#09 第二幕目は上がらない

 エドモンの演技は学生時代に何度も観たことがある。2年以上前のことだ。他の生徒と比べて突出してうまいと感じたことはなかった。

 声はよく通る。

 笑顔が魅力的で、いいヤツだ。


 学生時代、私たちはに立っていると思っていた。私たちは、演劇学校の学生であるというよりほか、何者でもなかった。

 海のものとも山のものともつかない、ただ演劇という共通の夢を持っている者。

 私たちには、夢と、無限の可能性が、皆に等しく同じぐらいあるものだと思っていた。


 今回の舞台への招待状が届いた時、旧友の成功が嬉しかった。

 と同時に、今の自分と比較して寂しい気持ちにもなった。異国の地に遊学したのはいいものの、劇作家として得たものがあったかというと、これと言って自信がない。


 学生時代、私たちはに立っていたはずだった。しかし――

 たった今、目の前で、鬼気迫る素晴らしい演技を見せつけられ、私は、演劇で生きていくという夢に対し、エドモンから、ずっと遅れをとっているのだという現実を受け入れるしかなかった。


 ――本当に殺人が行われたみたいだった……


 休憩に入り、ぼんやりと考え事をしながら歩いていた私が悪かったのだ。

 二階からロビーに続く階段をもう数段で降り切ろうとするところで、案内係とぶつかった。

 案内係は慌てた様子で


「申し訳ございません!大変失礼を致しました!!!」


と謝罪の言葉を残して、頭を下げるのもそこそこに、階段を走り降りて行った。


 男が走って行く方を見ると、見覚えのある顔が二つ並んでいる。

 デュムーリエ警部とフィデール刑事だ。

 フロントの奥のほうで、黒い髪をオールバックに撫でつけた銀縁眼鏡の男と話している。

 茶色のハンチング帽を被ったデュムーリエ警部は、いつものようにくたびれたベージュ色のコートを羽織っていた。無頓着な服装に相対して、ごま塩に白髪が交じる口髭は整えられている。


 ――刑事が何の用だろう?


 刑事の様子を見ていると、グレーのスーツを着たフィデール刑事と目が合った。

 ややもすると神経質そうな印象を与える引き締まったその表情が、前の事件の事情聴取で見知った私の顔を見るや緩んで、驚いたように見えた。

 しかし、それはほんの一瞬のことだった。

 銀縁眼鏡の男との会話を終えたデュムーリエ警部に、何事か話しかけられたフィデール刑事は、表情を堅く戻して上司のあとに続いた。




 休憩時間が終わり、定刻になった。

 しかし、二幕目は上がらない。

 はじめはひそひそ話していた観客たちのざわめきも、過ぎていく時間とともに大きくなっていく。


「始まらないね……どうしたんだろう?」

「準備に時間がかかっているのかしら」


 私の隣に座っている穏やかそうな老夫妻も口を開いて会話を始めた。


 ――幕が上がらないにせよ、遅れている説明もないのか……。


 そんなことを思っていると、先程、デュムーリエ警部と話していた銀縁眼鏡の男が緞帳どんちょうが降りたままの舞台下手に姿を現した。

 男は劇場の支配人、フレデリック・ペケニューだと名乗り、出演者の体調不良とその影響等を鑑み、舞台を中止とすることと、その報告が遅れたことを陳謝し、チケットの払い戻しを行いたい旨を伝えた。


 舞台の中止について、声を上げて抗議する者はいなかった。

 頭を下げる劇場支配人に抗議したところで、できないものはできないのだと、紳士淑女たちは理解しているのだ。

 他の観客に続いて、私も席を立つ。

 チケットの払戻金を受け取って正面玄関を出たものの、第一幕のパリアンテ王子による父殺しの余韻が未だ心に残っていた私は、名残惜しい気持ちがして、劇場の前から離れることができなかった。


 ちょっと休んで、出演者の体調が回復すると言ったようなことはないだろうか。

 あるいは、代役に変更して急遽続行するだとか……


 もう払い戻しまで終わった舞台について、頭の中で反芻するうちに、舞台を続けられないほどの「出演者の体調不良とその影響等」というのは、余程の大事おおごとなのだろうかと興味が湧いてきた。


 ――休憩のうちに何があったのか。


 先ほどフロントの向こうに見たデュムーリエ警部とフィデール刑事の姿を思い出す。

 刑事が出てくるということは……?


 ただの出演者の体調不良ではないのだろう。

 事故か――。


 私は、劇場裏手に回った。裏手には関係者出入り口があるはずだ。


 ――エドモンは大丈夫なんだろうか。


 白い歯を見せて笑うエドモン・ティオゾの顔が、脳裏をよぎる。


 ――私は出演者の友人だ。関係者だ。


 今の私は、本当にエドモンを心配しているのか。ただの興味本位で動いているのか。それは自分でも説明をつける自信がない。


 ――だから、関係者入口から入って、万一見つかっても、警備員にはそう言えば……


 しかし、そんな口実を考える必要はなかった。

 劇場裏手には制服を着た警官がたむろしていたのだ。

 野次馬が周囲を取り囲み、人盛りができていた。


 私は野次馬がつくる人混みを縫って、立入禁止を示す黄色いロープの前に出た。

 その時だ。 


「ドウヨ!」


 関係者出入口の扉が開いた。

 そこには縄を掛けられたエドモンの姿があった。


「ドウヨ!オレはやってない!オレじゃない!!!」


 制服警官に連行されながら、エドモンが私の方を振り返って訴える。

 突然の出来事に、私は唖然とするよりほかなかった。

 野次馬が、警官に引っ張られながら進むエドモンのほうに詰め寄ろうとするのを、ほかの警官たちが体で止めている。その中にはフィデール刑事の顔もある。


「詳しくは署できく!連れて行け!連れて行け!」


 出入口から最後に出て来たデュムーリエ警部が、エドモンを先導する警官に向かって叫んだ。


「警察に連れて行かれた男と知り合いなんですか!?」


 エドモンを乗せた馬車が立ち去ると、野次馬の目は一斉に私に注がれた。


「犯人に話しかけられてましたよね!?」

「何があったんですか!?」

「詳しく聞かせてください!」


「いや……私は……」


 私に詰め寄ろうとする人々を、フィデール刑事が止めてくれた。


「ドウヨくん?君も関係者かね?」


 デュムーリエ警部が私の方に近寄ってきた。


「い……」


「いえ」と言いかけて、私は言葉を飲み込み、「はい」と言い直した。

 そんな私の顔をデュムーリエ警部は一瞬じっと見た。


 私はエドモンの友人だ。関係者には違いない。しかし――


 舞台の関係者ではないが、エドモンの関係者ではある。

 なんとはなしに気が咎めている私の内心を知ってか知らずか、デュムーリエ警部は、


「しばらく中へ」


と言って、関係者出入口の中に私を招き入れた。

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