#13 あの女 前編

「嫌!……嫌よ!離して!!!」


 背後を振り返ってみると、モーガン・ブランションが若い警察官と揉み合っていた。制服を来た警官は見たところまだ新米のようだ。私たちと然程さほど歳が変わらない外見をしている。


「お話を伺うまではご協力ください。どうか楽屋で待機を……」


 なだめるようにやさしく声をかけ、腕を取ろうとする警官の手を、モーガンは素早く払い除け、ヒステリックに叫んだ。


「なんでなの!?

 犯人はエドモン・ティオゾだって決まってるでしょう!?

 エドモン・ティオゾが刺し殺したのよ?しかも舞台の上で!観衆みんなが証人よ!そこに疑いの余地はないわ。私の話を聞いても犯人はエドモンなのは間違いないでしょう!?」


 警官は女の激しい口調に警官はたじろいでいた。

 しかし、職務は全うしなければならない。声を上擦らせながらも言い返す。


「ね、念のため、関係者する方々には状況の確認をお願いしております」


「嫌!」


 女はぷいっと身を翻し、警官を置いてこちらへ歩きかけた。


「しかし……!これは上席からの命令なので」


 警官が慌ててモーガンの肩を掴んで声を荒らげた。


「困りますよ!勝手なことされちゃ!!!」


「私、これ以上、と同じ部屋には居たくないのよ」


 モーガンも思わず脚を止めた。

 金切り声はしなかった。静かな、しかし、怒りのこもった低い声だった。


?」


「ええそうよ。

 今度の事件だってどうせ痴情のもつれでしょ!?

 、エドモンに好かれてるって分かっているのに、ロンダさんにも取り入ろうとしていたんだから!」


「……ちょ、ちょっと待ってください。

 って……誰のことですか?」

 

が誰かですって?」


 モーガン・ブランションの、真っ赤な口紅ルージュに彩られた、かたちのよい唇が歪んだ。どす黒い嫉妬の炎を宿した女の表情は醜悪だ。

 

「ザザ!ザザ・レスコーに決まってるじゃないの」


 ザザ・レスコーという名前が、舞台の主演を務めている少女だということに繋がらなかったのかもしれない。きょとんと間抜けな顔をしている警官に対して、モーガンは小首を傾げ、にっこりと微笑んだ。


「舞台が終わって、ホントいい気味だわ!

 あんな女のために、私がなぜ脇役しなきゃならないの!?」


 モーガンは「あはは」と短く笑い声を漏らした。


「あの女、純真無垢なふりをして男に色目を使うのが得意な女なのよ。

 クリストフだって、あの女の誘惑に負けて今回の舞台の主演に抜擢したんだから!

 次の仕事に目が眩んでロンダさんにも取り入ろうとしてたのが悪いんだわ」


 あの無垢を絵にかいたような微笑みを浮かべる少女が父親ほど歳の離れたマルタン・ロンダに取り入る姿を、私には全く想像ができなかった。

 やっかみも甚だしい言い草だ。普段、自分が女を武器に男たち取り入っているから、他人も同じことをしているのだと触れて回るのではないか。


 不愉快だと思った。

 そもそも、エドモンが殺人を犯したと大声で喚いた時から気に食わなかったのだ。友人とその恋人を侮辱された気持ちになった。

 

「そうおっしゃるのには、何か証拠はあるんですかね?

 例えば、クリストフさんと二人きりで親密にしていたとかいうのを、ご覧になったんですか?」


 私はモーガンと警官の方に歩み寄って尋ねた。

 内心の不愉快な気持ちが顔に出ないように無表情を努める。


「ないわ」


 モーガンが臆面もなく即答したものだから、拍子抜けした。

 私の正面に立っている警官も目をしばたたかせている。


「証拠はないわ。でも……」


 モーガンは口角を上げ、口元に柔和な笑みをつくっていた。

 しかし、その視線はなおも挑戦的だ。


「女の勘よ、あなたには分からないでしょうけど」


「……勘?」


「そうよ。

 だって、そうでもなければ、クリストフがあの小娘を主演に選ぶ理由がないわ」


「それは……レスコーさんに実力があったというわけではないのでしょうか」


 私は反駁せずにはいられなかった。


「実力?」


 モーガンの甘えた声が、また低くなった。射るような鋭い視線は怒気を孕んでらんらんと輝いていた。


「あの小娘に?」


 目の前の三流女優がふっと鼻で笑う。


「あの小娘に、この私よりも実力があるとおっしゃるの?」


「そうなんじゃないですかね」


 私はすぐさま言い返した。

 相手をしなくていいのは分かっている。だけど、私は腹が立っていた。


「クリストフさんにとって大事な作品なんでしょう?

 当然、実力があるから選んだんじゃないですか?」


「クリストフは!」


 モーガンは顔を真赤にして早口に叫んだ。


「クリストフは!

 田舎から出てきたばかりの小娘を抜擢したわ!なんの実績もないのに。おかしくないかしら?

 クリストフは野心家よ。第一線で活躍できる人気劇作家になれるかもしれないせっかくのチャンスですもの。知名度のある女優を使うべきなのに、なんであんな女を!?」


 女は同意を求めるようにあたりを見回した。

 目を合わせては行けないと思ったのだろう。警官は即座に俯いた。


「ねえ!?そうでしょう!?!?!?」


 モーガンは、離れたところにいるアーネストに同意を求めようとした。

 しかし、アーネストは煙草を吸いたげにパイプを弄っているだけで、返答するどころか、見向きもしない。


「ねえ!ちょっと!!!なんとか言いなさいよ!!!」


 完全に八つ当たりだ。

 アーネストのほうに、掴みかかるように近づいていくモーガンを、背後から噂の男が呼び止めた。


「モーガン!ここにいたのか!?いい加減にしろ!!!」


 モーガンが向かおうとする、廊下の反対側に、クリストフ・ラヴォーが立っていた。

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