#14 あの女 後編

「私がここにいたからって何だっていうの?」


 近寄ってくる男に対しモーガンは冷たい目線を向けた。


「楽屋に戻ろう」


 クリストフには、女のにべもない態度を気にする様子はない。その白く細い腕を取ろうと右手を伸ばす。


「嫌よ」


 クリストフの手をモーガンはピシャリと払い除けた。


「モーガン、そんなに怒ることないだろう?戻ろう」


 クリストフはモーガンの顔を覗き込んだ。


「嫌!」


 モーガンは目の前にある困り顔をした小男から顔を背ける。


「あの女と同じ空気を吸いたくないの」


「モーガン……」


 クリストフが唸る。


「あなただって、ザザの味方なんでしょう?

 言っときますけど、私をけ者にしたのはあなたたちよ?」

 

「除け者にしたわけじゃないじゃないか」


「したわ!」


 モーガンが声を荒らげた。


「ラシェル・ボネールは分かるのよ?ザザの味方するのは。あの人、あの女のこと分かってないのよ。純朴な田舎の小娘としか思ってないのね」


 モーガンは「ふふ」と嘲笑を交えて話を続けた。


「サンカンさんにも捨てられて、どうせのたった落ち目の女優なんだから、どうでもいいの。

 でも、あなたまでラシェルの肩を持つことないでしょう?」


「僕は……ボネール女史の肩を持ったわけではないよ」


「じゃあ、何?

 ザザがかわいいっていうの?こんな事になったのは全部ザザのせいじゃないの?

 あなたがあの女を主演にしていなければこんなことにならなかったんじゃないの?

 ロンダさんは死ななかったし、エドモン・ティオゾだって殺人なんか犯さなかったわ。舞台は成功していたはずよ。喝采のなかカーテンコールを迎えてたわ!?違う?」


「それは……」


 クリストフはたじろいで言葉を詰まらせる。

 モーガンの目鼻立ちのはっきりした華やかな顔から距離を取って、片眉を上げた。

 困ったような、悲しんでいるような表情を見せる。

 私は、劇作家としてライバルともいうべき――いや、随分と遅れをとっているから、その才能と政治力には嫉妬すらしているはずなのだが――、クリストフ・ラヴォーに同情した。それと同時に、クリストフという男に、決定的な女の趣味の悪さという欠点を見つけて安堵した。

 私のライバルであるこの男が、目の前て喚き散らしている性格の悪い女性のどこを一体愛しているのか、まったく理解できない。


「あなた、ザザみたいな小娘を選んで、せっかくのチャンスを台無しにしたのよ?

 あんなこびを売ることしか能がない女、選ぶのが間違っているわ!」


「ザザは……僕が、僕だけが選んだわけじゃないよ」


「じゃあ、誰が選んだっていうの?」


 モーガンは挑戦的な眼差しをクリストフに向けて微笑んだ。

 「勝利」を確信した笑みだ。

 クリストフ・ラヴォーを言い負かしたこと。

 それから、クリストフ・ラヴォーの心をザザ・レスコーから奪い返したこと。

 その二点において、モーガンは勝ち誇ったような表情を見せたのではないかと思う。

 燦々と輝いた表情を見せる美女の前に、クリストフは項垂うなだれ、屈服するかのように溜息をついた。


「ザザ・レスコーは、ロンダさんに紹介されたんだ」


「ほぉら!私の言ったとおりじゃない!

 あの女、やっぱりロンダさんに取り入ってたのよ」


 クリストフ・ラヴォーの告白に、モーガンは嬉しそうに甲高い声を上げた。

 

「馬鹿な男!」


 モーガン・ブランションがちらりと私のほうに視線だけ向け、にやりと笑った。


「エドモン・ティオゾも!馬鹿なのよ!

 あんな女のために殺人を犯すだなんて」


 私の中で、自分が抱くザザ・レスコーの純真無垢な確固としたイメージに暗い影が射して、ぐらつくのを感じたのは否めない。

 しかし――。

 認めたくない。

 勝ち誇ったように嘲笑を浮かべる女の正しさを認めたくないのだ。


「ロンダさんはどこでレスコーさんと知り合ったんですか?」


 私は内心を悟られないように平静を装って、クリストフに尋ねた。


「さあ……それは私にも分かりません。

 ロンダさんの劇団に入ってきた新人の女優を連れてきたんだと思っていました。

 オーディションを受けさせてやってくれと頼まれたんです」


「オーディションの審査にはロンダさんも入っていたんですか?」


「入ってないですよ!」


 クリストフは語気を強めて否定した。


「その時はまだロンダさんの出演も決まっていませんでした。

 モーガンも知っているよね、審査の様子は。

 君もオーディションを受けたんだし」


「………………」


 モーガンは目を白黒させて黙っていた。自分が選考から漏れたオーディションの話を蒸し返されるのが不快だったのだと思う。


「審査は厳正に行いました。

 最終選考では、満場一致でザザ・レスコーが選ばれました。

 特にサンカンさんは絶賛していましたね。

 演技をするザザには、まるでカーリンが憑依したかのようでした。私もザザの演技には魅入ってしまった程です」


「……サンカンさんはロンダさんと仲がいいじゃない」


 クリストフと私の会話に口を挟んできたモーガンの声は震えていた。


「ロンダさんの劇団のスポンサーでしょ?

 クリストフ!あなただって!!!ザザに近づきたかったんじゃないの?『最終選考は満場一致』って!あなたまで私じゃなくてザザを選んだってことでしょう?」


 クリストフは黙ったまま、困ったような、憐れむような、表現し難い表情をしてモーガンの顔を見つめていた。

 仕事は仕事だ。

 クリストフは恋人よりも演劇人であることを選んだのだろう。

 大きな目に溜まっていた涙が溢れて、モーガンの頬をつたう。


「ひとりにして!」


 モーガンはぼろぼろ流れる涙を拭いながら言った。


「ブランションさん……」


 警官は困ったまま立ち尽くしていた。


「別室は?」


 しばらくの沈黙の後、発されたアーネストの言葉に、警官ははっとして


「こちらへ」


と言うとモーガンを誘導した。


「モーガン……」


 たっぷりとした長い髪を揺らし、警官のあとをついて歩くモーガン・ブランションの手を、すれ違いざまにクリストフが取った。

 しかし、モーガンはすぐさまその手を払い除けると、


「あなたの顔も見たくないの。私、もう家にも帰らないわ」


と言い残し、警官に「行きましょう」と促して去って行った。

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