。


「あいつは、殺人なんてするヤツじゃない。

 ザザ・レスコーを守るためとは言え、別の手段を使うはずだ。

 それに舞台は、アイツ自身のチャンスでもあったんだ。自分が殺人を犯す舞台にわざわざ旧友である私を呼ぶ意味も分からない。アイツは舞台に出られることを喜んでいたし、誇りにも思っていたはずだ。

 ……だから、そんな舞台で殺人なんて、みすみす自分の将来を潰す真似をするとは思えないんだ」


「では、がいると仮定すると……」


「だから、それがジャン・モニオットなんじゃないの?

 行方をくらませているぐらいなんだから、後ろめたいことがあるはずだ」


「ジャン・モニオットの可能性はある。

 しかし、現時点では違う人物である可能性もある」


 アーネストはグラスを傾けると、残っていたワインを一気に飲み干した。


「他の人物というと?」


 私は、アーネストが置いたグラスに、ワインをいだ。


「だから、現時点で言えば、舞台関係者全員の可能性があると思う。

 犯人を絞り込む条件として、舞台で短剣が使われることを知っている人物であること。舞台で使用する小道具である短剣の保管場所に出入りできること。舞台の前にすり替える時間があること。それから、ロンダ氏を殺害する動機があることの四点に該当する人物を洗い出していく必要があると思う。

 ジャン・モニオットの場合、舞台で短剣を使用することを知っていた。その保管場所も管理していたのだから知っている。あとは……当日、行方不明だったのであれば、事件の前日に短剣をすり替えたのか?それと、ロンダ氏との関係は?うまくいっていなかったのか、を洗い出す必要があるんじゃないか」


「なるほどね」


 確かに、ジャン・モニオットが犯人である場合、という、時間の問題を考える必要があるに違いない。

 ロンダ氏を殺害する動機については、あまりよくない噂が多い人物だから、付き人として付き合っていたのであれば、嫌な面もたくさん見てきたかもしれない。

 いずれにせよ、居場所の分からないジャン・モニオットについては、その消息を当たる必要がある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る