#11 関係者各位 ②

「入りますよ」


 ノックはした。

 しかし、中の返事は聞かないまま、デュムーリエ警部は部屋の扉を開けた。

 扉のついた側の壁際に立っていたアーネストが振り向く。

 勢い私と目線が合った。


「あ……」


 何か言わなきゃならないと思った。

 しかし、咄嗟のことに言葉が出てこない。

 アーネストはくすんだ碧い目を黙ってこちらに向けたままだった。手持ち無沙汰に火のついていないパイプを左手で弄んでいる。

 

 ――アーネスト。どうしてここに?


 せめて名前を呼ぼう、白々しくても挨拶しようと決心した時、部屋の中央から女性の声がした。


「ああ……。警部さんですか」


「サンカン夫人、失礼しました。

 驚かせてしまいましたね」


 デュムーリエ警部が部屋の奥へと進んでいく。私もアーネストから視線を外し、警部の後について歩を進めて、声の主の顔を見た。

 部屋は応接室だと思われる。

 部屋の中央には三人掛けのソファとテーブルが据えられ、一人掛けのソファが二脚、L字型に置かれていた。ソファの上にはティーポットと4ピースのカップが置かれていた。

 長いソファに掛けた女性二人とその後ろに立っていた男性が、驚いた顔をこちらに向けている。


 サンカン夫人と呼ばれた女性は、開演前にアーネストと一緒にいた派手な金髪ブロンドの中年女性だ。

 サンカン夫人の隣には、観劇時サンカン夫人の前方の席にいた老婦人が腰掛けていた。

 きれいに撫でつけられていた白髪は乱れ、青褪めた表情と相まって、疲れ切った様子が伺えた。小さな花の刺繍の入った薄紫色のハンカチで抑えられた婦人の唇は血色を失い、小刻みに震えている。深い皺の刻まれたつぶらな瞳を囲む黒のアイラインが涙で滲んでいた。


「マルタン……。マルタン・ロンダは?……主人は……今、どこに?」


「……は、はい。ご主人のご遺体は今、解剖のため大学病院のほうへ」


「解剖!?」


 蹌踉よろめいた夫人はサンカン夫人の肩に凭れかかって、震える手で顔を覆った。サンカン夫人はロンダ夫人の肩を優しく抱いた。


「……大丈夫ですか?夫人マダム?」


 背後に立っているグレーのスーツを来た男性が中腰になってロンダ夫人に話し掛ける。


「……ええ。ええ、ブヴィエ医師せんせい。大丈夫です。ありがとう。サンカンさんも。ごめんなさいね」


 ロンダ夫人は謝って、サンカン夫人のもとから身を起こし、ぎこちなく笑顔を作ろうとした。


「いいえ、どうか無理をなさらないで、頼っていただきたいわ。

 あんな痛ましい事故があったのですもの、しかも、突然、目の前で。

 私、お芝居だと思っていたのに……まさか……。ペケニューの言葉が信じられませんでした」


「そうね……。主人のあんな姿を……実際に見るまでは」


 ロンダ夫人は再び言葉をつまらせた。その頬にまた一筋の涙が流れる。

 惨劇のあとを思い出したのに違いない。すすり泣きに混じって、ロンダ夫人の呻きが漏れる。


「……ああ!マルタン!!!……本当に舞台の上で死んでしまうだなんて!!!

 あの人、死ぬなら舞台の上がいいって言っていたのよ!!!」


 サンカン夫人は悲痛な面持ちで、悲嘆に暮れるロンダ夫人を抱きしめた。

 ブヴィエ医師はその後ろで俯いたまま沈黙して佇んでいた。


「ロンダさん……。

 今夜は私、ご一緒します。お一人でしたら、心細いでしょう?ね?

 だから、アーネスト、今夜はお家に帰ってくれる?」


 サンカン夫人の言葉にアーネストは黙って頷いた。

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