#12 関係者各位 ③
「デュムーリエ警部、来ていただけますか?」
私の背後からフィデール刑事が警部を呼びにやってきた。警部は振り返ると頷いて、「今行く」と返事をした。
それから、ソファに掛けている二人の婦人の方に向き直り、
「それでは、私はこれで。またお話を伺うかもしれませんが、その際はどうかご協力ください。 この度は突然のことで、たいへん難しいかと思いますが……お気落としのないように」
と言って、私の横を通り過ぎようとした。
「あ……ちょっと……」
仕事に戻ろうとするに警部を、うっかり呼び止めてしまった。忙しいのは分かっている。
呼び止めたのはいいものの、先を続けていいものか逡巡し、口籠る私を、警部はちらりと見て促した。
「何かあったかな?」
「私は……ここにいてもいいんでしょうか」
「いいとも。アーネストくんもいることだし。どうせ同じところに帰るんだろう?」
「……は、はあ」
前の事件の事情聴取以来会う機会のなかった警部が持っている私たちの情報は、無論当時から更新されていない。アーネストは未だ私の家に住んでいることになっているのだ。
――まぁ……。アーネストが私の家に住んでいようがいまいが、どっちでもいいんだけど。
私はアーネストのほうに目をやった。
壁に凭れかかっているアーネストは腕を組み、さも煙草を吸いたげに、パイプを口をちょっと咥えるようにして、ぼんやり床を見つめていた。
「あなた、アーネストのお友だちなの?」
サンカン夫人が私に興味を示した。
「……はぁ。友だちというか……知り合いというか」
「そうなの?
アーネストにも友だちがいるのね」
サンカン夫人は、ふふふと笑った。
アーネストの耳にも、もちろんこの失礼な物言いは聞こえているはずだ。
しかし、意に介さなないらしい。
部屋の扉を開けて、ほとんど出かけているデュムーリエ警部に向かって
「煙草を吸いに出てもいいですか?」
だとか、尋ねている。
「マイペースよね、アーネストは」
サンカン夫人が苦笑した。
苦笑の下には年下の愛人への慈しみがある。サンカン夫人にとってアーネストが随分年下の情夫であるという点以外に、私にはその慈しみの情がどこから湧いてくるのか、まったくよく分からなかったが。
「彼、今夜、連れて帰ってくれるかしら?……ええっと名前は?」
「ドウヨです、ドウヨ・ノエル=コーヌ」
「コーヌ?」
目の前に座っている二人の女性が目をパチクリさせた。私の顔をしばらく凝視した後、二人は向き合って、何かを確信したように目で確認し合った。
サンカン夫人が私に向かって話す。
「あなた、グラ・ノルベール=コーヌをご存知ないかしら?」
「グラ・ノルベール=コーヌは……私の父です」
「あら!コーヌさんの息子さんなのね!こんな大きな息子さんがいらっしゃるとは知らなかったわ!!!お父さまが若く見えるのかしら。雰囲気が似てると思ったのよ!華があって。お父さまはお元気?私、あなたのお父さまのファンなのよ」
「今、父は……はっきりとは私も消息を知っているわけではないのですが――私も国外にいたものでして。アーネストとは帰りに一緒になったんです。父からは、三年前にゲラーマンから手紙を貰ったっきりなんです」
「あら、そうなの……それは心配ね。
お父さまは共和派でしたわね。政局が変わって随分経つのだから帰ってこられてもよさそうなのに。お父さまの小説の続きがまた読みたいわ」
「ありがとうございます」
私は、自分自身があまりよく知らない自分の父親について、いちおうの礼を述べた。
小説家である父のファンは多い。
シャプドレーヌ帝政により弾圧を受け始めた父は諸国を転々とし、3年前にゲラーマンに落ち着いたと手紙を寄越してきた。
3年経った今、父は生きているのだろうか――。
それは定かではないけれど、何の連絡もないということは、元気なのだろうと思う。
「……ちょっと、出てくる」
アーネストの声がして、振り返ると同時に、部屋の扉がパタンと閉まった。
「ちょっ……おい!」
私は慌ててアーネストのあとを追いかけた。
「どこ行くんだよ!?」
「煙草」
「外に出るなら、野次馬がいないか様子を見てきてきてくれ。落ち着いていたら帰りたい」
「………………」
アーネストは黙って私の先を歩いていた。
その表情は見えない。
私は無性に腹が立った。
「アーネスト、お前今日どこへ帰るんだ?」
意地悪な質問をしたくなった。
アーネストが立ち止まって、私の方を振り返った。
「どこへって……」
私の前に立っている男は表情こそ崩さないが、目を一瞬泳がせたような気がした。
――お前は困れ!
アーネストの表情に、僅かな、ごくごく僅かな満足感が、私のなかに広がっていくのを感じた。
「傍観する異邦人」に私の言葉が響いている。同じ土俵に立てた気がした。
しかし、アーネストは、そんな私の気持ちに気づくはずもなく、虚ろな眼で私を見つめ、いつもと同じ淡々とした抑揚で
「それは、お前の家に決まっているだろう?」
と言った。
――都合のいい時だけ私を頼るつもりなのだろうか、この男は。
私は内心呆れながら尋ねた。
必要なことだけ話し終えたアーネストは、何も言わないまま、回れ右してまた歩き始めていた。
「お前、今までどこに行ってたの?」
「ホテルとか」
「ずっとサンカン夫人と一緒にいたのか?」
そう問い
住所不定だったということ?
「いや」
「金は出してもらってたんだろう?」
「一部は」
「てか、サンカン夫人とはいつからなんだよ?」
「いつからって……」
アーネストが再び歩みを止めた。火の着いていないパイプを口元にあてた。真面目に思案している。
「お前に付き合って、サロンに行った日からだから……」
パリに帰ってひと月ほど経った頃だろうか。
アーネストとサロンに行った夜があった。確かに。思い出した。気づいたときにはアーネストは姿を消していて、私も酔いすぎて眠かったものだから、ひとりでさっさと帰ったのだ。
翌日は、ちょうど私が出掛けようとした時に、アーネストが帰ってきたとかで、いなくなった理由を聞く間もなかったような気がする。
「ブランションさん!待ってください!!!ブランションさん!!!」
頭の中の曖昧な記憶を辿り始めた時、男の声が背後からした。
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