#05 第一幕 ①

 楽屋を半ば追い出されるかたちとなった私は、ロビーに戻って右手の階段を昇っていた。

 天使たちの壁画が目に入る。私はザザの聖女を思わせる清純可憐な微笑みを思い出し、ここに描かれている天使たちと見比べた。それから、あのザザの無垢な微笑みは、エドモンを虜にしているんじゃないかと想像した。


 私の席は二階下手側最前列だった。

 着席してぼんやりあたりを眺めていると、席からはボックス席が見えた。

 その中に、アーネスト・バートラムの姿もあった。

 隣には先ほどの中年女性がいる。真っ赤な口紅ルージュが目立っていた。

 その前の席に白髪の上品な女性がいて、時々後ろを振り向いてアーネストの連れ合いの女と話していて、アーネストは興味なさそうに遠くをぼんやりと眺めていた。


 ――異邦人。


 彼の虚ろな目に映っている、開演前の劇場で蠢く観客と、開演後に舞台上で俳優たちに生を吹き込まれる登場人物との間に、違いがあるのだろうか。

 私の目には、異邦人であるアーネストは、パリに生きる現実から切り離されているのだ。


 私はひとつ咳払いをして、瞳を閉じた。

 しばらくするとオーケストラの音がして、場内のさざめきが消える。

 開演だ。




 演劇の舞台は16世紀頃の架空の国・パリアンテとその北方に位置する小国ヴェストベリ。

 パリアンテはヴェストベリを挟んで、北方のグロモフ帝国と敵対関係にある。

 エドモン・ティオゾ扮するアロルドは南方の国パリアンテの王子だ。


「王子!今日は王子の18歳の誕生日だというのに、主役がパーティーを抜け出していいんですか!?」


 クリストフ・ラヴォーがアロルドの従者を演じている。


「いいんだよ、タノ!みんな酔っ払ってしまっていて、僕のことなんか気にしちゃいないさ。

 そんなことより今宵、ヴェストベリは建国祭だという。花火もあがるんだぜ?そっちのほうが余程、見たいじゃないか。

 我が誕生日が、隣国の建国日と同じだなんて、けっこう運命を感じてるんだぜ」


 花火の音が微かに聞こえ、遠方に上がっているのが見える。


「もっと近くで見てみよう!商業で栄えるヴェストベリの市街地はさぞ賑やかだろう。

 タノ!行くぞ!!!」


「アロルド王子!国境を超えるんですか!?アロルド王子――!!!」




「この森を越えれば、ヴェストベリの都だ

 ………………!?」


「王子!野犬の群れです!……逃げてください!!!ここは私がなんとかしますから!!!」


「しかし……タノ……」


 背中にアロルドを庇い、タノは抜剣した。

 襲いかかってくる野犬を凪切りにする。

 犬は木の幹に身体を打ち付け、「キュウウウウウン」と甲高い声を出すと脚を引き摺って後ずさった。


「タノ!!!」


「し!まだまだですよ!まだまだ野犬はいるんですから!!!」


 他の犬は怯むことなく二匹同時にタノに飛びかかってくる。


「くっ!!!」


 二匹を相手にしているところに、横から三匹目が走ってきた。

 アロルドはタノの背中から横に出ると、腰の剣を抜き、三匹目の犬を切って捨てた。


「王子……!危ないですよ!!下がって!!!」


「大丈夫!……大丈夫だって!!」


 アロルドが剣を大きく振り、剣についた血糊を落とそうとした時、脇から別の犬が走り出してくる。


「あっ……」


 アロルドが犬を避けようとしてバランスを崩して倒れ込んだ。

 さらに飛びかかってこようとする犬を、タノが蹴りつける。


「タノ、助かったよ。……しかし、脚をくじいたらしい」

 

「……王子、だから言わんこっちゃない。

 立てますか?とにかく森を出ましょう」


 舞台が転換し、森から市街地へと変わった。


「ここまでくれば安心だ。助けの者を呼んできましょう。

 ここで大人しく待っててくださいね」


 タノはそう言い残すと、舞台の上手側から去っていくと、ザザ・レスコーが下手側から現れた。モーガン・ブランションがその供をしており、第一声で


「カーリンさま、城内に戻りましょう。皆心配します」


と言った。


「でも、花火は王宮から見てもきれいじゃないわ。どうせ見るならきれいな方がいいもの!エヴァは戻っていて!」


「そんなわけには参りません。姫さまだけを残していくなんてできる道理がありませんよ。

 ……誰か?そこに誰かいるの?」


 エヴァがアロルド王子に気がついた。

 アロルドはその場から逃げ出そうとするが、うまく立てないでいる。


「ちょっと待って!……あなた、怪我をなさっているの?」


 アロルドは無言のままカーリンのほうを振り返った。

 二人の目が合って、一瞬背を向け、再び、二人は向き合った。


「……て、手当を!手当をして差し上げないと!さあ、わたくしの肩を……」


「カーリンさま!見ず知らずの男性に肩を抱かせるだなんて!」


 咎めるエヴァにカーリンは毅然と言った。


「でも、そうしなくては仕方ないでしょう?この方、歩けないんですもの」


「しかし……」


 アロルドも躊躇する。


「遠慮しないでください。悪くするといけないわ」


 カーリンとアロルドは顔を寄せ、見つめ合っていた。

 パリアンテの王子と、ヴェストベリの姫は恋に落ちたのである。

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